第71話「最深部への道」
レイラからのメッセージに返信した翌日、二人は実際にダンジョンへ向かった。国定ダンジョンの中層。特別な理由があったわけじゃない。ただ、「行こう」と言われたから行った。それだけだ。
そのダンジョンを終えた帰り道だった。
いつもの缶コーヒーを飲みながら、夕暮れの東京を歩いている。レイラが隣にいる。探索者用のジャケットを羽織り、髪を下ろしている。ダンジョン帰りのレイラは、少しだけ疲れた顔をしている。それでも足取りは軽い。
「ねえ」
「何だ」
「今日のダンジョン、楽しかった」
「そうか」
「そうかって……もうちょっと何かないの」
「面倒だな」
「はい出た」
レイラが呆れたように笑った。刃は缶コーヒーを一口飲んだ。
しばらく歩いた。信号を二つ渡った。人通りが少なくなった。夕焼けが、ビルの隙間から差し込んでいる。
「レイラ」
「何」
「一つ、話がある」
レイラが刃を見た。声のトーンが変わったことに、気づいたのだろう。蒼い瞳が、まっすぐに刃を捉えた。
「鉄爺のところに行った時の話だ」
「鉄爺……? あぁ、刀鍛冶の?」
「ああ。最初の刀——師匠が持たせてくれたもう一方の刀。あれを鉄爺に見せた」
刃は立ち止まった。缶コーヒーを持つ手が、わずかに止まった。
「鉄爺は言った。あの刀は古代鍛造で、深淵鉄に匹敵する組成をしている、と。修理じゃ済まない。打ち直しが要る。そしてそのためには——」
「……素材が要る?」
「深淵鉄だ。ダンジョンの最深部でしか採れない」
レイラの目が、わずかに見開かれた。
「最深部……」
「ああ」
刃が歩き始めた。レイラも合わせて歩いた。
「師匠が言ってたこと、覚えてるか」
「……出自の答えが、そこにある、って」
「ああ。刀鍛冶の素材も、師匠の嘘の答えも。全部、あの場所にある」
刃は缶コーヒーを飲み干した。空になった缶を、道端のゴミ箱に投げ入れた。綺麗に入った。
「行かなきゃいけない場所が、一つになった。面倒だが——悪くない。目的地が一つの方が、楽だ」
「……いつ」
「準備ができたら。鉄爺にも、素材が手に入ったら持って来いと言われてる。急ぐことじゃない。でも——いつかじゃない。必ず行く」
レイラが立ち止まった。刃も止まった。
夕焼けが、レイラの横顔を照らしていた。銀色の髪がオレンジ色に染まっている。蒼い瞳が、夕日の光を受けて透き通っていた。
「一緒に行こう」
レイラの声は静かだった。しかし、一切の揺らぎがなかった。
「……師匠の答えも、刀の素材も、あなたの旅だ。でも——」
レイラが、刃の目を見た。
「——あなたが行くなら、私も行く。隣で歩く。それだけ」
刃はレイラを見た。夕焼けの中で、レイラは笑っていた。あの日——ダンジョンの深層で初めて出会った時と同じ目だ。あの時は「あなたの強さを教えてください」と言った。今は違う。「一緒に行こう」と言っている。追いかけるのではなく、隣に立とうとしている。
「……面倒な奴だ」
「知ってる」
レイラが笑った。
刃は歩き始めた。レイラが隣についた。二人の影が、夕焼けの道路に長く伸びた。
最深部。人類がまだ到達していないとされる場所。師匠の答えが眠る場所。古びた刀を蘇らせる素材がある場所。そして——刃自身の出自の秘密が隠された場所。
まだ先の話だ。準備がいる。仲間がいる。情報がいる。面倒なことが、山ほどある。
でも。
隣を歩く女がいる。
缶コーヒーの味は変わらない。
刀袋の中の二振りは、いつもの重さだ。
それだけあれば——十分だった。
最深部への旅が、始まろうとしていた。




