第73話「条件付き同行」
翌朝九時四十分。
協会本部管理棟のロビーは、平日の朝にしては妙に人が多かった。
受付前の導線が一部封鎖され、警備員が増員されている。視線の流れも、以前と違う。通りすがりの職員が、刃とレイラを見てから、すぐに目を逸らす。見てはいけないものを見た時の反応だ。
刃は刀袋を左手で提げ、缶コーヒーを飲んだ。
レイラは神盾機関の白いフォーマルジャケットを着ている。髪は後ろでひとつにまとめ、端末を手に持っていた。
今朝、ガレスとミラから短い連絡が来ている。
ガレス:『補給計画の叩き台を送った。数字は盛ってない』
ミラ:『地形不確定域の想定ルート三本。全部、死なない方優先』
二人とも会議には同席しない。協会側が求めたのは「当事者二名のみ」だった。
つまり、刃とレイラだけで線を引く場だ。
「緊張してる?」
レイラが小声で聞いた。
「面倒だとは思ってる」
「それはいつも」
レイラが小さく笑った時、エレベーターの扉が開いた。
ミリアが出てくる。いつもの無表情、いつものジト目、いつものタブレット。
「おはようございます。時間通りですね」
「遅れる理由がないからな」
「助かります」
ミリアは二人を見比べた。
「本日の面談は理事会事前協議です。議題は三点。遠征監督体制、情報公開範囲、緊急時介入権限。発言内容は記録されます」
エレベーターに乗る。
上昇中の無音が長く感じた。
「理事長は?」
レイラの質問に、ミリアは画面を見たまま答えた。
「本日は同席しません。最終決裁のみ参加予定です。荒木理事、広瀬理事、監督部門責任者一名、法務一名が出席します」
刃は鼻で息を吐いた。
「荒木がいるなら、荒れるな」
「可能性は高いです」
三階で扉が開いた。
案内されたのは、理事会本会議室ではなく中規模の協議室だった。壁は白、照明は明るすぎるほど明るい。中央に長方形のテーブル。奥側に理事二名、左右に担当者。手前側に刃とレイラの席が用意されている。
荒木理事は相変わらず鷹の目だった。
広瀬理事は相変わらず穏やかな顔をしている。
「着席を」
荒木理事の一言で会議が始まった。
ミリアが議事進行を担当する。
「事前協議を開始します。案件名、忘却領域遠征実施可否に関する条件調整。申請者、八雲刃氏。協力者、レイラ・フロストヴェール氏」
荒木理事がすぐに口を開いた。
「先に確認します。貴殿らは、国定ダンジョンの六十八層以降——忘却領域への潜行を計画している。相違ないですね」
「ない」
刃が答える。
「ただし目的は明確です。深淵鉄の採取と、必要情報の回収。無差別調査や踏破記録更新が目的ではありません」
レイラが続けた。
「神盾機関としても、同行は必要最小限で申請しています。過剰戦力の投入はしません」
荒木理事は指を組んだ。
「言葉は立派だ。では条件を提示します」
モニターに資料が映る。
条件は五項目だった。
一. 定時報告(十二時間ごと)
二. 緊急ビーコン常時携行(隊員ごとに一基)
三. 生体テレメトリ送信
四. 遠征ルート事前提出
五. 遠征中の対外情報開示を協会窓口へ一本化
刃は三を見た瞬間、眉を寄せた。
「生体テレメトリは無理だ」
荒木理事が即座に返す。
「理由は?」
「俺の魔素データは正常値の枠に収まらない。常時送信すると、協会サーバー側が先に死ぬ」
監督部門の男が咳払いした。
「……その可能性は、審査時ログでも示唆されています」
荒木理事は表情を変えない。
「なら低頻度送信で」
ミラがいない場で、レイラが代わりに数字を出した。
「低頻度でもノイズが大きすぎる。代替案を出します。生体は送らない。代わりに、位置と時刻、環境指数だけを送る」
「位置情報だけで、何が分かる」
