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底辺探索者の手加減極意 〜最強の師匠に育てられた俺はソロでダンジョンを攻略したいだけなのに、偶然トップ配信者を助けたら世界中から注目されてしまった〜  作者: らいお
捌ノ太刀 記録の外側

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第93話「世界の値札」

 世界は、値段の付け方だけは早かった。


 翌朝。

 協会管理宿のリビングには、眠気より先に通知音が満ちていた。


 正確には、音は抑えてある。全部バイブだ。だが、机の上に並んだ端末が小刻みに震え続ける様子だけで、静かとは言い難い。見ているだけで気が削れる類の騒がしさだった。


 刃はソファに深く座ったまま、紙コップのコーヒーを啜る。

 苦い。薄い。ぬるい。どれもどうでもいい。どうせ味わう余裕なんてない。


 向かいでは、ミラが端末画面を一覧表示にしていた。

 企業照会、共同研究要請、会談希望、速報確認、身元照会、非公開接触。項目名だけでうんざりする。


「はい、今日の値札一覧です」


 彼女が言った。


「そんな一覧いらねえ」

「でも、もう貼られてますよ」


 レイラが即座に補足した。


「主試料、採取ルート、解析記録、音声ログ、刻印片。あと、刃本人」

「最後が一番嫌だな」

「分かる」


 ガレスが端末を覗き込みながら眉を寄せる。


「金額まで出してきたのはどこだ」

「早かったのは三件です」


 ミラが指を折った。


「国内素材連合の共同分析費。海外投資ファンド経由の独占研究支援金。あと、政府系研究機関の特別保全協力費」

「言い換えが上品なだけで、全部『寄越せ』だろ」

「はい」


 その返答が早すぎて、少し笑えた。

 笑えたが、気分は良くならない。


 ミラは次の画面を出した。


「面白いのは、みんな欲しがってるものが微妙に違うところです」

「面白くはない」

「現象としてです」

「それを面白がってるって言うんだよ」


 レイラの刺し返しにも、ミラは気にせず説明を続ける。


「素材屋は主試料そのもの。学術側は採取条件と位相データ。海外資本は次の遠征への優先接触権。政府系は“保全名目で管理権限”です」

「全部嫌だな」

「全部嫌です」


 ガレスが低く言った。


「要するに、誰も今の成果だけを見ていない」

「そういうことです」


 ミラは画面を閉じずに頷いた。


深淵鉄(アビスメタル)そのものより、その先へ行ける可能性に値札を貼ってる」


 そこが、いちばん面倒だった。

 主試料だけなら、まだ物の話で済む。だが実際に狙われているのは、忘却領域の主脈に届いた四人の再現性だ。どう潜ったのか。何を見たのか。次はどこまで行けるのか。


 数字で売り買いできる顔をしていないものばかりだった。


 レイラの端末が一台、短く震えた。

 画面を見る。差出元を確認した瞬間、表情が半歩だけ冷えた。


「どこからだ」


 刃が聞く。

 レイラは端末を裏返さず、そのまま答えた。


神盾機関イージス・コーポレーション本部法務」

「……お前んとこも元気だな」

「うん。朝から無駄に」


 彼女は着信を受けた。

 スピーカーにはしない。だが、声色だけで十分だった。


「おはようございます。はい、生きてる。だから何」


 短い沈黙。

 それから、さらに声が冷える。


「独占窓口? 断る。今の私は会社の案件担当じゃない」


 ミラが思わず顔を上げる。

 ガレスは無言。刃だけがコーヒーを置いた。


「主試料は協会保全立ち会いで預託中。アクセス権限はない。解析記録も出さない。……ええ、知ってる。でも、会社都合はそっちで処理して」


 相手はまだ喋っているらしい。

 レイラは最後まで聞き、最後だけ少しだけ笑った。


「それと、私個人への特別待遇提案もいらない。安いから」


 そこで通話が切れた。


 ミラが目を丸くする。


「最後、何て?」

「安いって言った」

「強いですね」

「安かったから」


 淡々としている。

 だが、本気で切っている時の声だと分かる。


 ガレスが聞いた。


「どう出た」

「独占窓口の設置。次遠征の優先調整。素材解析の先行共有。全部断った」

「揉めるぞ」

「知ってる」


 レイラはそこで初めて小さく息を吐いた。


「でも、ここで線を引かないともっと面倒になる」


 その通りだった。

 大きいところほど、最初に一歩だけ踏み込んでくる。そこで拒否線を曖昧にすると、次は前提みたいな顔で二歩目が来る。


 刃は机の上の端末群を見た。


「で、他は」

「大学連合が共同論文名義」

「いらねえ」

「海外研究機関が機材提供付きの共同観測」

「いらねえ」

「国内メディア企業が遠征密着独占」

「論外」

「政府系が“国家安全保障上の保護対象”指定の打診」


 そこだけ、刃は即答しなかった。

 ガレスも同時に顔を上げる。


「保護名目で囲う気か」

「十中八九そうです」


 ミラが言う。


