第67話「鉄爺」
理事会の面談から、三日が経った。
処分の正式通達は、まだ来ていない。「査定期間中の活動制限なし」とは言われた。しかし、Fランクの登録は凍結されている。つまり今の刃は、ランク不明の探索者だった。——面倒な肩書だ。
ミリアからは「通達まで二週間ほどかかります」と連絡が来た。それまでの間は、いつも通り過ごせばいい。どうせ待つしかない。待ちながら、やれることをやる。
やれること。
古びた刀の修理だ。
ガレスから教えられた住所は、東京の下町にあった。
路地裏を抜けて、古い商店街を通り過ぎて、さらに奥へ。観光客の姿はない。地元の人間しか知らない一角。看板すら出ていない。ただ、金属を打つ音が微かに聞こえた。規則正しい、重い音。鍛冶の音だ。
引き戸を開けた。中は暗かった。奥から炉の赤い光が漏れている。鉄と炭の匂い。ダンジョンの地下とは違う、古い匂い。人の手が何十年もかけて染みつかせた匂いだ。
「誰だ」
声が聞こえた。老人の声。低く、しゃがれている。しかし、芯がある。
「ガレス・ホークウッドの紹介です。八雲刃と言います」
「……ガレスか。あの酒飲みの紹介なら、ろくな依頼じゃないな」
奥から、老人が出てきた。
小柄だった。刃の肩に届くかどうかの背丈。しかし、腕は太い。長年の槌打ちで鍛えられた前腕は、探索者の筋肉とは別種の厚みがあった。白髪を後ろに束ね、革のエプロンをつけている。顔は深い皺に覆われ、目は細い。刃を見る目は、品定めの目だ。人を見ているのではない。技術を見ている。
「鉄爺、と呼ばれているそうですが」
「他に名乗るつもりもない。で、何の用だ。忙しい」
刃は刀袋を下ろした。中から一振りを取り出す。古びた刀。師匠が持たせてくれた二振りのうちの一本。黎明ではない方。質素な拵えの刀。鞘は傷だらけで、柄巻きは擦り減っている。
鞘を抜いた。刀身が抜き身のまま鉄爺の前に差し出した。
鉄爺の目が変わった。
細かった目が、一瞬で見開かれた。刃を見ていた目が、刀を見る目に切り替わった。職人の目だ。純粋な、ただ一つの対象だけを見つめる目。
鉄爺が一歩近づいた。刀身を覗き込んだ。手は触れない。まず目で見る。刀身に走る亀裂。刃紋。鋼の色。地鉄の肌。
長い沈黙が落ちた。
鉄爺が口を開いた。声が、さっきとは違っていた。しゃがれた老人の声ではない。職人の声だ。
「……どこで手に入れた」
「師匠が持たせてくれた。いつからあったのかは分からない」
「師匠。あんたの師匠は、何者だ」
「名前は伏せさせてください」
「名前はどうでもいい。この刀の出所が知りたい」
鉄爺が初めて刀身に手を触れた。指先で、亀裂の入った部分をなぞった。目を閉じた。金属の声を聴いているようだった。
「……これは、現代の技術じゃない」
鉄爺が目を開けた。刃を見た。
「鍛造法が違う。折り返し鍛錬の回数が、通常の倍以上ある。鋼と軟鉄の配合比も異常だ。現在の刀匠の技術で、ここまでの精度は出せない。少なくとも、俺には出せない」
「……玉鋼と聞いています。古い刀なので出所は知りませんが」
「古いなんてもんじゃない。これは——」
鉄爺が刀身を光に透かした。炉の赤い光が、刀身の表面を舐めるように流れた。
「——古代鍛造だ。深淵鉄に匹敵する組成をしている」
深淵鉄。ダンジョンの最深部でのみ採取される金属。黎明の刀身と同じ素材。
刃の胸の中で、何かが繋がった。師匠が持たせた二振りの刀。片方は黎明——師匠の元愛刀。もう片方がこの古びた刀。どちらも、似た組成で鍛えられている。
師匠は、この刀のことを何も教えてくれなかった。ただ、「持っておけ」とだけ言った。
「亀裂が入っている。使い込みすぎだ。刀身の芯まで疲労が蓄積している」
「修理できますか」
「修理?」
鉄爺が鼻を鳴らした。
「修理じゃ済まない。打ち直す必要がある。この鍛造法を再現するために、似た素材が要る」
「似た素材」
「深淵鉄だ。ダンジョンの最深部でしか採れない。しかも、ただの深淵鉄じゃだめだ。この刀の組成に合致する純度のものが要る」
最深部。
師匠の最後の言葉が、頭の中で響いた。
——お前の出自の答えは、最深部にある。
伏線が繋がった。古びた刀の修理。深淵鉄。最深部。刃自身の出自。全てが、一つの場所を指している。
「最深部まで潜れるのか、あんた」
鉄爺が刃を見た。値踏みの目ではなかった。事実を確認する目だった。
「……潜ります」
「いつ」
「準備ができたら」
「準備なんぞ、いつまでもかかる。腹を括れ」
鉄爺が刀を鞘に戻し、刃に返した。
「素材が手に入ったら、持って来い。俺が打ち直す。この刀に見合う仕事をしてやる」
刃は刀を受け取った。
古びた刀。師匠がいつの間にか持たせていた刀。その刀が、最深部への道標になるとは——師匠は、知っていたのだろうか。
「一つ聞いていいですか」
「何だ」
「この鍛造法を作った人間に、心当たりはありますか」
鉄爺が黙った。腕を組み、しばらく考えた。
「……心当たりはない。だが、一つだけ言える。この刀を作った人間は、ダンジョンの最深部を知っている。最深部の素材を手に入れ、最深部の環境で鍛えた刀だ。つまり——」
鉄爺が刃の目を見た。
「——この刀を作った人間は、最深部に到達したことがある。あんたの師匠か、そのまた師匠か。いずれにしても、人類がまだ到達していないとされる場所を知っている人間が、どこかにいる」
刃は黙って頷いた。
師匠は最深部を知っている。あるいは——師匠の師匠が。
そして、その場所に刃自身の出自の答えがある。
引き戸を開けて、外に出た。路地裏の光が眩しかった。鍛冶の音がまだ聞こえている。規則正しい、重い音。何十年も続いてきた音。
刀袋を左手に提げた。二振りの重み。黎明と、古びた刀。
いつか、最深部に行く。その時まで——この刀を預かる。
携帯が鳴った。レイラからだ。
『ニュース見た? ヤバいことになってる』
刃は画面を見た。通知が山のように溜まっている。SNSのトレンドに、見覚えのあるワードが並んでいた。
「#最強のポーター」
面倒だ。本当に面倒だ。




