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彼岸よ、ララバイ!  作者: 湯ノ村
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平成二十四年、三月五日に起きた焼身自殺について③

 しかしなかなかどうして、指を動かすことすらままならず、ひたすら凝然と固まるしかできない。さながらそれは、蛇に睨まれた蛙のような気分であり、刻々と時間は塵のように積もっていき、得体の知れないものに背中を預ける余裕は、一分と満たぬ間に崩れた。


 私は頭を下げて、脇に作った隙間から背後の湯船を盗み見ようとする。そんな矢先であった。天井を向く後頭部の髪を撫で付ける風が当たる。絶え間なく、生ぬるく、それでいて整然と鼓動を感じさせるリズムで風が送られる。例えるならば、人の息。向けるべき目の置き場を逸し、何の変哲もない風呂場のタイルの黒カビを見続ける。糸引きによって四肢を動かす操り人形と変わらぬ硬さが全身に通う。そんな中で、鼓動だけは可動を続け、生命を維持し続けたのだった。


「みつけた」


 全くもって聞き慣れない声が降り注ぎ、塩水を吸い込んだかのように鼻の奥に痛みが走った。シャワーを浴びていることを棚に上げ、鼻から息を吸い込んだ私の過失がもたらした痛みは、これが現実に起きていることをまざまざと認識させられた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 死に直面した人間が、ひたすら生への執着を

懇願する言葉としては、恐らく適切なものに違いない。長物に講釈を垂れて、如何にも私が生きていることによって生じる利益を語る方法は、文明社会に根差した対人間に対する手段だろう。私が今し方、相手にしているのは世にも奇妙な超常的な存在なのだ。繰り返し謝罪の言葉を述べ、赦しを乞う以外にとる態度が見つからなかった。するとそんな私のなりふり構わない訴えが功を奏したのか。後頭部の直近にあった気配がゆくりなく消え、異音は行きずりの風のように去った。全身に通った甚だしい緊張が解け、腰砕けに床へ尻餅をつく。自然と顎は上向きになり、視線が天井に向いた瞬間、私は再び固まった。濡れた髪が柳のように垂れて、吊り下げられるように逆さとなったその姿は、人と形容すれば首を捻って疑問を呈すはずだ。もはや注視を強いられているかのように、黙って固まっていると、髪の隙間から赤黒く熟れたトマトのように亀裂が走った性別の判別も困難な顔らしきものが覗き見えた。




 ニュース番組に於いて最も必要なのは、主観的な偏りを排する公平性や、人が液晶へ目を向けた際に整った画面構成になっているかどうかの製作者側の心意気ではない。聴衆の見聞きを集める為のざっくばらんで誇大的な俗っぽさが肝心要なのだ。だからこそ、陰惨な事件があれば、大々的に報道し、暗い好奇心を集める。


「午前八時頃、〇〇県〇〇市のアパートの一室で、田中圭さん二十八歳が遺体で発見されました」

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