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底辺探索者の手加減極意 〜最強の師匠に育てられた俺はソロでダンジョンを攻略したいだけなのに、偶然トップ配信者を助けたら世界中から注目されてしまった〜  作者: らいお
陸ノ太刀 もう隠れない

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第64話「理事会」

 会議室は、広かった。


 長いテーブルが部屋の中央を占めている。重厚な木製。表面は磨き上げられ、天井の照明を反射していた。壁には協会の紋章が掛けられている。窓には遮光カーテンが引かれ、外の光は最小限に絞られている。まるで法廷のようだった。

 テーブルの向こう側に、五つの椅子が並んでいた。そこに、五人の理事が座っている。


 右端から。

 白髪の老人。温厚そうな顔。名前は知らない。

 眼鏡をかけた中年の女性。書類に目を落としている。

 中央に、髭を蓄えた壮年の男。理事長だろう。威厳のある佇まい。

 その隣に、痩せた男。鋭い目。薄い唇が常にわずかに歪んでいる。この男だけ、空気が違った。刃を見る目が、他の理事たちとは異質だった。獲物を前にした目。

 左端に、温和そうな初老の男。穏やかな目で刃とレイラの両方を見ている。


 テーブルのこちら側には、椅子が二つ。刃とレイラのための席だった。

 ミリアが部屋の隅に退き、記録係が別の机にタブレットを構えている。


 刃は椅子に座り、レイラが隣に座った。

 刀袋は椅子の横に立てかけた。黎明の重みが、床を通して伝わってくる気がした。


 理事長が口を開いた。


「本日はお忙しい中、お越しいただきありがとうございます。私は理事長の東条です。本日の面談は、ヴィクター・ドレイク容疑者の供述内容に基づく事実確認を目的としています」


 形式的な挨拶。刃は黙って頷いた。


「まず確認させてください。八雲刃さん。現在のあなたの探索者ランクは、Fランクということで間違いありませんか」

「はい」

「Fランクでの登録年数は」

「約十年です」

「十年間、Fランクのまま。昇格試験を一度も受けていないと?」

「受けていません」


 理事長が書類に目を落とした。ペンで何かをチェックしている。

 昇格試験は任意だ。試験を持ちかけられることが受けられる条件になっているとはいえ、受ける受けないは個人の自由。自身が適していないと思った場合は、受けなくても良いこととなっている。実際に、昇格試験を蹴って今のランクのまま探索者を続ける人は普通にいる。

 しかし十年という長い間、最低ランクのまま昇級試験を蹴り続けた人物は刃意外にはいない、ということなのだろう。


「……では、ヴィクター・ドレイク容疑者の供述について伺います。容疑者は、合同開拓イベントにおけるスタンピードの鎮圧に、あなたが関与したと供述しています。これは事実ですか」


