第56話「おかえり」
東京駅。
新幹線の改札を出た瞬間、人波に呑まれた。スーツ姿のサラリーマン、キャリーバッグを引く観光客、スマホを見ながら歩く学生。山の静けさとは真逆の世界。騒がしくて、眩しくて、面倒くさい。
しかし、不思議と嫌ではなかった。
改札の向こう側に、見覚えのある銀髪が立っていた。
レイラ・フロストヴェール。蒼氷姫。世界ランキング3位。変装のつもりなのか、キャップとマスクをつけている。しかし銀髪が帽子からはみ出しているし、氷のように澄んだ青い瞳は隠しようがない。目立っている。致命的に目立っている。周囲の通行人が二度見していた。
「……迎えに来なくていいって言ったのに」
「言ってないよ」
「……確かに言ってなかった」
レイラがマスクを少し下げて笑った。嬉しそうに。安心したように。一週間ぶりの笑顔だった。
「おかえり」
「ただいま」
短い挨拶。しかし、それだけで十分だった。
レイラが刃の顔をじっと見つめた。氷眼ではない。ただの目で、刃の顔を見ている。数秒間、そのまま黙っていた。
「……何かあった?」
「色々あった」
刃は少し迷った。しかし、迷う理由はもうない。隠す理由が、なくなったのだから。
「話すよ。全部」
レイラの瞳が揺れた。
「……うん」
◇ ◇ ◇
駅前のカフェ。窓際の席。
刃はブラックコーヒーを。レイラはカフェラテを。二人の間に、白いテーブルが一つ。
刃は話し始めた。
師匠のこと。
山での一週間のこと。
13年間つかれていた嘘のこと。「お前には才能がない」が嘘だったこと。5歳で師匠の全盛期を超える力を持っていたこと。
師匠がなぜ嘘をついたのか。才能に溺れた天才が壊れるのを何度も見てきたこと。刃を守るために、謙虚に育てるために、13年間嘘をつき続けたこと。
手合わせのこと。師匠が全力を出して、一合で決着がついたこと。師匠が「参った」と笑ったこと。
黎明のこと。古びた刀のこと。
全部を、話した。
レイラは一度もコーヒーに口をつけなかった。
刃の話を、一言も聞き逃すまいとするように、ただ聞いていた。
刃が話し終えた。
レイラはしばらく黙っていた。カフェの喧騒が、二人の間を埋めていた。食器が触れ合う音。隣の席の笑い声。エスプレッソマシンの低い唸り。
それから、レイラは笑った。穏やかに。嬉しそうに。少しだけ、泣きそうな顔をしていた。
「やっぱり」
「……やっぱり?」
「私が最初に出会った時から、そうだと思ってた」
刃は目を細めた。
「……知ってたのか」
「確信はなかった。でも、あの日、深層で100体の魔獣を歩きながら倒した人が、最弱なわけがない」
レイラがカフェラテに手を伸ばした。ようやく一口飲んだ。ぬるくなっていたはずだが、気にしていないようだった。
「ずっと、本当のあなたを知りたかった」
静かな声だった。執着でも、追求でもない。ただ純粋に、知りたかった。そういう声。
刃はコーヒーを一口飲んだ。苦い。うまい。
「……これからどうする?」
「それはこっちのセリフ。あなたはどうしたい?」
刃はカップをテーブルに置いた。窓の外を見た。東京駅の雑踏が流れている。スーツの群れ。制服の群れ。キャリーバッグの群れ。面倒な世界。しかし、自分が守りたいと思った世界。
「もう隠れない」
レイラの手が止まった。
「隠す必要がなくなった。師匠の嘘が根拠だったから隠れていた。その根拠がなくなった今、隠れ続けるのはただの臆病だ。守りたいものがあるなら、胸を張って立つ。それが、師匠にもらった答えだ」
レイラが目を見開いた。「隠れない」と言う刃を、初めて見ていた。
深層で出会った時も。見学を始めた時も。ポーターとして共に歩いた時も。いつも刃は隠れていた。目立たないように。気づかれないように。自分を小さく見せるように。
その刃が、「もう隠れない」と言っている。
「……本当に?」
「本当に。ただ、面倒なことは相変わらず面倒だ」
レイラが笑った。泣き笑いだった。目元が赤くなっている。マスクを外して、その顔を隠さなかった。
「……うん。分かってる」
声が少しだけ震えていた。
「面倒なことは、私が全部引き受けるから」
刃はレイラを見た。泣き笑いの顔。蒼い瞳に涙が浮かんでいる。強い。この人は強い。Sランクだから強いのではない。こういう顔ができるから、強い。
「……頼むよ」
レイラが笑った。今度は涙はなかった。嬉しそうに、誇らしそうに。
「任せて」
窓の外で、夕日が東京駅を染めていた。赤い光がカフェの中に差し込み、二人のテーブルを照らしている。
ぬるくなったカフェラテと、冷めたブラックコーヒー。二つのカップの間に、影が一つ重なっていた。
