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底辺探索者の手加減極意 〜最強の師匠に育てられた俺はソロでダンジョンを攻略したいだけなのに、偶然トップ配信者を助けたら世界中から注目されてしまった〜  作者: らいお
肆ノ太刀 師へ至る道

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第45話「最強のモブ、決意する」

 その日の朝、刃のもとに3つの情報が届いた。郵便ポストに2通の封筒、端末に1件のメッセージ。それぞれ別の場所から、同じ日に。


 1つ目は、探索者協会からの郵送文書だった。

 差出人はミリア・カーンの名前ではなく、「探索者協会 安全管理局」の正式な封筒で届いた。宛名は「八雲刃 殿」。中身は1枚の通知書で、要約すると「あなたのFランク登録に関して、安全管理局内部で再審査の必要性が検討されています。現時点では行政処分や登録変更の予定はありませんが、今後追加の面談をお願いする可能性があります」という内容だった。

 通知書の下部に、手書きのメモが貼り付けられていた。ミリアの丁寧な楷書。


 『八雲さん。これは内部手続き上の通知であり、あなたを追い詰めるためのものではありません。ただ、正直に申し上げます。あなたの「Fランクとしての生存歴」に関する内部報告書が作成されました。私が書いたものではありませんが、私の面談記録が参照されています。——ミリア・カーン』


 2つ目の封筒は、第一魔導学園からの郵便だった。中には、ルーカス・クレインが学園の学内ブログに投稿した記事のプリントアウトが同封されていた。タイトルは「ある人物との模擬戦について」。教官のセラが「ご報告まで」と付箋を添えて送ってきたものだった。

 ルーカスの文章は、武人の記録として極めて正直に書かれていた。

 ——自分はAランク相当の実力を持つ。その自分が全力の12連撃を繰り出し、一度も当たらなかった。相手は歩いていただけだった。攻撃は指先一つで、自分と仲間2人を天井まで打ち上げた。全員無傷だった。あの人の力の制御は、自分が知るどの教科書にも載っていない領域にある。名前は明かさない。しかし、自分はあの人の近くにいる許可をもらった。——

 学内ブログは本来、学園関係者しか閲覧できない。しかし、あの模擬戦を目撃した300人の学生のうち、誰かがスクリーンショットを撮ってSNSに転載した。「名前は明かさない」と書かれているが、模擬戦の相手が八雲刃であることは、学園中が知っている。


 3つ目は、ミラからのメッセージだった。


 『八雲くん。大事な話があるの。私が作った調査資料の一部がSNSに流出した。流出させたのは私じゃない。でも——止められなかった。本当にごめんなさい』


 刃は3つの通知を並べて、テーブルの上に置いた。

 協会の内部報告書。ルーカスのブログの転載。ミラの調査資料の流出。3つが別々の場所から、同じ日に、同じ方向を指さしている。


(……「八雲刃=世界最強」が、仮説から「証拠のある仮説」に変わった)


 これまでは、SNSの考察民が断片的な映像や証言を繋ぎ合わせて遊んでいるだけだった。しかし、協会の内部報告書、学園のAランク候補の実体験、Aランク探索者の統計的分析——この3つが揃えば、もはや「面白い都市伝説」では済まない。メディアが取材を始める。政府機関が動く。国際的な注目が集まる可能性がある。

 Fランクのポーターとして静かに暮らす生活は——終わりに近づいていた。


 缶コーヒーを開けた。ブラック。苦い。いつもと同じ味。しかし、今朝は苦みの先にある味を、上手く感じ取れなかった。



◇ ◇ ◇



 午後になって、さらに3通のメッセージが届いた。

 

 レイラからの封筒。神盾機関イージス・コーポレーションの封筒に入っていたが、中身はレイラ個人の言葉だった。便箋に、彼女の几帳面な字で書かれている。


 『刃。状況は把握している。協会の報告書、ルーカスくんのブログ、ミラさんの資料流出。全部、今日中に対応策を出す。でも、その前に一つだけ決めてほしい。最後の防衛ラインを。「知られてもいいこと」と「絶対に知られてはいけないこと」の線引きを、今日中に決めて。——私が盾になる。あなたが線を引いてくれたら、その線の外側は私が全部守る。レイラ』


 ガレスからのSMS。短い。


 『動く準備はある。言ってくれ。いつでもいい。——ガレス』


 ミラからの追加メッセージ。長い。


 『流出経路を調べた。私の資料を見た人間は、私とレイラさんと八雲くんの3人だけ。でも、私のPCのログを調べたら、3日前にリモートアクセスの痕跡があった。誰かが私のPCに不正アクセスして、資料の一部をコピーした。犯人はまだ特定できてない。八雲くん、本当にごめん。私のセキュリティが甘かったせいだ。これ以上の流出は止める。約束する』


 そして、ルーカスからの手紙。紙の手紙だった。封筒は学園のもので、中には1枚の便箋が入っていた。ルーカスの太い、力強い字。


 『八雲さん。私のブログの内容が外部に流出したと聞きました。私の文章があなたに迷惑をかけたなら、心から謝ります。ただ、一つだけ。私はあなたのことを世界に知ってほしいと思っています。あなたの強さは、隠されるべきものではないと信じています。それは間違いだったでしょうか。——ルーカス・クレイン』


