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底辺探索者の手加減極意 〜最強の師匠に育てられた俺はソロでダンジョンを攻略したいだけなのに、偶然トップ配信者を助けたら世界中から注目されてしまった〜  作者: らいお
肆ノ太刀 師へ至る道

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第46話「師匠に会いに行く前夜」

 あの夜から1週間が経った。


 刃は荷造りをしていた。安アパートの6畳間。押し入れの奥から引っ張り出したバックパックに、最低限の着替えと生活用品を詰めていく。タオル2枚。下着の替え。折りたたみの歯ブラシ。缶コーヒー4本。山の中では自販機がないから、まとめて持っていく必要がある。

 バックパックの底に、1つのものを入れ、1つを細長い生絹の袋に入れた。

 1つは師匠からの手紙。茶色の事務封筒。墨の楷書。「何のために強くなったのか、考えてこい」。あの一文が書かれた手紙を、刃はこの1週間、毎晩寝る前に読み返していた。答えは——まだ、言葉にはなっていない。しかし、輪郭だけは見え始めていた。

 もう1つは、日本刀だった。

 押し入れの最奥、古い毛布に包まれて立てかけてあった一振り。師匠から譲り受けたものだ。鞘は黒漆、古びた柄巻き。刀身は魔導鍛造(ミスリルフォージ)ではなく、古式の玉鋼(たまはがね)で打たれている。この世界にダンジョンが出現する前からの技術で作られた、純粋な日本刀。師匠は「魔素に頼るな、鉄に頼れ」と言っていた。

 刃はこの刀を、ダンジョンの外では抜いたことがない。深層の探索では何度も世話になったが、地上で鞘から抜く理由はこれまでなかった。

 しかし——師匠に会いに行くのに、この刀を置いていくことはできなかった。理由は分からない。ただ、持っていかなければならないと感じた。それは論理ではなく、体の奥から湧いてくる直感だった。


 荷造りを終えた。バックパックを背負ってみた。軽い。刃にとっては、何も背負っていないのと変わらない重さだった。

 端末を手に取った。レイラにメッセージを送る。


 『明日の朝、出発する。長野の山奥だ。1週間くらい連絡が取れないかもしれない。圏外の場所が多い』


 レイラの返信。5秒。いつもより遅い——いや、いつもが速すぎるのだ。


 『……師匠の手紙の件?』

 『ああ。会って話を聞いてくる。嘘が何だったのか。それから——答えを持って帰る。持って帰れれば、だけど』

 『……分かった。定期連絡だけして。1日1回でいい。生きてるか死んでるかだけでも』


 刃は端末を見つめた。定期連絡。いつもなら「しない」と答えるところだ。連絡を求められること自体が面倒で、自由を制限されている感覚がある。師匠のもとにいた頃は、携帯すら持っていなかった。誰にも居場所を知らせず、誰にも報告せず、ただ山の中で剣を振っていた。


 『する』


 送信した。自分でも少し驚いた。

 レイラの返信。2秒。いつもの速さに戻っていた。


 『……本当に?』

 『本当に。1日1回は送る』


 しばらく間が空いた。20秒。レイラにしては異常に長い。


 『……本当に大丈夫? いつもの刃じゃない気がする。定期連絡するなんて』


 刃は小さく息を吐いた。確かに、いつもの自分ではないのかもしれない。しかし、いつもの自分のままでいることが、もう正解ではなくなっている。


 『大丈夫だ。答えが怖いだけで、知らないよりはマシだから』

 『……刃。怖いって言ったの、初めてだよ』


 そうだったかもしれない。刃は自分が「怖い」という言葉を口にした記憶がなかった。師匠のもとでもダンジョンの中でも、恐怖を感じることはなかった——少なくとも、そう思っていた。しかし、師匠の嘘の正体を知ること。自分が本当は何者なのかを知ること。それは、魔獣と戦うこととは全く違う種類の恐怖だった。


 『……そうかもしれない。でも行く。行かなきゃいけない』

 『分かった。気をつけて。何かあったら、すぐに連絡して。私が迎えに行く。山の奥でも、どこでも』

 『ああ。ありがとう』



◇ ◇ ◇



 出発の前夜。


 刃は缶コーヒーを開け、ベランダに立った。ブラック。いつもと同じ苦み。夜の空気は冷たく、吐く息が白い。3月の終わり。東京はもうすぐ桜の季節を迎えるが、長野の山の奥はまだ雪が残っているはずだ。

