第68話「世界が動く」
それは、鉄爺の工房を出た日の夜から始まった。
レイラのメッセージに貼られていたリンクを開いた。ニュースサイトのトップ記事だった。
『合同開拓イベント妨害事件 黒剣商会元副社長ヴィクター・ドレイクの追加供述が公開——「第三者による大規模介入があった」』
記事の内容は、ヴィクターの追加供述の要約だった。
「通信妨害で配信ドローンが全停止した空白時間中に、身元不明の第三者が数百体の魔獣を殲滅した」。
「その人物はFランク探索者として合同開拓チームに帯同していた」。
「名前は——」
刃は画面をスクロールした。名前は伏せられていた。協会の情報管理が間に合ったのだろう。しかし、記事の最後にこう書かれていた。
『なお、当該探索者の身元については、協会が「調査中」としており、詳細は非公開。しかし、SNS上ではすでに複数の特定作業が開始されている模様——』
刃は缶コーヒーを飲んだ。嫌な予感がした。
◇ ◇ ◇
翌朝。嫌な予感は的中した。
SNSのトレンドに「#最強のポーター」が上がっていた。これ自体は以前にもあった。以前の合同開拓イベント後にレイラが発言した際にバズったワードだ。しかし、今回はその時とは規模が違った。
ヴィクターの追加供述が公開されたことで、「あの合同開拓イベントには、公式発表とは異なる第三者が介入していた」という事実が世界中のニュースサイトに拡散していた。そして、その事実が——SNS上の「特定班」を動かした。
誰が最初に気づいたのかは分からない。しかし、レイラの過去の配信アーカイブを掘り返す人間が現れた。千二百万人がリアルタイムで見ていたあの配信。ドローンが落ちる直前の映像。そこに——一瞬だけ映り込んだ「謎の男」。
その男については、合同開拓イベント後に一度バズっていた。「Fランクポーターが最強の動きをしていた」「#最強のポーター」——しかし、名前の確証がなく、映像は低解像度で、実名を押さえた人間はほとんどいなかった。
今回のヴィクター供述が、その流れを根本から変えた。
匿名掲示板に、改めて画質を極限まで上げた切り抜き画像が投稿された。
『この配信 12:34:7 の謎の男、結局誰だったんだ? ヴィクターの供述にある「空白時間の第三者」ってこれだろ絶対』
返信が続いた。
『合同開拓イベントの参加者リスト(公開分)にFランクのポーターが一人いる。八雲刃。前のバズの時から名前は出てたけど、今回の供述でやっと「数百体殲滅」と紐づいた』
『名前は出てたけど実績の裏付けがなかったんだよな。でも今回は違う。ヴィクター自身が「第三者が介入した」と証言してる。その第三者がFランクのポーターだった。つまり——』
『つまり八雲刃がFランクを偽装してた可能性が、かなり高い。配信映像の動きもおかしかったし』
スレッドは数時間で一万件を超えた。
翌日には、配信アーカイブの該当フレームを解析した動画が投稿された。AIによる顔認識と動体分析。そして、協会の公開データベースに登録された「八雲刃」の情報との照合。
映像の解像度は低かったが、体格の特徴は一致していた。そして何より——映像に映り込んだ男が、合同開拓イベントの記録写真に写り込んだ「Fランクポーター」のものと同一だった。
「#八雲刃」が再びトレンドに上がった。しかし今回の規模は、以前とはまるで違った。
『マジか。Fランクのポーターが、レイラの配信に出てきた「謎の最強探索者」と同一人物? 千二百万人が見た映像の男がFランク?』
『まとめると:
・八雲刃(Fランクポーター)
・今回、ヴィクター供述で「空白時間の第三者が数百体を殲滅」という事実が確定
・配信映像の人物と照合すると一致する可能性が高い
・レイラは「最強のポーター」と過去に発言
・協会は一切コメントせず「調査中」
結論:Fランクは偽装の可能性大。真のランクは不明。世界ランキング圏内の可能性あり』
バズは加速した。
