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底辺探索者の手加減極意 〜最強の師匠に育てられた俺はソロでダンジョンを攻略したいだけなのに、偶然トップ配信者を助けたら世界中から注目されてしまった〜  作者: らいお
漆ノ太刀 忘却領域遠征

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第77話「世界の思惑」

 最終判断の通達を待つ四十八時間は、静かに過ぎるはずだった。

 補給計画は出した。解析計画も出した。同行者も決めた。あとは理事会の返答を待つだけ——そのはずだった。

 しかし、世界の方が待てなかった。



◇ ◇ ◇



 選抜試験を終えてアパートに戻った日の夕方。刃の携帯は、机の上で休みなく震え続けていた。

 画面を開く。通知の山。知らない番号。知らないメールアドレス。ニュースアプリの速報。SNSの急上昇ワード。

 見覚えのあるタグが、また最上段にいた。


 「#最強のポーター」。


 その隣に、新しいタグが増えている。


 「#忘却領域遠征」

 「#特級制度」


 嫌な予感しかしなかった。

 ニュースサイトのトップを開く。


 『八雲刃氏、国定ダンジョン深部遠征か——協会が監督条件を調整中との情報』

 『探索者協会、既存ランク外の新制度を検討 仮称「特級」』

 『忘却領域フォーゴットン・ゾーン共同調査に企業各社が関心』


 刃は携帯を伏せた。缶コーヒーを開ける。苦い。うまい。ニュースだけがまずい。

 通知は止まらない。メールを一通だけ開いた。


 件名:『共同調査のご提案』

 本文:『忘却領域の踏査は、個人や少数チームで背負うにはあまりに公共性が高い案件です。弊社としても観測班と護衛班の派遣を——』


 閉じた。

 次を開く。


 件名:『深淵鉄(アビスメタル)に関する優先交渉権のお願い』

 本文:『採取予定素材が高純度の深淵鉄(アビスメタル)である場合、帰還後の保管・解析・買付を含めて包括契約を——』


 閉じた。

 次。


 件名:『密着取材のお願い』

 本文:『出発前の短時間インタビューのみで構いません。八雲氏が「特級」制度の対象であるとの噂について一言だけ——』


 刃は携帯を裏返した。


「……面倒だ」


 独り言のように漏れた言葉に、玄関の方から返事が来た。


「その通り」


 ドアが開いて、レイラが入ってきた。

 神盾機関イージス・コーポレーションの白いスーツ。髪は後ろでまとめられ、左手にはノートPC、右手には業務用と私用らしき二台の端末。完全に仕事の顔だった。

 部屋に入るなり、テーブルに機材を並べる。慣れた動きだ。探索者というより、危機管理責任者のそれだった。


「状況、悪いのか」


 刃が聞くと、レイラは即答した。


「悪い。というより早い」


 ノートPCが開かれる。画面にはニュース一覧、SNSトレンド、協会広報への照会ログ、企業からの接触記録。色分けまでされていた。


「漏れたのは、遠征の存在そのものと、行き先が六十八層以降だってこと。具体ルートも、撤退基準も、採取条件も出てない。でも、それで十分だった」


 レイラが画面を指でなぞる。


「メディアは三種類。純粋な取材、煽り系、実況化したい配信系。企業は二種類。スポンサー名義で食い込みたいところと、共同調査名義で成果を分けたいところ」

「協会は」

「もっと面倒」


 レイラの声が、少しだけ冷えた。


「監督部門は『管理実績』が欲しい。広報部門は『失敗した時の批判回避』が欲しい。理事会の一部は、あなたの肩書きを先に固めないと運用できないって言ってる」

「……肩書き」

「『測定不能』のまま遠征に出す方が、組織的には怖いってこと」


 携帯が鳴った。レイラの仕事用端末だった。着信表示は、見覚えのない企業名。

 レイラはスピーカーにもせず、そのまま出た。


「レイラ・フロストヴェールです」

「——はい」

「お断りします」

「ですから、お断りします。共同調査ではありません。公式監督下の遠征です」

「装備提供も不要です。人員追加も不要です。素材の優先交渉権も認めません」

「……はい。失礼します」


 通話は四十秒で終わった。

 レイラは端末を机に置き、次のメールに返信を打ち始める。指が速い。氷術の展開より速いのではないかと思うほどだった。


「忙しそうだな」

「忙しい」

「……なら帰っていいぞ」

「帰らない」


 即答だった。


「今日はここで全部切る。あなたの番号に直接来るやつも、私の方に流せるだけ流す」

「そんなことまでできるのか」

「神盾機関の名義と、協会側の仮窓口、両方使えばある程度はできる」


 レイラが一度だけ顔を上げた。


「言ったでしょう。面倒なことは、私が全部引き受けるって」


 刃は缶コーヒーを一口飲んだ。苦い。うまい。

 この女は本当に、言ったことをやる。


 その時、今度は刃の携帯が鳴った。画面には、ミリアの名前。

 刃が出る前に、レイラが目だけで「出て」と合図した。


「……何ですか」

「八雲さん。理事会の決定が出ました」


 ミリアの声はいつも通り事務的だった。しかし、その奥に張り詰めたものがあった。


「非公開の事前通知になります。三十分後、本部に来られますか」

「行けます」

「レイラさんも同席可能です。詳細は現地で」


 通話が切れた。

 刃とレイラが目を合わせる。


「はぁ……行くか」

「行こう」



◇ ◇ ◇



 協会本部の裏口は、正面玄関よりも騒がしかった。

 表に報道陣が集まりすぎた結果、裏の搬入口にまで関係者らしき人間が流れてきている。スーツ姿の男女。カメラは持っていないが、目つきが記者のそれではない。情報を嗅ぎつけた企業側の人間だろう。