面倒な日常が始まる。面倒な仲間がいる。面倒なニュースが待っている。
しかし、隣に座っている人は笑っていた。それだけで、まあ悪くないか、と思った。
◇ ◇ ◇
翌朝。
刃はいつものように6時に目が覚めた。布団から出て、顔を洗い、軽く体を動かす。腕立て伏せ、腹筋、背筋。師匠の山にいた時と同じメニュー。場所が変わっても、体は同じことを求めている。
窓を開けると、東京の朝が入ってきた。車の音。電車の音。遠くで工事の音。山の朝とは比べものにならないほど騒がしい。しかし、これが自分の日常だ。
携帯が鳴った。メッセージではなく、着信。画面にはミリアの名前が表示されている。協会の窓口担当だ。嫌な予感しかしない。
「おはようございます、八雲さん。お帰りなさい。お休みのところ恐れ入ります」
「……おはようございます。何でしょう」
「面談のお願いがあります」
「……また面談ですか」
「今度は個室ではなく、理事会付きです」
刃は額に手を当てた。理事会付き。ヴィクターが協会に提供したという「八雲刃に関する情報」が原因だろう。面倒の規模が、格段に上がっている。
「日程は来週以降で調整可能です。ご都合の良い日をお知らせいただければ」
「……分かりました。追って連絡します」
「ありがとうございます。それでは」
通話が切れた。朝の6時半に面談の連絡を入れてくる協会の感覚はどうかしている。しかし、逃げる理由はもうない。受けるしかない。
携帯を置くと、メッセージが複数溜まっていた。
ガレスからだった。
『右肩の再検査、受けることにした』
『お前に言われたからな。修理できないものは何もないんだろ』
『いい医者がいたら教えろ』
刃は少し笑った。ガレスの右肩。合同開拓イベントの後遺症で可動域が制限されていると聞いていた。あの男が自分から検査を受けると言うのは珍しい。
『いい医者は知らない。だが、いい刀鍛冶なら探している』と返した。意味不明だと思うだろう。しかし、何となく送りたくなった。
次はミラからだった。
『おかえりなさい。新しい解析を始めました。今度は八雲くんの協力が必要です。
具体的には魔素の測定を。前回のデータと比較したいので
都合のいい日を教えてください :)』
研究者は本当に休みを知らない。『面倒だ』と返すと、即座に『知ってる :)』が届いた。この人は携帯を手に持ったまま生きているのだろうか。
最後に、セラ先生からだった。
『八雲さん、お帰りなさい。学園の件でご報告があります。
ルーカスくんが学園内で「八雲刃師匠」と公言しています。複数の生徒に波及しており、やや問題になっています』
刃の眉が跳ね上がった。
『師匠じゃないです』と返すと、セラ先生から『もう遅いです :)』と返ってきた。
絵文字の使い方が全員似てきている。誰の影響だ。考えるまでもない。レイラだ。
刃は携帯を伏せ、台所に向かった。冷蔵庫を開ける。中身は空だった。一週間家を空けていたのだから当然だ。コンビニに行く必要がある。面倒だが、仕方ない。
靴を履こうとした時、携帯が震えた。レイラからだった。
『おはよう :)』
『次のダンジョン、来週。一緒に行こう。今度は、ポーターとしてじゃなくて』
刃は玄関に座ったまま、画面を見つめた。ポーターとしてじゃなくて。つまり、戦力として。前に出ろ、ということか。
少し考えた。師匠の言葉が浮かんだ。「胸を張って立て」。
少し悩んで『俺はポーターだ』と送ると、すぐに返ってきた。
『いいよ。ポーターで。最強の、ね :)』
刃は携帯をポケットに入れた。玄関を出て、マンションの外廊下に立つ。朝日が差し込んでいる。空が広い。
自動販売機で缶コーヒーを買った。ブラック。無糖。いつもの銘柄。プルタブを開け、口をつける。
苦い。しかし、苦みの奥に確かな甘さを感じた。最初の一口から。前はただ苦いだけだったはずだ。味が変わったのか、自分が変わったのか。多分、後者だ。
携帯を取り出した。ニュースアプリを開く。
「#最強のポーター」のハッシュタグは、まだトレンドに残っていた。しかし、もうそれを見ても胃が痛くならない。怖くない。面倒ではあるが、怖くはない。
面倒な奴らばかりだ。面倒で、うるさくて、やたらと絵文字を使う。
しかし、この面倒に帰ってこれて、よかった。
缶コーヒーを飲み干した。空き缶をゴミ箱に正確に投げ入れた。入った。何も変わっていない。腕は鈍っていない。
部屋に戻って、着替えよう。コンビニに行こう。冷蔵庫を埋めよう。
明日は久しぶりに、ダンジョンに潜る日だ。
(伍ノ太刀、完)
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