明日からの話②
「何考えてんだ」
「本当に怒ってないのか?」
「それにしたって、反応がおかしいだろう」
「まるでピアノマンのそれだな」
イギリスの或る海岸で塩水にまみれた記憶喪失の身元不明者を比較に出し、その特異性に類似点を見出そうとしても、解決の糸口はきっと見つからないだろう。俺はそれを知っている。
昔の名残りで自宅に金属バットが置いてある。使い古されて土気色を帯び、錆も目立つ。血の滲むような努力の跡とは胸を張って言えないものの、過去の残骸であることは間違いない。どの部活動にも属さない俺が学校へ金属バットを持参したとなると、少なからず指摘を受けるかもしれない。登校時はいつもより気を揉んだが、はっきりとした趣旨のもと起こす行動にしかなし得ない気持ちよさは比類なかった。
学校周辺の風景は青々しい。水の張った田んぼと丘陵が両手を広げてまします。夕日を背負った電波塔の影に郷愁を覚える日が来るのだろうか。アイツにとってみれば全てが新鮮に写り、流れる雲の流れに身を任せているかのような足取りで河川沿いに連れ出されていた。俺は背負い慣れない金属バットのケースを何度も肩にかけ直しながら、学習時間を終えた生徒の一人として装う。数十メートル先にはしっかりとアイツを捉えつつ、これからくぐることになる高架線をじっと待った。しかしこんなにもシジマが息苦しく、より胸に込み上げてくるものとは露も思わなかった。
アイツが高架線の影を踏むのを確認すると、腰を屈めて素早く走り出す。勿論、音によって気取られることは承知の上だ。アイツは機敏に踵を返して此方を見る。まん丸と開いた双眸が金属バットの照り返しに眩んで大きな隙を作った。俺は迷わず、頭部に向かってフルスイングする。朽ちかけた銅像を殴ったかのような重苦しくも派手に散る衝撃が両手に伝わり、モルタルと似た愚鈍な黒い血が俺の頬に跳梁した瞬間、貫徹すべき命題として腹の中で決死の覚悟が今一度、固められた。前のめりで全く受け身を取らずにアイツはアスファルトの地面に突っ伏す。一気呵成に追い討ちをかけようとすれば、忽ち命乞いをされる。
「待ってくれ! 頼む」
俺は構わず頭部をめった打ちにした。ベコベコと紙粘土のように形を変えていき、最後は地面を殴っているのと変わらなくなる。
「はぁはぁ」
何度も振り下ろした金属バットに息を大いに乱された。深呼吸しようと張った胸は、針で突かれれば破裂しそうだ。
「お前、そうか、そうなんだな」
俺は飛びのいて距離をとる。凡そ人間の頭部とは思えない形をしながら、流暢に言語を操って淀みなく立ち上がった。
「だが、わからん。どうして俺を攻撃する」
金属バットによる殴打で地面と何度も擦れ合って平面に潰れた鼻から、黒い血が口元まで根を伸ばしている。普通の人間であればたじろいでそのままで居られないはずだ。
「お前は、輪を乱す異分子だ。だから、いけないんだ」
「輪を乱す? 俺がどう行動しようがお前には関係ないだろ」
「いや、大ありだね」
俺は金属バットの柄を握り直す。
「青筋立てて殺意を抱くほどの執着はなんだ。俺たちは本来、協力し合うべきだろう」
諍いに臨む気がさらさらないことを示す両手の脱力は、俺にとって好都合でしかなかった。