 眼下に東京の夜景が広がっている。ネオンの光。ビルの窓。車のヘッドライト。何百万もの光の粒が、地平線の向こうまで続いている。

 端末のSNSを開いた。#最強のポーター はまだトレンドに残っていた。ミラの資料流出から1週間。考察はさらに深化し、海外のメディアまで取り上げ始めている。しかし、最強のポーターの正体は——依然として「証拠のある仮説」のままだった。レイラが張った情報統制の防壁が、かろうじて決定的な証拠の流出を防いでいる。


 刃は端末を閉じ、東京の夜景を眺めた。


(……師匠)


 心の中で、声をかけた。


(俺はずっと、あんたの言葉を信じて生きてきた。「お前は最弱だ」「才能がない」「外にはヤバい奴がゴロゴロいる」「目立つな、隠れろ、静かに暮らせ」。全部守った。Fランクに登録して、ポーターとして働いて、誰にも気づかれないように——少なくとも、そのつもりだった)


 缶コーヒーを一口飲んだ。苦い。


(でも——もう隠れきれなくなった。1億人の前を横切ったのは俺の不注意だ。そこは認める。でもな、師匠。あの場所には、俺が守りたいものがあった。レイラが危なかったんだ。あの5秒間、氷壁の向こうで真淵と向き合った時、俺は「隠れること」よりも「守ること」を選んだ。それが正しかったのかどうかは分からない。でも、後悔はしてない)


 夜風が吹いた。パーカーのフードが揺れた。


(今の俺には——守りたいものがある。レイラ。ガレス。ミラ。ルーカス。セラ先生。面倒な奴らばかりだ。面倒で、面倒で、面倒で——でも、もし俺が本当に弱いままなら、あいつらを守れない)


 刃は缶コーヒーを握りしめた。


(俺が本当は強いなら——その強さをどう使えばいいか知りたい。何のために強くなったのか。あんたに教えてもらった強さは、誰のためのものだったのか。あんたが嘘をついていたと言うなら——その嘘の向こう側に、本当の答えがあるんだろう。それを聞かせてくれ。師匠、あんたが教えてくれ)


 缶コーヒーを飲み干した。

 空き缶をゴミ箱に入れ、部屋に戻った。バックパックは玄関に置いてある。日本刀はその横に立てかけてある。明日の早朝に出発する。


 布団に入った。端末が光った。

 レイラからのメッセージ。


 『気をつけて。……早く帰ってきて』


 刃はしばらくその文字を見つめていた。画面の光が暗い部屋を照らしている。「早く帰ってきて」。その言葉が、思っていたよりも重かった。重かったが——重荷ではなかった。誰かが自分の帰りを待っている。その事実が、刃の胸の中に小さな温度を灯していた。


 『ああ。帰ってくる。缶コーヒーのお土産を持って』

 『山の中に缶コーヒーはないでしょ :) 』

 『自販機がなければ仕方ない。我慢する』

 『……無理しないで。お土産はいらないから。あなたが帰ってくるだけでいい』


 刃は端末を閉じた。目を閉じた。

 明日——師匠に会いに行く。嘘の正体を聞く。答えを持って帰る。


 眠りに落ちる直前、最後に浮かんだ言葉は——


(……帰ってくる場所が、できたな)



◇ ◇ ◇



 翌朝。5時。


 刃は布団から出て、顔を洗い、Tシャツにジャケットを羽織った。レイラが手配したジャケットではなく、量販店の安いやつだ。山に持っていくのに高い服は必要ない。

 バックパックを背負った。日本刀を紐で固定した。スニーカーの紐をしっかり結んだ。

 玄関のドアを開けた。

 3月の朝の空気が、冷たい。空は薄い紫色で、東の方からオレンジ色の光が滲み始めている。住宅街はまだ静かだ。新聞配達のバイクの音が、遠くから聞こえた。

 部屋を振り返った。6畳の安アパート。ゲーム機。空の缶コーヒーの缶。散らかった布団。


(……帰ってきたら、少しだけ片付けよう。たぶん)


 ドアを閉めた。鍵をかけた。

 駅に向かって歩き始めた。長野の山の奥へ。師匠のもとへ。


 ——伍ノ太刀へ続く。

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▼登場人物まとめ

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