 ミリアが事前に通していたらしく、警備員が二人、無言で刃とレイラを通した。


 案内されたのは、いつもの会議室ではなかった。管理棟の一角にある小さな応接室。窓はなく、壁は薄い灰色。外の喧騒を切り離すためだけに作られたような部屋だった。

 室内にいたのは二人。ミリアと、広瀬理事。

 荒木理事はいなかった。


「お呼び立てして申し訳ありません」


 広瀬理事が穏やかな声で言った。穏やかだが、目の奥に疲れがある。つい今しがたまで理事会で揉めていた顔だった。


「結論から申し上げます」


 ミリアがタブレットを開いた。


「国定ダンジョン六十八層以降への遠征申請は、条件付きで正式承認されました」


 レイラが息を少しだけ吐いた。刃は黙って聞く。


「監督条件は、先日の協議で確定した内容を維持します。十八時間ごとの定時報告、ビーコン四基、位置・時刻・環境指数の送信、行動原則および撤退基準の事前提出」

「追加条件は?」

「ありません」


 ミリアが一拍置いた。


「追加しようとした方はいましたが、否決されました」


 荒木の顔が脳裏に浮かぶ。刃は何も言わなかった。

 代わりに、広瀬理事が続けた。


「もう一点。こちらが本題です」


 広瀬理事の前に置かれていた書類が、こちらへ向けられた。

 見出しは簡潔だった。


 『新規ランクカテゴリ創設に関する決議』


「理事会は本日、既存ランク体系の外側に位置する新カテゴリ——『特級』の創設を正式承認しました」


 刃は一瞬、無言になった。

 面倒な予感しかしなかったが、とうとう文字になって出てきた。


「八雲さん」


 ミリアが、いつもの調子で告げる。


「あなたは遠征期間中、探索者協会登録上『特級探索者(暫定)』として運用されます」


 沈黙。


「……面倒だ」


 刃は、ようやくそれだけ言った。

 ミリアが小さく頷く。


「承知しています」

「了承を取る気は」

「制度運用上、分類不能のまま国家管理ダンジョンの深部遠征を許可する方が、もっと面倒です」


 あまりにまっすぐな事務回答で、刃は反論する気を失った。

 広瀬理事が困ったように笑う。


「名誉称号のように聞こえるかもしれませんが、実際は逆です。既存制度で処理できないものを、管理のために箱へ入れる。それが今回の『特級』です」

「箱が増えただけか」

「そうとも言えます」


 レイラが口を開いた。


「公表はいつですか」

「明日の午前十時です」


 ミリアが答える。


「協会が制度創設と暫定登録、遠征実施を同時に発表します。それまでは非公開です。ただし——」

「もう漏れている」

「はい」


 ミリアのジト目が、わずかに細くなった。


「内部で功績争いが起きています。監督部門、広報部門、外部連携部門。それぞれが自分たちの管理実績として遠征を押さえたがっています」

「荒木理事は?」


 刃が聞くと、広瀬理事が代わりに答えた。


「追加監視と外部人員の同伴を最後まで主張されました。企業連携の窓口を広げる案も出しましたが、理事長が退けました」

「珍しいな」

「珍しいです」


 広瀬理事は正直だった。


「ですが、今回はそれでは遅い。準備をしているのは、協会ではなくあなた方ですから」


 刃は少しだけ、この人を見直した。

 少なくとも、話が通じない相手ではない。


 ミリアが薄いカードケースを差し出した。


「仮登録証です。公表前なので、持ち出しは推奨しませんが、緊急時の館内通行権限が付与されています」


 刃は受け取った。中には簡素なカードが一枚入っている。

 名前欄に「八雲刃」。階級欄には、短く一語。

 『特級(暫定)』


「……本当に作ったのか」

「作りました。事務は、決まったことを処理するのが仕事ですので」


 レイラが横から覗き込み、少しだけ笑った。


「似合わないね」

「うるさい」


 しかし、そのやり取りのすぐ後に、ミリアの声がまた事務的な硬さに戻る。


「もう一つ。出発前までは、単独行動を極力控えてください。正面玄関にはすでに報道が来ています。企業関係者も張り付いています」

「今も外にいるのか」

「います」

「やっぱりあそこにいた連中か……面倒だな」

「同感です」


 ミリアが言うと、レイラが立ち上がった。


「裏ルートで出ます。車は使わない。追跡される」

「徒歩ですか」

「地下連絡通路を使う。地上に出る場所は変える」


