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底辺探索者の手加減極意 〜最強の師匠に育てられた俺はソロでダンジョンを攻略したいだけなのに、偶然トップ配信者を助けたら世界中から注目されてしまった〜  作者: らいお
肆ノ太刀 師へ至る道

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第36話「パーティーと、面倒な夜」

 神盾機関イージス・コーポレーション本社ビル、最上階の大宴会場。


 床まで届くガラス窓から東京の夜景が一望できる空間に、200名以上の探索者と関係者が集まっていた。シャンデリアの光がシャンパングラスに反射し、テーブルには高級レストラン顔負けの料理が並んでいる。帰還祝賀パーティーの規模は、神盾機関イージス・コーポレーションの威信そのものだった。

 壁面の大型スクリーンには、5階層での深淵の主(アビス・ロード)討伐のハイライト映像がループで流れている。氷の翼を広げて突進するレイラの姿。崩れ落ちる巨体。歓声を上げるチームメンバーたち。——そして5秒間の白い映像。あの空白だけが、何度ループしても中身を見せなかった。


 刃は、会場の隅に立っていた。


 量販店で買ったスーツは、肩幅が少し余っていて、裾が微妙に長い。ネクタイは締め方が分からなかったので首から下げたまま放置してある。周囲のフォーマルな装いの中で、一人だけ間違って紛れ込んだ通行人のような佇まいだった。


「……刃。そのスーツ、礼服のつもり?」


 レイラが近づいてきた。銀色の髪をアップに纏め、深い蒼色のイブニングドレスを纏っている。Sランク冒険者に相応しい、息を呑むような美しさだった。しかしその蒼い瞳は、刃のネクタイを睨んでいた。


「量販店で買った。サイズは……まあ、近いものを」

「全然近くない。肩が2サイズ余ってる。あとネクタイは締めるものであって首飾りじゃないの」

「締め方が分からなかった」

「……来て。直す」


 レイラが刃のネクタイを手に取り、手際よくウィンザーノットを結んだ。至近距離でレイラの銀色の髪が揺れ、微かに氷のような清涼感のある香りがした。


「はい。これでまだマシ。……あとサイズの合うスーツは今度一緒に見に行くから」

「一緒に?」

「一人で行かせたら同じものを買ってくるでしょ」

「否定できない」


 その時、会場の大型スクリーンに速報テロップが流れた。


 《速報:探索者協会ランキング更新——レイラ・アシュフォード、世界ランキング3位へ浮上。深淵都市5階層ボス単独討伐の記録が加算》


 会場が沸いた。拍手と歓声。神盾機関イージス・コーポレーションのメンバーたちが一斉にレイラを見る。


「レイラさん、おめでとうございます!」

「世界3位! さすがです!」

「蒼氷姫、最高!」


 レイラは穏やかに微笑み、拍手を受けた。蒼氷姫(ブルー・プリンセス)の完璧な笑顔。しかし蒼い瞳の奥で、一つだけ別のことを考えていた。


(……3位。まだ足りない。あの人に追いつくには、3位じゃ全然足りない。1位でも足りるかどうか分からない)


 視線は一瞬だけ、ネクタイを直してもらったばかりの刃に向けられた。刃はグラスに注がれた炭酸水を飲みながら、スクリーンの速報を眺めていた。表情は変わらない。いつもの、冴えない顔。


(感想の一つくらい言ってくれてもいいのに)


