第20話 — 舞台の灯り、過去からの声
少しずつ、彼女の世界が動き出す――。
演劇部の部室は、人で溢れていた。
広くはない。
けれど、確かに“生きている”空間だった。
使い込まれた赤いカーテン。
壁際に積まれた衣装箱。
金属スタンドに取り付けられた簡易スポットライト。
木と埃の匂いが、紙をめくる音と混ざり合う。
小さな舞台の中央に、武雄が立っていた。
照明を調整する生徒。
音響を確認する生徒。
その少し離れた場所で――
葵は台本を両手で握りしめていた。
指先が、わずかに震えている。
同じセリフを、何度も何度も目でなぞる。
(……私にできるのかな……?)
その時、部室に声が響いた。
「――はい、全員ポジションについて!」
高梨先生だった。
手に持った台本を軽く叩く。
「シーン2、いくわよ。配置!」
武雄は深く息を吸い、
舞台を見据えて、芝居がかった声で宣言する。
「――シーン2、『軽すぎる約束』!」
照明が切り替わる。
静寂。
そして――始まった。
亮(カズキ・2年)
(軽い調子で)
「そんな顔するなって」
腕を組み、軽く笑う。
「休みになったら、ちゃんと戻ってくるんだろ?」
春人(武雄)
小さく息を吐き、穏やかに笑う。
「もちろんだよ」
志乃
篠原舞が一歩前に出る。
声は、少しだけ真剣だった。
「みんな、そう言うのよ」
春人は一瞬だけ、灯花の方を見る。
その笑顔が、ほんのわずかに揺らぐ。
「……戻ってくるよ」
沈黙。
そして――
「――いいわね!」
高梨先生の声が響いた。
照明と音響の担当が拍手を始める。
パン、パン、パン。
武雄は肩の力を抜いた。
周りも、少し笑みを見せる。
けれど――
葵だけは、まだ台本を見つめていた。
心臓の鼓動が、速い。
小さく呟く。
「……私に、できるのかな……」
舞台を降りた武雄が近づく。
「葵ちゃん?」
葵は慌てて顔を上げる。
手を背中に隠す。まだ震えていた。
「ひ、ひぃ……武雄くん……」
武雄はいつも通り穏やかに笑う。
「大丈夫だよ」
軽く肩をすくめる。
「俺が保証する」
葵は台本を見下ろす。
「私、セリフ三つしかないのに……」
紙をぎゅっと握る。
「でも……なんか……」
武雄はため息をつく。
「そもそも、なんでこの部に入ったんだっけ?」
葵は床の一点を見つめた。
記憶を探るように。
「……お母さんが」
少し間が空く。
「学生の頃、演技が好きだったって」
小さく笑う。
「私、やりたいことなくて……」
少しだけ顔を上げる。
「だから、手伝ってくれるって」
武雄は頷く。
「ああ……坂本さんか」
葵は首を傾げる。
「最近、全然来てないよね」
武雄は目を逸らす。
「まあ……」
後頭部をかく。
「なんかさ……あのあと顔出すの、ちょっと気まずくて」
葵の笑顔が消える。
沈黙。
数秒後、葵が口を開いた。
「武雄くんのご両親は……元気?」
武雄は驚いて瞬きをする。
「え、急に?」
葵は首を傾げる。
「ダメだった?」
武雄は少し笑う。
「いや……ただ、今まで一度も聞かれたことなかったから」
少し間を置いて、
「元気だよ」
息を吸う。
「父さんも……何年か前に、だいぶ良くなったし」
「母さんは、今も家にいる」
葵は眉をひそめる。
「良くなったって……?」
武雄は視線を落とす。
「うちの親、昔から仲良くてさ……」
ゆっくり顔を上げる。
「だから……その……葵の父さんのことがあってから……」
言葉は最後まで続かなかった。
葵は目を閉じる。
でも、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……そっか」
息を吐く。
「ありがとう」
武雄は首をかしげる。
「なんで?」
「私の家族だけじゃなかったって、分かったから」
