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底辺探索者の手加減極意 〜最強の師匠に育てられた俺はソロでダンジョンを攻略したいだけなのに、偶然トップ配信者を助けたら世界中から注目されてしまった〜  作者: らいお
捌ノ太刀 記録の外側

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第94話「失われた名簿」

 旧記録庫は、地下三階のいちばん奥にあった。


 新しい協会本部の中で、そこだけ時間が違う。

 壁は厚く、空調は弱い。蛍光灯の白さまで少し古い。人が通るための廊下ではなく、記録を眠らせるための通路だった。


 刃たちは金属扉の前で止まった。

 同行は四人ではない。レイラは上で窓口を切っている。朝から殺到している連絡を、全部ひとりで捌くとは言わなかったが、少なくとも「今ここへ来るより向いている」のは事実だった。


『終わったら連絡して。面倒が増えたら、そっちはミラに投げていい』


 さっき届いたその一文を思い出し、刃は少しだけ口元を緩める。

 あの言い方で、本当にミラへ全部投げる気はない。要するに、こっちはこっちで進めろということだ。


「笑うと怖いですよ」


 ミラが小声で言った。


「笑ってねえ」

「今、ちょっとだけ笑いました」

「気のせいだ」

「観測しました」


 いつもの調子で返しながらも、声は低い。

 ここでは全員、自然と音量を落としていた。


 ガレスが周囲を一度だけ見た。

 監視カメラの位置、死角、出入口、扉の厚み。確認する視線が完全に現場のそれだ。


「時間は」

「三十分」


 ミリアが職員カードを端末へかざしながら答える。


「正確には二十八分です。開庫処理の立ち会い名目で入れますが、監査ログは残る。長居はできません」

「十分だ」

「その台詞、今日は信用していいんです?」

「駄目か」

「……少なくとも私よりは落ち着いているみたいですね」


 ロックが外れる。

 金属扉が低く唸って開いた。


 中は想像より広かった。

 棚、棚、棚。可動式書架が幾列も並び、その間に細い通路が走る。紙箱、マイクロフィルム、旧式端末、劣化防止ケース。記録媒体の世代差が、そのまま協会の歴史になって積まれていた。


「うわ」


 ミラが小さく息を漏らす。


「好きそうだな」

「嫌な意味で好きです。こういう場所、大体ろくな隠し方してません」

「褒めてないですよね?」

「はい」


 ミリアは端末を見ながら通路を進む。


「件名索引から逆引きできるのはここまでです。第一世代特別深層遠征の主棚、その関連保全記録、あと補助索引」

「名簿本体は?」

「管理番号だけ生きています。現物は“欠落扱い”」

「便利な言葉だな」


 刃が言うと、ミリアは疲れた顔で頷いた。


「記録を消したと言いたくない時に、組織がよく使います」


 棚番号に従って辿り着いた区画には、他と違う空気があった。

 埃が薄い。最近触られたわけではない。だが、長年放置された棚特有の均一さがない。時間を置いて何度か、人の手が入っている感じだ。


 ガレスが最初に気づいた。


「抜いたな」


 ミラが顔を上げる。


「何が」

「箱じゃない。束で抜いてる」


 彼はしゃがみ込み、下段のガイドレールを指でなぞった。

 古い埃の線が途中で切れ、金属が少しだけ新しく見える。


「長年あった重みが消えると、跡が残る」

「分かるんですか?」

「荷物持ちだからな」


 その言い方に少しだけ笑いそうになる。

 だが、内容は笑えなかった。


 ミラが索引端末を開く。

 画面に管理番号を並べ、棚の現物と照らし合わせる。残っている番号。飛んでいる番号。備考欄の空白。数字だけでも不自然さは十分だった。


「抜け方が綺麗すぎます」


 ミラが言う。


「事故なら前後も崩れます。これ、欲しい番号だけ持ってってる」

「対象は分かるか?」

「深層遠征の名簿本体、同行記録、補助要員名簿、帰還支援記録」


 彼女は少し間を置いた。


「個人名が入るやつばっかりです」


 ミリアが紙の仮索引を広げる。

 電子側では抜け落ちているが、紙の控えには古い棚構成が少しだけ残っていた。


「こっち」


 示されたのは、名前索引の区画だった。

 五十音順に並ぶ古いカード列。紙質が違う。多分、こっちは初期に手で作られたものだ。


 刃はカードの端を見つめる。

 何枚かは欠けている。欠け方が雑ではなく、むしろ丁寧だ。破いたのではない。抜いて、残りだけ綺麗に戻してある。


「周辺を見る」


 ガレスが言った。

 刃も頷く。


 ミラがカードを一枚ずつ追っていく。名前、管理番号、参照棚。古い職員、遠征員、補助員、協力者。第一世代周辺は、個人の肩書きすら揺れている。まだ制度が固まりきっていなかった時代だ。


