第76話「選抜試験」
理事会からの最終判断通達まで、一日弱を残した頃。
朝八時。第一魔導学園の模擬迷宮棟Bには、普段より少ない人数しかいなかった。
立ち入り許可を持つ者だけが入れる閉鎖訓練区画。コンクリートの壁、可動式の遮蔽板、魔素投影用の発生器。実戦を模した短時間試験には十分な設備だった。
刃は壁際に立ち、左手に刀袋を提げたまま時計を見た。
レイラ、ガレス、ミラ、セラ、ルーカス。全員、時間通りだった。
「ルールは三つ」
刃が短く言う。
「一つ。試験時間は各八分。二つ。目的は殲滅じゃない。指定物と指定人員を持ち帰ること。三つ。危険行動は俺が止める。止めた時点で失格」
ルーカスが息を呑んだ。
セラは腕を組み、いつもの穏やかな目で全員を見回す。
ミラは端末を起動し、ガレスは壁に貼られた簡易マップをすでに暗記し終えていた。
「試すのは、忘却領域向けの適性だ。強いかどうかは二の次」
刃は発生器の方へ視線を向ける。
「始める」
一本目は、ルーカス単独。
内容は単純だった。擬似魔獣の妨害を受けながら、奥の区画に置かれた「素材ケース」を回収し、負傷者ダミー一体を連れてスタート地点へ戻る。
時間制限は八分。素材ケースには温度管理センサーが入っていて、閾値を超えた時点で失敗扱いになる。
「行きます!」
ルーカスが飛び出した。
最初の二分は見事だった。足運びは軽く、剣筋も無駄がない。擬似魔獣三体を最小動作で抜け、遮蔽板の間を滑るように進む。
セラが小さく頷く。
「速い。以前より体幹が安定していますね」
レイラがモニターを見ながら答える。
「踏み込みの癖が減ってる。刃の基礎をちゃんと吸収してる」
五分経過。
ルーカスは素材ケースの回収に成功した。ここまでは完璧に近い。
問題は帰路だった。
発生器が地形変動を模した可動壁を作動させ、ルートが二つに分かれる。左は遠回りだが安全。右は最短だが、擬似魔獣の湧きが濃い。
ルーカスは右を選んだ。
「……最短を取りましたね」
ミラが呟く。
ガレスは無言でタイマーを見た。
ルーカスは戦いながら押し切ろうとした。剣は速い。判断も遅くない。
だが、素材ケースを抱えた状態での連戦は想定より重い。温度管理の姿勢が崩れ、センサーが警告音を鳴らした。さらに負傷者ダミーの保持が甘くなり、段差で一度落としかける。
残り四十秒。出口まで十五メートル。
ルーカスは最後に加速したが、帰還判定のラインを踏んだ時、タイマーは零になっていた。
終了音が鳴る。
ルーカスはその場で膝に手をつき、荒く息を吐いた。
「……ダメ、でした」
刃は近づいて、ケースのセンサー表示を見た。
温度逸脱一回。ダミー姿勢崩れ二回。時間超過。
合格条件には届かない。
「前半は良かった」
刃が言う。
「でも後半で、目的を忘れた」
ルーカスが顔を上げる。
「倒し切れば近道できると思いました」
「思考は分かる。だが今回は、勝つ試験じゃない。持ち帰る試験だ」
刃はルーカスの肩を軽く叩いた。
「お前は強くなってる。だからこそ、今は来るな。遠征の現場で覚えるには高すぎる代償がある」
そもそも刃はルーカスを連れて行くとは元々判断していなかった。第一魔導学園の場所を借りる以上、礼儀として試験させたにすぎない。
しかし、ルーカスの成長は刃の想像以上だった。そんな若い芽を、今摘んでしまうのは勿体無い。改めて、同行を認めるわけにはいかなかった。
ルーカスは悔しそうに唇を噛んだ。
それでも視線は逸らさなかった。
「……次は通します」
「通すのは遠征じゃない。まずはこの学園の実地訓練で、目的優先の癖を身体に入れろ」
「はい!」
短い返事だったが、声は折れていなかった。
セラが一歩前に出る。
「ルーカスくん、今日はここまでです。悔しさは持って帰って、次のメニューに使いましょう」
「了解です」
次はセラの確認だった。
彼女は剣を抜かない。代わりに、後方支援計画の草案を机に広げた。
帰還予定日の可変幅、受け入れ医療班の編成、補給ドローンの待機座標、連絡断発生時の代替連絡網。戦場に同行しなくてもできる支援を、迷いなく積み上げている。
「私は前に出ません」
セラはきっぱり言った。
「教育者として、ここを守ります。ルーカスたちの基礎訓練、帰還後の受け入れ、情報整理。前線に一人増やすより、後方を崩さない方が全体生存率は上がる」
ガレスが頷いた。
「正しい」
レイラも同意する。
「助かります。帰る場所が整ってるのは、前に出るより重い支援です」
セラは小さく笑った。
「生徒を送り出す役は、慣れていますから」
後半は、遠征本隊候補の連携確認だった。
ガレスは護衛線を引くのが速かった。可動壁が閉じる寸前で立ち位置をずらし、逃げ道を一本残す。声も短い。
「左三歩。止まるな。引く」
それだけで隊列が整う。
撤退指揮の軸がぶれない。
ミラは解析区画で本領を見せた。センサーのノイズを二分で補正し、回収候補の純度を三段階で分類。封入処理は五十七秒。鉄爺が示した「六十秒以内」の基準を、実地で切ってきた。
「位相安定剤、注入完了。搬送可能です」
彼女の声は明るいが、手は一切遊んでいない。
研究者の好奇心と現場の実務が、やっと噛み合っていた。
全試験が終わったのは、十時を少し過ぎた頃だった。
模擬迷宮棟の照明が通常モードに戻り、発生器の唸りが止む。残ったのは、汗の匂いと、端末の冷たい光だけだ。
刃は全員を見渡した。
ルーカスは悔しさを抱えたまま真っ直ぐ立ち、セラはその半歩後ろで静かに見守っている。ガレスは腕を組み、ミラはタブレットを抱え、レイラはいつもの蒼い目で刃を見ていた。
師匠の手紙の最後の一行が、頭の奥で反復する。
連れて行く相手を間違えるな。
「決める」
刃の声で、空気が少し締まった。
「ルーカス。今回は同行なし。理由は能力不足じゃない。任務の優先順位が、まだ実戦で安定しない」
「……はい」
「セラ先生。後方連携をお願いします。帰還側の中継と受け入れを任せたい」
「承知しました、大役ですね」
刃は次に、ガレスとミラへ視線を向ける。
「ガレスは前衛護衛と撤退指揮」
「了解」
「ミラは解析・記録・素材管理」
「了解。数字で帰します」
最後にレイラ。
「レイラは感知、広域制御、対外窓口」
「任せて」
刃は短く息を吐いた。
迷いはなかった。
「改めて、今回は四人で行く」
遠征メンバーが確定となった。