武雄の表情が真剣になる。
「俺も影響受けてたよ」
目を逸らす。
「しばらく……葵の顔、まともに見れなかったし」
少し間。
「距離置いてたら、ごめん」
葵は小さく笑う。
「子供だったし」
肩をすくめる。
「私もどうしていいか分からなかった」
「武雄くんも、でしょ?」
その時――
「ねえ」
後ろから声。
篠原舞だった。
「何の話してたの?」
武雄はすぐに答える。
「大したことじゃないよ」
笑う。
「ちょっと昔話」
葵も頷く。
「うん」
篠原は二人を見る。
「ずっと知り合いなんだね……」
武雄は自然に答える。
「まあね」
「でも、ただの友達だよ、志乃ちゃん」
篠原の目が見開かれる。
「え?」
「し、志乃ちゃん……?」
武雄は頭をかく。
「同じ部だしさ……苗字だと距離ある感じするし」
篠原は俯く。
「い、いいよ……」
小さな声で、
「武雄くん」
武雄は親指を立てる。
「それそれ!」
でも、少しぎこちない。
葵は耐えきれず、
「ふふっ」
武雄が振り向く。
「何?」
葵は口元を押さえる。
「武雄くんが照れてるの、珍しい」
武雄は腕を組む。
「うるさい」
篠原はその様子を見ていた。
ほんの少し、笑いながら。
でも――
どこか遠い目をしていた。
「じゃあ……」
台本を持ち上げる。
「戻るね」
葵も台本を持つ。
「先輩!」
「私、ここで練習するね」
篠原は一瞬迷う。
「……うん」
部室の奥へと戻っていった。
葵と武雄は並んで立つ。
葵は舞台の中央へ歩く。
その時――
コンコン
扉をノックする音。
篠原が開けると、
そこにいたのは――高瀬ひな。
少し頬を赤らめながら、
「えっと……」
軽く頭を下げる。
「葵を探してて……篠原先輩」
「いいよ」
篠原は答える。
「坂本さん!」
遠くから武雄が手を振る。
ひなも小さく手を振り返す。
葵が現れる。
「どうしたの、ひな?」
ひなは早口で言う。
「今夜8時半、エターナル・イージス・オンラインにログインして!」
指をさす。
「ダンジョン行くの!ソウマキーの防御上げる!」
葵は瞬きをする。
「あ、うん……分かった」
首を傾げる。
「それだけで来たの?」
ひなは後頭部をかく。
「みおと一緒にいるから……」
笑う。
「忘れそうで」
葵は微笑む。
「大丈夫だよ」
「あとでやろう」
ひなは扉を閉めた。
その瞬間、
武雄が振り向く。
「葵……エターナル・イージスやってるの!?」
葵は慌てる。
「あ、聞こえてた……?」
「ちょっと友達とやってるだけで――」
「めっちゃいいじゃん!!」
武雄が叫ぶ。
部室全体が静まる。
高梨先生が眉をひそめる。
「静かにしなさい」
武雄はすぐ頭を下げる。
「すみません!」
小声で、
「最近また始めたの?」
葵は頷く。
「うん」
「でもパーティ限定」
篠原は首を傾げる。
「ゲーム?」
武雄が答える。
「MMORPGだよ!」
両手を広げる。
篠原は瞬きする。
「えむ……?」
葵が説明する。
「オンラインゲームで……ドラゴンとかダンジョンとかあって」
「レベル上げたりするの」
篠原はゆっくり頷く。
「へえ……」
「ゲームはやらないから」
武雄は真剣に聞く。
「パーティ入れてくれない?」
葵は驚く。
「えっ」
頬をかく。
「リーダーに聞かないと……ひなちゃん」
武雄は手を合わせる。
「お願い!」
大げさに言う。
「ソロで詰んでるんだよ!」
「救世主きた!!」
葵は困りながらも、
少し笑った。
「……分かった」
「聞いてみるね」
武雄はガッツポーズ。
その横で――
篠原は二人を見ていた。
静かに。
ただ一つ、思う。
(ゲーム……か
いつも読んでいただきありがとうございます。
少しずつ、葵の世界が変わり始めます。
今回の章も楽しんでいただけたら嬉しいです。