「囲って、管理して、優先権をつける。言葉は綺麗ですけど」


 レイラが冷えた声で続けた。


「檻は檻」


 その一言で十分だった。

 地上側の圧力は、金だけではない。肩書きと制度と善意の顔をした管理まで含めて詰めてくる。


 ノックが三回。


 全員の視線が扉へ向いた。

 ガレスが最初に立つ。確認モニターを見る。肩の力を半歩だけ抜いた。


「ミリアだ」

「通して」


 レイラが言う。

 扉が開き、ミリアが入ってきた。今日は昨日よりさらに寝ていない顔だった。資料端末と紙束を抱え、歩き方だけが仕事で持っている。


「朝から失礼します」

「朝から嫌そうな顔してますね」


 ミラが言うと、ミリアは苦笑もしなかった。


「ええ。嫌な知らせを持ってきたので」

「だろうな」


 刃が言う。

 良い知らせなら、わざわざこの顔では来ない。


 ミリアは資料を机へ置いた。


「まず、対外圧力について。企業、学術、海外、政府系、全部想定通り増えています。理事会内でも主導権争いが激化しました」

「具体的には」


 ガレスが聞く。

 ミリアは指で資料を切り替える。


「監督部門は国家案件化を推したい。素材分析部門は限定開示で解析を進めたい。広報は成功事実だけ先に出して主導権を握りたい。法務は全員黙れと言っています」

「いつもの協会ですね」

「ええ。いつもより規模が悪いだけです」


 そこに、ミラが割って入る。


「資料制限の件、そっちでも把握してます?」

「……黎明期アーカイブの閲覧制限移行のこと?」

「はい」


 ミリアは一瞬だけ目を細めた。


「把握しています。というより、それを伝えに来ました」


 部屋の空気が変わる。


「今朝方、旧記録庫の深層遠征資料群に一括の閲覧制限がかかりました。理由は“再評価の必要”」

「雑だな」


 刃が言う。

 ミリアも同意だったらしい。


「ええ。雑です。だから逆に分かりやすい」


 彼女は紙束の上から一枚だけ抜き出した。

 古い索引票のコピー。文字は掠れているが、件名欄だけは読める。


「前例を探していました」


 ミリアの声が少しだけ低くなる。


「今回の主試料保全、遠征成功時の公開範囲、国家案件化の是非。全部で“過去に類例があるか”を理事会が言い始めたので」

「あったのか」


 ガレスが聞く。

 ミリアはすぐ答えない。

 代わりに、その紙を机の中央へ置いた。


 件名欄。

 そこにあったのは、短い一行だけだった。


 第一世代特別深層遠征 名簿


 ミラが身を乗り出す。


「名簿?」

「正確には、その索引だけ残っていました」

「中身は」


 レイラの問いに、ミリアは数秒だけ黙った。


「欠落しています」


 今度は、誰もすぐに喋らなかった。


「丸ごとか」


 刃が聞く。

 ミリアは頷く。


「名簿本体、同行記録、付属報告。肝心の個人名が入る資料群だけが抜けている。残っているのは件名と管理番号、それから関連棚番号の痕跡だけです」

「消えた、じゃなくて」


 ミラが低く言う。


「抜かれた感じですね」

「私もそう見ています」


 ガレスが索引票を見る。


「いつのものだ」

「黎明期後半。第一世代の活動がまだ公的にまとめられていた頃です」


 刃の視線が、件名欄から動かない。

 第一世代。

 深層遠征。

 名簿。

 今になって、一番欲しい形の資料だけが抜けている。


「まだある」


 ミリアがもう一枚、別の紙を出した。


「関連資料の索引に、補助記録欄がありました」


 そこにも掠れた文字。

 だが、ある単語だけは読める。


 帰還補助


 ミラの指先が止まる。

 レイラの視線が細くなる。

 ガレスは何も言わない。刃だけが、ゆっくり息を吐いた。


「……繋がったな」


 完全ではない。

 だが、ただの偶然と言い張るには、もう並びすぎている。


 ミリアは頷いた。


「ええ。だから、理事会の一部が慌てています」

「前例があって、しかも隠れてた」

「そうです」


 レイラが紙を引き寄せた。


「旧記録庫、まだ入れる?」

「正式には面倒です」

「非正式には?」

「はぁ……今日のうちは無理」


 ミリアは疲れた顔のまま答えた。


「でも、完全封鎖の前に動ける余地はあります。明日、開庫処理の立ち会いが入る」

「その場に行ける人間は」

「私が一人。あと、補助で二名まで」


 ミラがすぐ手を挙げた。


「行きます」

「だろうな」


 ガレスが呆れずに言う。

 もうそこは前提らしい。


 刃は机の上の索引票を見る。

 世界は値札を貼ってくる。

 だが、その前に、誰かが昔の値札ごと記録を剥がしていた。


 外では金額が動く。

 内側では名前が消える。

 どっちも、同じ匂いがした。


「明日だな」


 刃が言うと、ミリアは短く頷いた。


「ええ。旧記録庫を見ます」


 件名だけが残った第一世代の名簿は、机の上でひどく軽く見えた。

 だが、その軽さの方が、かえって不自然だった。

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