 刃は4通をテーブルの上に並べた。

 レイラの便箋。ガレスのSMS。ミラのメッセージ。ルーカスの手紙。

 4人。4つの方向からの言葉。しかし、全てが同じところを向いている——「あなたをどうするか」ではなく、「あなたのために何ができるか」。

 守る。動く。止める。知ってほしい。

 誰一人として、刃を責めていなかった。

 誰一人として、刃に「本当のことを言え」と迫っていなかった。

 ただ、それぞれのやり方で、刃の隣に立とうとしていた。


(……面倒くさい)


 缶コーヒーを一口飲んだ。


(……でも、悪くない面倒くささだ)



◇ ◇ ◇



 その夜。


 刃はベランダに立っていた。安アパートの2階。眼下に住宅街の路地、遠くに東京の夜景。ネオンの光が低い雲に反射して、空全体がぼんやりとオレンジ色に染まっている。

 隣に、レイラが立っていた。

 レイラが刃のアパートに来ることは、これまで何度かあった。しかし、こうしてベランダに二人で立つのは——あの夜、「何があっても、私がいるから」と言った夜以来だった。

 しばらくの間、二人は黙っていた。レイラは何も聞かなかった。刃が話すまで待っている。それが彼女のやり方だった。追い詰めず、急かさず、ただ隣にいること。


「……一つだけ、話す」


 刃が言った。

 レイラが静かに顔を向けた。蒼い瞳が、夜景のオレンジ色の光を映している。


「……師匠から手紙が来た。前に」


 レイラは何も言わなかった。頷きもしなかった。ただ、刃の言葉を一字一句聞き取ろうとするように、体ごとわずかに刃の方を向けた。


「手紙に、こう書いてあった。『お前に嘘をついていた』と」


 夜風が吹いた。レイラの髪が揺れた。


「何の嘘かは書いてなかった。会った時に話す、と。顔を見て言わなきゃならん、と。——それと、一つだけ考えてこいと言われた。『お前は何のために強くなったのか』」


 刃は東京の夜景を見つめていた。ネオンと街灯と車のヘッドライトが、何百万もの光の粒になって地平線の向こうまで広がっている。


「俺は、ずっと『自分は最弱だ』と信じて生きてきた。師匠にそう教えられた。『お前には才能がない。外にはヤバい奴がゴロゴロいる。だから目立つな、隠れろ、静かに暮らせ』と。それを守ってきた。Fランクに登録して、ポーターとして働いて、誰にも気づかれないように——」


 刃の声が、少しだけ揺れた。ほんの微かに。レイラでなければ聞き取れなかっただろう。


「でも、その『最弱だ』が嘘だったとしたら。師匠が言う『外にはヤバい奴がゴロゴロいる』も嘘だったとしたら。——俺のこれまでの隠れ方が、全部意味を失う」


 長い沈黙。

 ベランダの金属の手すりが、夜気に冷えている。缶コーヒーの缶も冷たかった。しかし、二人の間の空気は——冷たくなかった。


「正直、まだ整理できてない。師匠が何を隠していたのか。俺が本当は何なのか。——分からない」


 刃が缶コーヒーを一口飲んだ。苦い。今夜は、苦いだけだ。


「……それを話してくれて、ありがとう」


 レイラの声は、静かだった。波のない湖面のような声。しかしその湖面の下には、複雑な感情が何層にも折り重なっているのが、声の温度で分かった。


「……ああ」

「……私には、一つだけ分かることがある」


 レイラが東京の夜景を見つめた。何百万の光を、蒼い瞳に映しながら。


「隠れ続けることと——隠れる理由がある場所を守ることは、違う」


 刃が顔を向けた。


「刃。あなたには——守りたいものがあるんだと思う」


 刃は答えなかった。

 しかし、否定もしなかった。

 それは——肯定と同じだった。少なくとも、レイラにとっては。


 二人はしばらく黙ってベランダに立っていた。東京の夜景が眼下に広がっている。ネオンの光は相変わらず星を隠していたが、今夜は——星が見えなくても、空を見上げたいと思った。


(……守りたいものが、ある)


 刃は心の中で、その言葉を反芻した。師匠の問いに対する答えが——まだ完全ではないけれど、輪郭だけ見え始めていた。


「……レイラ」

「ん?」

「……来週、師匠に会いに行く」


 レイラが息を呑むのが聞こえた。


「師匠の嘘が何だったのか、聞いてくる。それから——俺が何のために強くなったのか、答えを持って帰る。……持って帰れるかは分からないけど」


 レイラはしばらく黙っていた。5秒。10秒。15秒。長い沈黙。


「……分かった」


 レイラの声は、かすかに震えていた。


「気をつけて。……早く帰ってきて」

「……ああ。帰ってくる」


 刃が缶コーヒーを飲み干した。空き缶を手の中で小さく潰し、部屋に戻った。

 レイラはベランダに少しだけ残った。蒼い瞳で夜景を見つめ、小さく息を吐いた。白い息が、夜気に溶けて消えた。


(……帰ってくる、って言った。前の刃なら——「ああ」だけで終わっていた)


 レイラの唇が、微かに動いた。笑みとも、祈りとも、区別がつかない表情だった。

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