第96話「指定座標」
集落へ戻る途中で電波が安定すると、刃は立ち止まったまま端末を開いた。
差出人不明の三行。座標。時刻。『一人で来い』。
それに、山小屋で見つけた地図と金属板の写真を三枚添える。
送信先は三人まとめてだった。
『さっき届いた。今から下る。隠さない』
送って二十秒で着信が来た。
レイラだ。
「早いな」
『遅い方が嫌』
開口一番がそれだった。
いつも通りで、少しだけ助かる。
『座標、転送した?』
「した」
『写真も見た。東京に戻らないで。長野駅で落ち合う』
「即決だな」
『今夜二十一時でしょ。往復してる時間ない』
その後ろで、別の声が割り込んだ。ミラだ。
『金属板、もう一回表裏ください。あと地図の右下も。そこ切れてます』
「人に頼む態度か」
『今のはかなり丁寧でしたよ』
『丁寧だったな』
最後にガレスまで乗ってきた。
どうやら三人とも同じ場所にいるらしい。
『下山を優先しろ。話は平地でやる』
「分かった」
『あと』
レイラの声に戻る。
『勝手に二十一時へ間に合わせようとしないで。今の時点でそれやったら、本気で止める』
刃は少しだけ黙った。
黙った時点で図星なのが面倒だった。
「……了解」
『よし』
通話が切れる。
山の静けさが戻ってきた。
だが、もうさっきまでの静けさではない。
指定された場所は、ただの山中ではなくなっていた。四人で共有した瞬間に、次の行動へ変わる。
◇
十七時前。長野駅近くの小さなビジネスホテル。
レイラが押さえた部屋は、宿泊用というより急ごしらえの作戦室だった。ベッドはあるが使う気配がない。ローテーブルには端末が四台、紙の地図が三枚、簡易プロジェクタが一つ、コンビニ袋が二つ。缶コーヒー、ミネラルウォーター、栄養バー。
「おかえり」
レイラが言った。
軽い声だが、目だけは先に端末を見ている。
「面倒が増えたな」
「いつものこと」
「規模が違う」
「それもいつものことになりつつある」
ひどい評価だった。
否定できないのもひどい。
ガレスは窓際に立ったまま頷く。
「無事で何よりだ」
「山で死ぬ要素はなかった」
「そう言うな。山で死んだ連中に謝れ」
ミラはすでに床へ地図を広げていた。
眠そうな顔のまま手だけが異様に速い。
「写真、かなり助かりました。雑ですけど」
「助かったならいいだろ」
「雑なのは雑です」
刃は刀袋を壁際へ立てかけ、防水袋から手帳、地図、金属板を出した。
ミラの目の焦点が少しだけ合う。
「本物ですね」
「写真送ったろ」
「質感は写真じゃ拾えません」
「研究者だな」
「褒め言葉です」
レイラが椅子を引いた。
「先に順番を決める。一つ、座標の場所。二つ、『一人で来い』の意味。三つ、今夜どうするか」
「妥当だ」
ガレスが即答する。
この二人が実務側へ入ると、話が早い。
「じゃあ一つ目」
ミラが金属板を照明の下へ置き、拡大画像を壁へ投影した。
「この記号列。山小屋の地図に書かれていた三つの観測点符号と一致します。そのうえで、下の管理番号の残り方が、協会黎明期の地上設備タグと近い」
「近いってのは」
刃が聞くと、ミラは紙束を一枚滑らせた。
「完全一致ではないです。でも、旧記録庫で見た初期整備票の振り方と桁構成が同じ。だから設備系。しかも携行品じゃなくて、固定拠点の番号です」
レイラが壁の地図を指した。
「座標を打つとここ」
長野北部の山域。今いる場所から見れば、さらに北西。車で一時間半、そこから林道、最後は徒歩。
「国定ダンジョンのゲートは日本各地にあるが……そのどれにも該当しないんだな?」
ガレスが確認する。
「うん。しかも今の施設網から外れてる」
ミラは別の古地図を重ねた。
等高線と、古い林道。そこへ薄く、鉛筆のような線が浮く。
「ここ、今は地図上でほぼ死んでます。でも古い保守図面だと、尾根に点がある」
「点?」
「観測小屋か、補助拠点。正式名称までは残ってなかったんですが――」
彼女は金属板を軽く叩いた。
「これの『三-七』と座標が噛みました。北部第三観測線、第七補助観測点。たぶんこれです」
部屋が少し静かになる。
補助観測点。
音声ログの『帰還補助』。山小屋の地図。燃やされた紙片。線がまた一本つながる。
「何を観測する場所だ」
刃が聞く。
ミラは首を横に振った。
「そこまでは断定できません。ただ、初期協会の地上設備で、しかも山地私設保管と繋がるなら、普通の気象観測ではないです」