 ミリアが一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。


「……了解しました。警備には共有しておきます」



◇ ◇ ◇



 地下連絡通路の空気はひんやりしていた。コンクリートの壁。蛍光灯。人の少ないサービス動線。正面ロビーの熱気が嘘のように静かだった。

 しかし、完全には切れていなかった。

 地上へ出る直前の扉の前に、スーツ姿の男が二人立っていた。

 企業の人間だ。警備の制止をぎりぎり越えない場所で待ち構えている。情報の嗅ぎつけ方が早すぎる。


「八雲氏に一言だけ」


 年上の男が名刺を差し出しかけた。レイラが半歩前に出る。


「無理です」

「共同調査の件で——」

「無理です」

「装備提供だけでも」

「不要です」

「ではせめて、帰還後の素材解析権だけでも——」

「なおさら無理です」


 レイラの声は平坦だった。怒っていない。冷えているだけだ。その冷たさの方がよほど断絶を作る。

 男たちはまだ何か言いたそうだったが、レイラが視線を向けた瞬間、口を閉じた。Sランク探索者としての圧ではない。もっと社会的な、拒否の圧だった。


 外に出る。

 地上は夕方の色に沈み始めていた。通用口の前にカメラはいない。レイラの読み通りだ。

 刃はようやく息を吐いた。


「お前、本当にこういうの向いてるな」

「嬉しくない褒め方」

「褒めてはいる」

「じゃあ受け取っておく」


 歩きながら、刃の携帯が震えた。ガレスからだ。


 『肩書きが増えても荷は軽くならん。準備だけ見ろ』


 短い。ガレスらしい。

 その直後、ミラからも来た。


 『理事会、通った? 通ったよね。でないと私の採取計画が宙に浮く :)

  あと「特級」って本当に作ったの? 作ったなら計測機器の規格書、全部書き直しだね。面白いけど面倒そう :()

  必要なら今夜、媒体向けに出せる説明文の理系版を作るよ』


 面倒な仲間たちだ。

 しかし、その面倒さはいつも通りだった。世界が騒がしくなっても、こいつらの温度は変わらない。

 それだけで、少し楽になる。



◇ ◇ ◇



 夜。

 刃のアパートの窓の外には、見慣れない車が一台停まっていた。報道か、企業か、あるいはその両方か。レイラはカーテンの隙間から一度だけ確認し、それ以上は見なかった。

 見ても減らないものは、見ない方がいい。そういう判断も、この数日で板についてきている。


 テーブルの上にはノートPCが二台。レイラは協会の明日公表予定の文面案を確認し、刃は缶コーヒーを飲みながら、必要な持ち物を頭の中で並べていた。


「明日の十時に公表」


 レイラが画面を見たまま言う。


「そこから一気に来る。取材も、問い合わせも、批判も、持ち上げも」

「面倒だな」

「うん。でも、線は引ける」

「引けるか」

「引く」


 レイラはそこでようやく顔を上げた。


「あなたは遠征の準備だけして。外は私が切る」

「全部は無理だろう」

「全部は無理。でも、あなたの歩く道くらいは守れる」


 刃は返事をしなかった。

 缶コーヒーを飲み干す。苦い。うまい。

 世界がどれだけ騒いでも、この味だけは変わらない。


 その時、携帯が一度だけ震えた。

 電話でも、いつものメッセージアプリでもない。古いショートメッセージ形式の通知だった。

 刃は眉を寄せて画面を開く。


 差出人表示は空欄。

 番号もない。

 あるのは、本文の一行だけだった。


 『忘却領域の先へ行くな』


 刃の指が止まった。


「どうしたの」


 レイラが問う。

 刃は無言で画面を見せた。

 レイラの目が細くなる。


「……誰?」

「分からない」

「いたずら?」

「違う気がする」


 刃は画面を見つめたまま答えた。

 脅し文句なら、もっと別の言い方がある。『行けば死ぬ』でも、『やめろ』でも、『監視している』でもいい。

 だが、この文面は違った。

 忘却領域を知っているだけでは足りない。その「先」があることまで知っている言い方だった。


 レイラが静かに言う。


「忘却領域の先を、そう呼ぶ人間は少ない」

「ああ」


 刃は携帯を伏せた。部屋の空気が、少しだけ冷えた気がした。

 企業の営業ではない。記者の煽りでもない。協会の警告とも違う。

 もっと別の誰かだ。


 忘却領域の先を知っている誰かが、こちらを見ている。


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