 ——レイラがそう思った瞬間。


「おめでとう」


 刃が、小さな声で言った。視線はスクリーンを見たまま。


「……3位か。すごいな」


 それだけだった。それだけだったが、レイラは手帳を取り出しそうになって、パーティー中だと思い出し、代わりにシャンパンを一口飲んだ。泡が鼻に抜けた。



◇ ◇ ◇



「八雲くーん!」


 明るい声が、会場の人混みを突き抜けてきた。


 ミラ・ヴァレンティが、ワインレッドのカクテルドレスで近づいてくる。赤みがかった茶色のショートヘアを軽くウェーブさせ、琥珀色の瞳がきらきらと輝いている。


「パーティーに来てたんだ! 良かった、ちょっと話したいことがあって——」

「あら、ミラさん」


 レイラが、たまたま刃とミラの間に立っていた。タイミングは完璧に「偶然」だった。


「レイラさん。ちょっと八雲くんと——」

「ごめんなさい、ちょっと刃に確認したいことがあって。お先にいい?」


 レイラが刃の腕を掴み、すいっとミラから引き離した。


 5分後。


「八雲くん、さっき途中だったんだけど——」

「あ、ミラさん。ごめんなさい、また刃に確認が」


 レイラが再び「偶然」割り込んだ。


 10分後。


「やっと見つけた。八雲くん、今度の日曜にお茶でも——」

「刃、ちょっといい? 急用」


 3回目。ミラの琥珀色の瞳が細くなった。


 20分後。4回目。30分後。5回目。


「……レイラさん。さっきから急に現れるんだけど」

「ちょっと刃に確認したいことがあって」

「5回目よ?」

「確認したいことが5個あった」


 ミラが腕を組んだ。Aランク探索者の直感が、目の前のSランクの行動パターンを完全に看破していた。


「……レイラさん。もしかして、私が八雲くんに近づくの、嫌?」


 レイラの蒼い瞳が、0.5秒だけ揺れた。


「……いいえ? 別に?」


 手帳を持つ手の周囲に、微細な氷の結晶が浮いていた。本人は気づいていない。


「……そうですか。じゃあ、いい? 10秒だけ」

「……どうぞ」


 ミラが素早く刃に近づいた。


「八雲くん。前にメッセージ送ったけど、今度の日曜、お茶しない? ダンジョンの中じゃゆっくり話せなかったから」

「えっと——」


 刃が返事をする前に、レイラの蒼い指先が刃の袖を掴んでいた。引っ張ってはいない。ただ掴んでいるだけだ。


「……行ってもいいけど。私も行く」

「え、レイラさんも来るの?」

「三人の方が楽しいでしょ?」

「そういうことじゃない気がするんだけど……」


 刃は二人の間で、炭酸水を飲んだ。


(……面倒くさい)



◇ ◇ ◇



 パーティーの中盤。


 刃が料理テーブルの端でローストビーフを皿に取っている時、背後に大きな影が立った。


「八雲さん」


 ガレスだった。左手にウイスキーのロックを持ち、片腕の右肩を少しだけ庇うように立っている。フォーマルな軍服風のジャケットを着ていたが、右袖が空いている姿が痛々しかった。


「お疲れ様です、ガレスさん」

「ああ。お前もよくここまで来たな。Fランクのポーターが、神盾機関の祝賀パーティーに呼ばれるのは前例がない」

「……なぜ呼ばれたのか、俺にも分からないんですが」

「レイラさんが招待リストに追加したらしい。ポーターの欄に『必須』と書いてあったそうだ」


 刃はローストビーフを一切れ口に入れた。美味かった。


「八雲さん」


 ガレスの声が少し低くなった。


「ダンジョンの中でずっと気になっていたことがある。今さら聞くのもなんだが——本当に、何者なんだ。お前は」


 刃はゆっくりとローストビーフを咀嚼し、飲み込んだ。


「ただのポーターです」

「……そうか」


 ガレスはウイスキーを一口飲んだ。


「なら、こう言い換える。うちのチームに入る気はないか。正規の契約で。Fランクでもポーター枠がある。レイラさんの指名枠じゃなく、俺の推薦で」


 刃が少し目を見開いた。


「……俺を? Fランクの?」

「ああ。お前と一緒にダンジョンに潜って、俺は初めて目に届かない場所が安全だと思えた。理由は説明できない。ただの、勘だ」


 それは、元軍人が現役時代に培った「生存勘」の話だった。戦場で10年間生き延びた人間が、後方にいるポーターに対して「安全だ」と感じる。それが何を意味するか、フルキャリアの軍人には分かる。


「……考えとく」


 刃は答えた。いつもなら「断る」になるはずの言葉が、今日は「考える」に変わっていた。自分でも少し驚いたが、ローストビーフの2切れ目を取ることで誤魔化した。

 ガレスは小さく笑い、ウイスキーを傾けて去っていった。



◇ ◇ ◇



 パーティーの終盤。

 ゲストたちが少しずつ帰り始め、シャンデリアの光が柔らかくなっている。大型スクリーンの映像はループを終え、東京の夜景だけが窓の外に広がっていた。

 刃は窓際に立っていた。炭酸水のグラスは空になっている。


「お疲れ様、刃」


 レイラが隣に立った。シャンパングラスを手に、窓の外を見ている。パーティー中の蒼氷姫(ブルー・プリンセス)の仮面は少し外れていて、疲労と穏やかさが入り混じった表情をしていた。


「……お疲れ。長い6日間だったな」

「ええ。でも、みんな帰ってこられた」

「……お前が強かったからだ」


 レイラは少し黙った。シャンパンを一口飲んだ。


「……どっちも正解でいいじゃない。私が強くて、あなたがいてくれたから」


 刃は何も言わなかった。窓の外の夜景を眺めていた。東京タワーの赤い光が、ガラスに反射してぼんやりと揺れている。


「……刃」

「ん」

「明日からも面倒なことが起きると思う。『最強のポーター』なんてトレンドが立っちゃったし。メディアも協会も動き始める。今までみたいに隠れていられなくなるかもしれない」


 刃がため息をついた。


「……分かってる」

「でも——」


 レイラが刃を見た。蒼い瞳に、パーティーのシャンデリアと東京の夜景が映り込んでいた。


「——何があっても、私がいるから。隣に」


 刃は0.5秒だけレイラを見て、視線を窓に戻した。


「……ああ。知ってる」


 窓の外で、東京の夜は静かに更けていった。

 6日間のダンジョンを生き延びた二人が、ただ並んで窓の外を見ている。それだけの時間が、パーティーの喧騒よりもずっと静かで、ずっと温かかった。


 ——しかし、刃はまだ知らなかった。


 この夜を最後に、「平穏な日常」が永遠に失われることを。明日の朝、目を覚ました瞬間から、世界が変わることを。


 ポケットの中の端末が、すでに47件の通知を溜め込んでいることに気づくのは、安アパートに帰ってからだった。

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― 新着の感想 ―
私がいるから、じゃないのよ 本当に厄介なのに捕まってもうたな主人公
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