第21話 ―「断るという重さ」
部活が、ようやく終わった。
階段へと続く廊下は人の流れでいっぱいだった。軽い足音、肩にかけ直される鞄、テストやゲーム、出し忘れた課題の話があちこちから聞こえてくる。
大きな窓から差し込む夕方の金色の光が、磨かれた床に長いオレンジ色の影を描いていた。
葵はゆっくりと廊下を歩きながら、すでにスマホを手にしていた。
歩きながら文字を打つ。
「ねえ、ひな。武雄くん、パーティー入りたいって。エターナルもやってるみたい」
送信。
すぐに既読がついた。
そして、ほとんど間を置かずに返信。
「マジで!?レベルいくつ!?職業なに!?」
葵は小さく笑った。
落ち着いた様子で打ち返す。
「わかんない。聞いてない。でも助けが必要みたい」
すぐにまた返信が来る。
「番号送って!」
葵は武雄の連絡先を送った。
何か打とうとした、そのとき――
中庭の方で視線が止まった。
顔を上げる。
校門の近くで、美緒が一人で歩いていた。
夕方の風が、彼女の髪をやさしく揺らす。
そのすぐ後ろから――
誰かが走ってくる。
山田だった。
どこかぎこちなく、今さっき決意したみたいな走り方で。
葵はまばたきする。
スマホをポケットにしまった。
「なにあれ……?」
「こっちが聞きたいくらいだけど」
びくっと肩が揺れる。
「だ、代表!」
隣には腕を組んだ花恵が立っていて、その様子を見ていた。
眉をひそめる。
「教室じゃないんだから、花恵でいいよ」
葵は後頭部をかく。
「あ、うん……花恵さん」
花恵は視線を校門に向けたまま言う。
「あの山田、今日ちょっと変だったよね」
少し首をかしげる。
「気にならない?なんで走ってるのか」
葵はもう一度見る。
「美緒のところに行ってる……」
「じゃあ、行こ」
二人は足早に廊下を進み、階段へ向かった。
昇降口で素早く靴を履き替える。
ロッカーの扉が閉まる音が響く。
そして外へ出た。
校門の近くで、山田はついに美緒に追いついた。
葵は少し足を緩める。
「なんか……変な感じ……」
花恵はあっさり言う。
「じゃあ、もっと近くで見ればいいじゃん」
二人は気づかれないように近づいた。
山田が息を切らしながら、美緒の前で止まる。
「神崎さん!」
美緒が足を止めて振り返る。
一瞬、目を細めて――
軽くため息をつくように目を逸らした。
「山田くん、あのね――」
「ごめん!」
山田が遮った。
美緒が眉をひそめる。
山田は膝に手をついて、呼吸を整えようとしていた。
「俺……あの手紙のとき……神崎さんのこと、ちゃんと考えてなかった」
美緒が瞬きをする。
「え……?」
山田は顔を上げる。まだ少し赤い。
「大変なときだったのに」
声を整えながら続ける。
「お母さんが入院してて……看病してて……」
息を吸う。
「俺、そのとき一緒にいたよな」
美緒の表情が変わる。
無表情に近い、静かな顔。
「……覚えてる」
山田は視線を落とす。
「それをわかってて……告白した」
一瞬、目を閉じる。
「一番タイミング悪いときに」
深く頭を下げた。
「自分勝手だった。ごめん」
美緒の目が見開かれる。
「や、山田くん……顔上げて……」
そっと肩に手を置く。
山田はゆっくりと顔を上げた。
「でも俺は――」
「ねえ」
美緒が静かに言う。
「ちゃんと伝えてくれたのは、嬉しかったよ」
一息つく。
「だから、あんなふうに断っちゃって……ごめん」
風が校門を抜ける。
乾いた葉が地面を滑る。
美緒は少し視線を外した。
「でも……やっぱり無理かな」
山田が目を見開く。
「な、なんで……?」
美緒は悪気なく答える。
「個人的にね?」
少し困ったように笑う。
「背が高い人が好きなの」
沈黙。
山田が小さくつぶやく。
「……同じくらいだから、か……」
美緒はまた肩に手を置いた。
「誤解しないで」
やさしく言う。
「山田くんのこと好きになる子、いっぱいいると思う」
少し間を置く。
「それに今、家のこともあって……ちょっと余裕なくて」
目が少しやわらぐ。
「気にかけてくれてありがとう。本当に」
手を離す。
そして背を向ける。
「優しいね。あんまり自分を責めないで」
山田はその場に立ち尽くした。
地面を見つめたまま。
唇が動くが、言葉は出ない。
そのとき――
「山田くん、ごめんね!」
ひなが横を走り抜ける。
「もう!待ってくれなかったじゃん、美緒!」