「これ、見て」


 ミラの指が止まった。

 一枚のカード。周囲のカードより日焼けが弱い。長く表に出ていたのではなく、別の場所から後で紛れ込んだ色だ。


 名前欄には、はっきりと書かれていた。


 八雲 剛


 刃の視線が止まる。

 喉の奥が少しだけ硬くなる。


 師匠の名前を、公的な古記録の上で見るのは初めてだった。


「……あったな」


 自分でも驚くほど、声は平らだった。


 ミリアがカードを横から覗く。


「協力員扱いです。正規隊員じゃない」


 ミラの言い方は軽かったが、目は笑っていなかった。


「でも周り見てください」


 その一言で、全員の視線がカード列へ戻る。

 八雲剛の前後、三枚ぶんだけが抜けている。名前順として不自然な欠落だ。しかも、そのさらに先のカードには別の第一世代の名前が残っている。


「ピンポイントだな」


 ガレスが言う。


「この並びだけ、後から薄くなってる」

「薄く?」

「日焼けと圧痕だ。ここだけ抜いて戻した時期が違う」


 ガレスの観察は地味だが、妙に効く。

 ミラはすぐカード裏をめくった。

 そこに参照先がある。


 管理番号。

 棚コード。

 そして備考欄。


 備考には短い印だけが残っていた。

 文字ではない。線の組み合わせ。長短の区切りで構成された、見覚えのある癖だ。


「……これ」


 ミラが息を止める。


「音声ログの区切り方と同じです」


 完全一致ではない。だが、同じ記録者が使う略号だと言われれば納得してしまう程度には似ていた。


 ミリアが眉を寄せる。


「読める?」

「本文までは無理です。でも、これ区分記号です。保全区分か、アクセス区分か、そのへん」

「現行規格じゃないな」

「はい。しかも、わざと残したみたいに半端です」


 刃はカードの備考欄を見る。

 師匠の名前。

 その周辺の空白。

 そして、今になって何度目か分からないあの“書き方”。


「参照棚を当たる」


 ミリアが言う。

 誰も異論はなかった。



 参照棚の現物は、名簿本体のあった区画よりさらに奥だった。

 可動棚のいちばん端。手入れが行き届いていないわけではない。むしろ逆だ。ここだけ掃除が雑に新しい。


「やっぱり人が触ってる」


 ミラが言う。


「嫌だな。こういう“綺麗すぎる古さ”」

「詩的な感想だな」

「研究者っぽく言うなら、保存状態の偏りです」

「そっちの方が嫌だ」


 棚には紙箱が二つ、マイクロフィルムケースが一つ。

 あるはずの三つ目の箱だけがない。仮索引の棚番と合わない。


 ミリアが唇を噛んだ。


「本当に抜かれてる」

「残りを開けよう」


 ガレスが言い、ミリアが封を確認する。

 正式封印はない。ここはまだ閲覧制限前の段階らしい。


 最初の箱には、深層装備の整備記録が入っていた。

 器材番号、搬入日、損耗率。面白くはないが、読めば読むほど一つの単語が浮く。


 帰還補助。


 器材用途欄に、何度も出てくる。

 現行協会なら“退避支援”や“緊急帰還支援”と書く場面だ。だが、ここでは一貫して同じ語が使われていた。


「完全に同じですね」


 ミラが低く言う。


「障壁で拾った言い回しと、ここ、繋がってます」

「ああ」


 刃が短く返す。


 今のやり取りだけで、少しだけ空気がましになる。

 だが、次の箱でその余裕は消えた。


 二つ目の箱に入っていたのは、物品返還票と保管猶予票だった。

 遠征後、返却されなかった私物や器材の控え。古びた紙片ばかりだ。


 ミリアが一枚を止めた。


「これ」


 票の上端は破れている。

 名前欄の半分も欠けていた。だが、下段の保管区分だけは読める。


 現地保管


 さらにその横。

 参照先として、短い追記がある。


 長野北部 山地私設保管


 刃の指が、そこで止まった。


 山。

 師匠の小屋。

 納戸。薪小屋。手を付けていない箱。帰った時には生活の空気しか見ていなかった場所。


「八雲剛の票か?」


 ガレスが聞く。

 ミリアは慎重に紙端を見直した。


「断定はできません。ただ、この票が入っていた位置は、さっきの参照棚コードと一致しています」

「十分だ」


 刃は短く言った。


 十分だった。

 ここで全部は分からない。だが、山に残っているものがある可能性は、これで偶然ではなくなった。


 ミラが別の票束をめくる。


「こっちも空いてる。というか、同じ区画の票だけ数が合わない」

「名前の周辺と同じだな」


 ガレスが言う。


「人だけじゃない。紐づく物も抜いてる」

「ええ」


 ミリアはそこで、初めて職員の顔ではなくなった。

 ただ記録を扱う人間の顔になる。


「これ、古い歴史の欠損じゃありません」


 誰も言葉を挟まない。


「今も管理されている情報です」


 その一言で十分だった。

 第一世代は昔話ではない。少なくとも協会のどこかでは、今も“現役情報”として扱われている。


 通路の向こうで、小さく電子音が鳴った。

 ミリアが即座に端末を見る。


「監査巡回です。あと五分」

「必要分は撮った」


 ミラがデータを保存する。

 完全オフライン端末へ転送。二重保存。手が早い。


 ガレスは箱を元通りに戻していた。

 刃は最後に、八雲剛のカードをもう一度だけ見た。


 名前そのものより、周囲の空白の方が重い。

 残された一枚ではなく、抜かれた数枚の方が雄弁だった。


「行くぞ」


 ガレスの声で、全員が動く。

 扉の前まで戻った時、ミリアが低く言った。


「山、ですね」


 刃は頷いた。


「ああ。師匠の小屋、もう一回見直す」

「私も行きたいです」


 ミラが即座に言う。

 刃は振り返らずに返した。


「却下だ」

「早くないですか」

「山は遊園地じゃねえ」

「分かってますけど」

「分かってない顔してる」


 後ろで、ガレスが小さく笑った気配がした。

 ほんの少しだけだが、確かに。


 だが、その軽さの下で、話はもう決まっている。

 旧記録庫の空白は、山へ続いていた。

 師匠が残したものは、まだ終わっていない。

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