「最低限の生存確認と、救助導線の確保ができます」
広瀬理事が初めて口を挟んだ。
「荒木理事、そこは現実的な落としどころでしょう。データ量を絞るべきです」
荒木理事は無言で次の項目に進んだ。
「遠征ルート事前提出。これも必須です」
刃が短く答える。
「深部は地形が変わる。固定ルートは作れない」
「では白紙で行くと?」
「分岐ごとの選択基準は提出する。具体座標は現地更新だ」
法務担当の女性が資料をめくる。
「規約上、変動地形域では『行動原則提出』で代替可能です。座標固定は義務ではありません」
荒木理事の目が細くなった。
「……了解。では行動原則と撤退基準の提出を必須とする」
ミリアが記録する。
「採用します。次に、定時報告とビーコン」
ここは大きな争点にならなかった。
刃はビーコン携行を受け入れ、報告間隔は十二時間から十八時間に調整された。忘却領域で通信断が起きる前提を協会側も認めた形だ。
残ったのは、最後の項目。
情報公開。
荒木理事が視線をレイラへ向ける。
「貴女は既に注目対象だ。八雲氏はそれ以上だ。隠蔽はもはや不可能。ならば、最初から公開すべきでは?」
レイラは一拍置いて答えた。
「公開はします。ですが、公開するのは『遠征の事実』と『監督体制』までです。具体ルート、装備、採取手順、帰還条件は非公開」
「それでは世論が納得しない」
荒木理事の言葉に、刃が口を開いた。
「世論を満足させるための遠征じゃない」
室内の空気が少し張る。
「目的は持ち帰ることだ。深淵鉄と、必要な情報。見世物にした瞬間、全員が死ぬ確率が上がる」
荒木理事が刃を見た。
「その言い方は、我々を信用していないように聞こえる」
「信用と手順は別だ。俺たちは生還率で決める」
広瀬理事が軽く手を上げた。
「十分でしょう。公開範囲を事前合意して、それを逸脱しない。協会窓口一本化。これで運用は可能です」
沈黙が落ちる。
荒木理事はしばらく黙っていたが、やがてタブレットを閉じた。
「……本協議では、条件調整のみ行う。許可の最終決定は別です」
ミリアが議事を締める。
「本日の暫定整理を読み上げます。
一. 定時報告は十八時間間隔。
二. 緊急ビーコンは四基携行。
三. 生体テレメトリは免除、位置・時刻・環境指数のみ送信。
四. 具体ルート固定提出は免除、行動原則・撤退基準の提出を義務化。
五. 対外公開は協会窓口一本化、公開範囲は事前合意項目に限定」
ミリアは顔を上げた。
「異議はありますか」
レイラが首を振る。
刃も頷いた。
荒木理事は最後に言った。
「八雲氏。貴殿の存在は、既に一人の問題ではない。忘れるな」
刃は答えなかった。
ただ短く会釈して席を立った。
廊下に出ると、レイラが長く息を吐いた。
「疲れた」
刃は自販機の前で立ち止まり、缶コーヒーを二本買った。一本をレイラに渡す。
「ありがと」
「今日はよく喋ったな」
「あなたが喋らない分をね」
そこへ、ミリアが追いついてきた。
「おふたりとも」
タブレットを抱えたまま、事務的な声で告げる。
「理事会から正式通知です。遠征許可の最終判断は、四十八時間以内に通達します」
レイラが真顔に戻った。
「……四十八時間」
「はい。追加資料の提出期限は明日十八時。ガレス氏とミラ氏が作成中の補給計画・解析計画を含みます」
刃が缶コーヒーを開ける。
「分かった。出す」
ミリアは小さく頷いた。
「以上です。……では」
去っていく背中を見送り、レイラが缶を握り直した。
「猶予二日。短いね」
刃は一口飲んだ。
「十分だ。線は引いた」
エレベーターの扉が開く。
忘却領域へ向かうまで、あと四十八時間。
進むか、止まるか。
答えは、もう決まっていた。