「角で待つつもりだったってば」
美緒が笑う。
二人は並んで歩き出した。
話しながら、笑いながら。
やがて遠ざかっていく。
山田はゆっくり振り向き――
反対方向へ歩き出した。
振り返ることなく。
校門のそばで、葵と花恵はようやく姿を見せた。
花恵がため息をつく。
「これはキツい……」
葵は顔をしかめた。
「山田くん、かわいそう……」
花恵がちらっと見る。
「友達の肩持つんだ?」
「いや……」
葵は少し考える。
「なんていうか……」
目をそらす。
「美緒、昔から背高い人好きだし」
花恵が小さく「ああ」と言う。
「やっぱりね」
肩をすくめる。
「でも、これでよかったんじゃない?」
葵が見る。
「なんで?」
「変に期待させるよりマシでしょ」
葵は少し考えた。
夕方の風が通り抜ける。
「わかんない……」
小さくつぶやく。
「でも……その期待だけで、なんとか立ってる人もいると思う」
花恵は黙る。
少し考えて――
やがて背を向けた。
「じゃ、私は帰る」
道路を渡りながら手を振る。
「また明日ね、坂本」
「うん……」
葵は答える。
「……代表」
花恵は振り返らずに手を振った。
葵はその場に立ち尽くす。
遠くの山田を見る。
反対側では、美緒とひながもう小さくなっていた。
ため息。
「今日、ゲームやろ……頭ぐちゃぐちゃ」
――その後。
葵は電車に乗っていた。
いつもの席に座る。
窓には夕焼けが流れていく。
駅に着き、降りる。
家に帰る。
簡単に食事を作り、少しだけ部屋を片付ける。
それからシャワーへ。
温かいお湯が、今日の重さを少しだけ流してくれた。
風呂から出て、髪を拭いていると――
「おかえり、葵」
母の声。
「ただいま」
雪子がコートを脱ぎながら笑う。
「今日はちょっと遅くなっちゃったけど……」
指を立てる。
「決まったわよ、海の日!」
葵は瞬きをする。
「あ……海……」
少し考える。
「土曜日だっけ?」
「そう!」
雪子が嬉しそうに頷く。
「朝早く出るわよ!」
葵は小さく笑った。
「久しぶりだね……」
雪子が笑う。
「お父さん、計画したのに結局寝ちゃうのよね」
葵は黙る。
視線が揺れる。
「……うん」
「寝ちゃってたね」
目を伏せる。
「覚えてる」
静かな空気。
雪子がそっと抱きしめる。
「せっかくだし、楽しもうね」
「……うん、お母さん」
二人で食事をとる。
「劇はどう?」と雪子。
「……セリフ、三つだけ」
雪子が目を丸くする。
「三つ!?」
笑う。
「私なんて最初は照明係だったわよ」
葵も笑う。
「でも二年目から出たんでしょ」
「あ、そうだった」
雪子が額を叩く。
「どんなセリフ?」
葵は箸を動かしながら。
「ちょっと説明しにくい……」
「もっと練習しないと」
「武雄くんが手伝ってくれてる」
雪子が眉を上げる。
「武雄?藤本さんのとこの?」
「うん……人気あるし、同じ部活」
雪子がにやっと笑う。
「家に呼べばいいじゃない」
「昔よく一緒にいたでしょ」
葵はすぐ反応する。
「お母さん、もう子供じゃないんだから」
「それはちょっと……」
雪子が首をかしげる。
「なに?意識してるの?」
ニヤリ。
葵がむせる。
「お、お母さん!?」
「違うって!」
雪子が笑う。
「ごめんごめん」
葵は息を整える。
「武雄くん彼女いるし」
「そういうのじゃない」
腕を組む。
「なんか……もう違う感じ」
雪子がじっと見る。
「へえ?」
「大人になったのね」
葵の顔が赤くなる。
「ま、まあ……ちょっとは」
雪子が身を乗り出す。
「じゃあ別に気になる人がいるの?」
葵は動きを止める。
母を見る。
口いっぱいに食べたまま。
じーっと。
雪子が吹き出す。
「ふふっ、ハムスターみたい!」
「もーー!!」
「やめて!」
笑い声。
やがて少し優しくなる。
「……昼間はあまり話せないからね」
葵は目を伏せる。
「……」
数秒後。
「お皿、洗うよ」
「お母さんはお風呂入ってきて」
雪子は微笑む。
「ありがと」
「おやすみ、葵」
「おやすみ」
葵は一人、座ったまま。
静かな部屋。
テーブルの空いた席に目がいく。
一瞬――
そこに父の姿を思い浮かべた。
笑って、二人を見ている。
皿を見つめながら、小さくつぶやく。
「……笑ってるよね、お父さん」
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