「魔素変動、帰還補助の地上側観測、あるいは第一世代用の連絡拠点」
レイラが淡々と候補を並べる。
「少なくとも、一般公開前提の施設じゃない」
ガレスが地図へ身を乗り出した。
指が尾根筋をなぞる。
「道が悪い」
「分かるのか」
「見るだけで分かる」
彼はそういう男だった。
「林道は途中で死んでる。最後は尾根の痩せた部分を歩くしかない。隠れて近づける道も少ない」
「つまり?」
「複数で行くと目立つ」
ミラが頷く。
「しかも、補助観測点って名前なら、見張る前提です。来る側も、来られる側も」
レイラがそこで結論を短く切った。
「『一人で来い』は脅しというより、接触条件」
刃は腕を組んだ。
「そう見る根拠は」
「場所」
即答だった。
「本気で騙すなら、もっと分かりにくい場所を指定する。ダンジョン深部でもいいし、山中の適当な沢でもいい。わざわざ古い観測点の符号と座標を揃えて寄越してる時点で、“来られる人間にだけ分かる形”を選んでる」
「加えて地形です」
ミラが言う。
「この尾根、途中から一人幅しか取れません。並んで行けない。隠れて包囲も難しい。複数で近づいた時点で、向こうから見れば“連れてきた”判定になります」
ガレスがさらに現実側を足す。
「古い観測点なら、出入口も一か所だろう。相手が中にいるなら、複数接近で閉じる」
「そうだな」
刃は短く吐いた。
「要するに、物理的に一人じゃないと会ってもらえない場所ってことか」
「そういうこと」
レイラが頷く。
「裏切りとか試しとか、そういう嫌な意味だけで読む必要は今のところない」
そこは少し、救いだった。
救いだが、楽になるわけでもない。
「で」
ミラが缶コーヒーを一本押しつけてきた。
「二つ目。『一人で来い』の意味は分かりました。次は三つ目、今夜どうするかです」
「早いな」
「二十一時ですからね」
「お前、今日テンション高くないか」
「そりゃ高いですよ。嫌な謎が綺麗に繋がってきたので」
「最悪だな」
「研究者なので。もっと褒めてもいいんですよ?」
ひどい理屈だった。
ガレスは笑わないまま壁時計を見た。
「今から向かえば、現地手前までは全員で入れる」
「観測点そのものには刃だけ」
レイラが続ける。
「私はそれでいいと思ってる」
刃は顔を上げた。
反対が先に来ると思っていたわけではない。だが、止めるではなく、それでいいと言われると少しだけ間ができる。
「いいのか」
「よくはない。でも、場所がそういう条件なら、そこに逆らって四人で押しかけても何も進まない」
声は乾いている。
乾いているが、冷たくはない。
「ただし、隠れて行くのは駄目」
「しねえよ」
「今のは確認」
ガレスが腕を組んだ。
「俺も異論はない。物理的に一人で行くのは刃だ。だが、そこで何を見て、どこまで入って、何分戻らなければ切り替えるかは、全員で決める」
ミラもすぐに乗る。
「情報も同じです。持っていくもの、持っていかないもの、回収できなかった場合に何が残るか。そこまで含めて整理します」
刃は缶コーヒーを開けた。
ぬるい。駅で買ったやつより少しましな程度だ。
「お前ら、止めないんだな」
ミラが先に笑った。
「止まります?」
「止まらねえな」
「ですよね」
ガレスは平然としている。
「止めるかどうかの話は、もう終わってる」
一瞬、全員の視線が集まった。
ガレスは無自覚らしい。
「今の言い方は忘れて」
レイラが即座に切った。
「雑に要約しすぎ」
「何がだ」
「何でもない」
危なかった。
刃は額を押さえた。
ミラだけが肩を震わせている。
「笑うな」
「すみません。今のはかなり危なかったです」
「分かってるなら止めろ」
「間に合いませんでした」
少しだけ空気が軽くなる。
その軽さのまま、レイラが刃を見る。
「行くの?」
単純な問いだった。
だが、ここで濁す意味はない。
「ああ」
刃は答えた。
「行く。指定が地上の補助観測点なら、なおさらだ。逃したら次があるか分からねえ」
レイラは頷く。
そして、それ以上は言わずに、最後に一言だけ置いた。
「じゃあ、帰ってきて」
短い。
だからこそ重い。
刃は少しだけ視線を外し、すぐ戻した。
「おう」
それで十分だった。
窓の外は、もう夜に寄っている。
山へ戻る時間が近づいていた。
刃は地図の上に置かれた金属板を見る。
北部第三観測線、第七補助観測点。
指定時刻は二十一時。
今度は一人で行く。
だが、もう一人では抱えない。