 刃は一呼吸置いた。長い沈黙ではない。しかし、部屋の中の全員が、その一瞬に意識を集中させた。


「事実です」


 記録係のタイピングが一瞬止まった。すぐに再開した。

 理事長が続ける。


「容疑者はまた、あなたのFランク登録自体に不正の疑いがあると供述しています。この点について、何かご説明はありますか」

「あります。ただし、その前に一つ確認させてください」

「どうぞ」

「この面談の内容は、非公開ですか」


 理事長が他の理事たちと視線を交わした。


「原則として非公開です。ただし、面談の結果、規約違反が認定された場合は、協会規定に基づき処分内容が公示される可能性があります」

「分かりました」


 刃は背もたれに体を預けた。深く座り直した。


「俺のFランク登録は、正当なものではありません」


 部屋の空気が変わった。記録係の手が止まった。眼鏡の女性理事が顔を上げた。温厚そうな老人理事の表情が引き締まった。

 痩せた男だけが、表情を変えなかった。予想通りだ、という顔をしていた。


「登録時に、偽装秘術を使用しています。フェイク・コード。ステータスの表示を偽装する秘術です。実際の実力を、Fランク相当に見せかけていました」


 理事長の眉が、わずかに動いた。


「偽装秘術。フェイク・コード。それは——禁止秘術のリストには含まれていませんが、登録時の申告義務違反に該当します」

「承知しています」

「なぜ、そのようなことを?」


 刃は天井を見た。白い天井。アパートの天井とは違い、ひびは入っていない。


「理由は——個人的なものです。師匠に言われたことがありました。俺の力は、人前で見せるべきものではないと。長い間、それを信じていました」


 嘘ではない。しかし、全てでもない。師匠の嘘の話までする必要はなかった。師匠の名前を出すつもりもなかった。


「師匠。あなたには師匠がいるのですか」

「います。名前は伏せさせてください」

「……分かりました。では、あなたの実際の実力について伺います。偽装秘術を解除した場合、あなたの真のランクはどの程度のものですか」


 刃は答えなかった。その代わりに、痩せた理事の方を見た。あの男の目。鷹のような目。最初からずっと、刃を値踏みするように見ていた。


「それは、この後の検査で明らかになるかと」

「検査。偽装秘術を解いてスキャンを行うということですか」


 痩せた理事が初めて口を開いた。声は低く、乾いていた。


「理事長。スキャン検査の前に、一つ確認すべき事項があります」


 理事長が痩せた理事の方を見た。


「荒木理事。どうぞ」


 荒木。それがこの男の名前か。刃は記憶した。


「八雲刃氏。あなたの偽装秘術については、今後の検査で確認できます。しかし、それ以前に確認しなければならない重大な問題があります」


 荒木理事の視線が、刃からレイラに移った。


「フロストヴェール氏。あなたも同席されていますね」

「はい」


 レイラの声は、平静だった。Sランク探索者の声だ。


「合同開拓イベント後に提出された、あなたの報告書について伺います。報告書には、スタンピードの鎮圧は『レイラ・フロストヴェールおよび神盾機関チームによる共同対応』とあります。しかし、ヴィクター容疑者の供述では、八雲刃氏が鎮圧に関与したとされている。この矛盾について、説明していただけますか」


 レイラが口を開こうとした。


「私が——」

「答えます」


 刃が遮った。レイラが刃を見た。刃は前を向いたまま、荒木理事の目を見ていた。


「報告書の記述が事実と異なるのは、俺の関与を隠すためです。俺が依頼しました」


 嘘だった。レイラは自分の判断でやった。刃は何も頼んでいない。しかし、原因は刃だ。レイラが嘘をつく必要があったのは、刃の秘密のためだ。


「あなたが依頼した、と」


 荒木理事が刃の目を見た。刃は視線を逸らさなかった。


「はい」

「刃、それは——」


 レイラが小さく言った。刃は振り返らなかった。

 荒木理事が薄く笑った。笑ったと言っても、唇がわずかに動いただけだ。


「八雲氏。あなたの供述は記録されます。しかし、問題はそれだけではない」


 荒木理事がテーブルの上のタブレットを操作した。画面に、データが表示された。


「フロストヴェール氏の氷眼には、スタンピード時の魔素観測データが記録されているはずです。しかし、協会に提出されたデータには、該当時間帯の記録が欠損しています。エラーとして処理されていますが——」