探索者コミュニティだけでなく、一般のSNSユーザーにまで広がっていた。「Fランクの男が世界最強説」「十年間Fランクに偽装していた最強の探索者」——キャッチーな見出しが拡散する。テレビのワイドショーが取り上げ始めた。
刃の携帯は、通知で埋め尽くされていた。知らない番号からの着信。協会からの事務連絡。メディアからの取材依頼。全て無視した。電源を切った。
缶コーヒーを買いに、近所の自動販売機に行った。自動販売機の前に、テレビカメラを担いだ男が立っていた。刃の顔を見て、カメラを向けようとした。
刃は踵を返した。別の自動販売機を探した。面倒だ。
携帯の電源を入れ直した。レイラからのメッセージが十七件溜まっていた。全て既読にする前に、電話が鳴った。レイラだった。
刃は電話に出た。
「……何だ」
「テレビ見た? ワイドショーであなたの名前出てる」
「見てない」
「とにかく、今どこにいる?」
「自販機の前にいたけど、カメラがいたから戻ってきた。アパートにいる」
「動かないで。今から行く」
「来なくていい」
「行く」
電話が切れた。
三十分後、レイラが来た。スーツ姿だった。いつもの探索者の装備ではなく、神盾機関の企業幹部としての正装。髪をまとめ、メガネを外している。顔つきが違った。戦場ではなく、会議室の顔だ。
「状況を整理したの」
レイラが刃のアパートのテーブルにノートパソコンを開いた。画面にはSNSのトレンド分析、ニュースサイトのクリッピング、協会からの通達が並んでいた。
「まず、協会から正式なランク再審査の通達が来ている。査定期間が終わり次第、正式なランクを確定するプロセスに入る。これは避けられない」
「分かってる」
「次に、メディア対応。現時点で取材依頼が四十二件。テレビ局が八社、新聞社が五社、ネットメディアが二十九社。全て、私が対応する」
「……お前が?」
「神盾機関の広報部門を通して、公式に全メディアへの窓口を一本化する。あなたの名前と顔と住所は、協会の情報管理規約で保護されているから、協会の許可がない限りメディアは公開できない。ただし、SNSの特定班はその規約の外にいるから、時間の問題ではある」
レイラの声は冷静だった。感情ではなく、情報で喋っている。企業トップの顔だ。刃は初めて、この女の「もう一つの顔」を間近で見た。
「レイラ」
「何」
「……面倒なことは全部引き受けるって、前にお前が言ったやつ」
「言った」
「本気だったのか」
「当たり前でしょ」
レイラがノートパソコンから顔を上げた。企業幹部の顔が、一瞬だけ崩れた。いつものレイラの顔だった。
「あなたが面倒だって思うこと、全部。メディアも、世間も、協会の手続きも。全部私がやる。あなたは——」
レイラが刃の缶コーヒーを見た。テーブルの上に置かれた、飲みかけのブラック。
「——缶コーヒー飲んで、待ってて」
刃は缶コーヒーを一口飲んだ。苦い。うまい。
「……面倒な女だ」
「お互い様」
レイラがノートパソコンに向き直った。画面には、協会の広報担当者へのメールの下書きが表示されていた。件名は「八雲刃氏に関するメディア対応の一本化について」。送信者は「レイラ・フロストヴェール/神盾機関代表」。
刃は缶コーヒーを飲みながら、レイラの横顔を見た。スーツ姿。まとめた髪。真剣な目。ノートパソコンのキーボードを叩く指。
この女は、ダンジョンでも戦場でもない場所で戦っている。刃のために。
協会からの正式通達が、メールで届いた。ミリアの名前で送信されていた。
『八雲刃様。偽装登録凍結に伴うランク再審査について、正式にご案内いたします。審査日程:十日後。場所:協会本部地下訓練場。なお、審査結果は理事会の最終承認を経て確定されます。——ミリア』
十日後。ランクが確定する。「測定不能のFランク」から、正式な何かになる。
面倒だ。本当に面倒だ。
しかし——もう、逃げる場所はない。逃げるつもりも、なかった。