 荒木理事が刃を見た。


「これも、あなたの依頼ですか」


 刃は答えた。迷いなく。


「はい」

「刃!」


 レイラが声を上げた。椅子から身を乗り出しかけた。


「レイラ」


 刃が名前を呼んだ。低い声で。振り返らずに。


「座ってろ」


 レイラの動きが止まった。一瞬だけ、目が揺れた。しかし、ゆっくりと椅子に座り直した。

 荒木理事がレイラを見た。鷹の目が、獲物を定めた時のように光った。


「フロストヴェール氏。八雲氏は依頼したと言っていますが、あなたは同意されますか」


 レイラが口を開いた。声は、もう震えていなかった。


「事実を申し上げます」


 刃が横目でレイラを見た。レイラは前を向いていた。まっすぐに。あの夜と同じ目で。


「氷眼のログを改竄したのは、私の判断です。八雲さんに依頼されたわけではありません。私が、私の意思で行いました」


 部屋の空気が、さらに重くなった。記録係のタイピングだけが、静かに響いている。


「八雲氏は依頼したと言い、フロストヴェール氏は自分の判断だと言う。供述が食い違っていますね」


 荒木理事の声には、微かな愉悦が含まれていた。


「どちらかが、嘘をついている」


 沈黙。


「あるいは——」


 荒木理事がテーブルに両手を置いた。指先が、軽くリズムを刻んだ。


「——二人とも、互いを庇おうとしている。興味深いですね。Fランクのポーターと、Sランクの探索者が。ここまでの共犯関係を築いているとは」


 温和な初老の理事が口を開いた。


「荒木理事。面談の趣旨から逸脱しています」

「逸脱していません、広瀬理事。共犯関係の構造を明らかにすることは、事実確認の一環です」


 荒木が広瀬理事の制止を受け流し、レイラに向き直った。


「フロストヴェール氏。あなたは神盾機関所属のSランク探索者です。その立場でありながら、公式報告書の偽造と、氷眼のログデータ改竄を行った。これが事実であれば——」


 荒木理事が一語一語、区切るように言った。


「——Sランク資格の剥奪。虚偽報告による刑事処分。最悪の場合、探索者資格の永久停止もあり得ます」


 室内の空気が、凍った。

 文字通り——凍った。

 レイラの魔素ではない。刃の魔素でもない。部屋の中の人間全員が、同時に呼吸を忘れたのだ。

 刃の目が変わった。


 それまでの刃は、淡々としていた。面倒だが逃げない、という態度だった。質問に答え、事実を述べ、レイラを庇い、それでも表情は変えなかった。

 しかし、今。荒木理事がレイラの資格剥奪と刑事処分を口にした瞬間。刃の目の中の何かが、静かに、しかし確実に切り替わった。

 曇りがなくなった。

 面倒くささが消えた。

 そこにあるのは、まっすぐな意志だけだった。

 黎明を握った時と同じ目。つい先日、三十一階層でイレギュラーを断った時と同じ目。百体の魔獣の前に立った時と同じ目。

 守るべきものを前にした時の、八雲刃の目。


「荒木理事」


 刃の声は低かった。しかし、会議室の隅々まで届いた。


「一つ、提案があります」


 荒木理事が刃を見た。余裕のあった目が、わずかに引き締まった。声の圧が変わったことに、本能的に気づいたのだろう。


「提案?」

「偽装秘術のスキャン検査を行うと言いましたね。俺の方から、スキャンの必要がなくなる方法を提案します」


 理事たちが顔を見合わせた。理事長が眉を上げた。


「どういう意味ですか」

「偽装秘術を、今ここで解除します。自分で」


 部屋が静まり返った。


「解除すれば、俺の真のステータスが全て表示されます。スキャンの手間が省ける。ログの改竄の是非も、俺の実力が明らかになれば自ずと判断材料が揃うはずです」


 刃が荒木理事を見た。


「レイラの処分を議論する前に、まず——俺が何者なのかを見てからにしてください」


 荒木理事の目が、初めて揺れた。しかし、すぐに冷静さを取り戻した。


「……理事長。八雲氏の提案を受け入れますか」


 理事長が腕を組んだ。数秒間、考えた。


「八雲さん。偽装秘術の自主解除は、協会の記録に残ります。解除後のステータスは、本日の面談記録に正式に記載されます。それを了承いただけますか」

「了承します」


 理事長が頷いた。


「では——お願いします」


 刃は立ち上がった。椅子を引き、テーブルの前に立った。五人の理事が、刃を見上げた。

 レイラが隣で息を止めていた。ミリアが部屋の隅で、タブレットを握りしめていた。記録係の手が止まっていた。

 部屋の中の全員が、八雲刃を見ていた。


 刃は右手を持ち上げた。胸の前に。

 目を閉じた。


 十年間。十年間、この術式と共に生きてきた。Fランクポーターの仮面。平凡な日常の殻。師匠に言われて始めた偽装。才能がないという嘘。隠れるための技術。

 それを、今——


 ——解く。

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