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底辺探索者の手加減極意 〜最強の師匠に育てられた俺はソロでダンジョンを攻略したいだけなのに、偶然トップ配信者を助けたら世界中から注目されてしまった〜  作者: らいお
参ノ太刀 英雄と荷物持ち

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第33話「覚醒」

 5階層の最奥部。


 掃除屋の捕縛から半日が経ち、神盾機関イージス・コーポレーションチームは他チームと合流して5階層の最終エリアに到達していた。

 そこは——地下都市の中枢だった。崩壊した巨大な円形ホール。直径200メートル以上の空間が広がり、天井は50メートル以上の高さにそびえている。壁面を覆い尽くす蛍苔(けいたい)が、これまでとは比較にならない輝度で蒼白い光を放ち、空間全体が蒼い炎の中にいるような錯覚を引き起こす。

 魔素(マナ)密度は、測定器が振り切れるレベルだった。


 そして——ホールの中央に、それはいた。


 深淵の主(アビス・ロード)


 推定全長15メートル。蛇と竜を混ぜ合わせたような異形の巨体が、ホールの中央に蜷局を巻いている。全身を覆う鱗は漆黒で、その隙間から蒼い魔素(マナ)の光が脈動するように漏れ出している。6つの目が、侵入者たちを冷たく見下ろしていた。

 Sランク相当——いや、それ以上の存在。未踏ダンジョンの最深部に棲む、階層の支配者。


「……これが、5階層のボスか」


 紅炎団(レッドフレイム)のリーダーが、顔を青くしながら呟いた。


「Sランク相当。……合同チーム全員でかかっても、勝てるか怪しいぞ」


 各チームのリーダーが集まり、緊急の作戦会議が始まった。撤退か、戦闘か。4チーム80名以上の探索者の命がかかっている。

 配信ドローンが深淵の主(アビス・ロード)の姿を捉え、世界中に映像を送り始めた。視聴者数が爆発的に跳ね上がる。3000万。4000万。5000万人以上が、この瞬間を見ている。


「撤退するなら今だ。あいつがまだ動いていないうちに——」


 白銀騎士団(シルバーナイト)のリーダーが進言した。


「いいえ」


 レイラの声が、全員を止めた。


「戦うわ」


 静寂が落ちた。全チームのリーダーが、レイラを見た。


「レイラさん、正気ですか。あれはSランク相当——下手したらそれ以上ですよ」


 ミラが心配そうに声をかけた。


「分かってる。だから私が前に出る。他のチームは後方支援と退避経路の確保。深淵の主(アビス・ロード)の注意を私に集中させるわ」

「一人で……?」

「世界ランキング8位の仕事よ。こういう時のために、私はここにいるの」


 レイラの蒼い瞳に、迷いはなかった。蒼氷姫(ブルー・プリンセス)の顔ではない。もっと奥にある、純粋な戦士としての覚悟の顔だった。


 ガレスが前に出た。スタンピードで右肩を食い破られ、それからずっと片腕で前線に立ち続けている男が、その左腕で敬礼した。


「ついて行きます」

「ガレス、あなたは片腕しかまともに使えないわよ」

「片腕でも斧は振れます。それに——」


 ガレスはちらりと最後尾を見た。バックパックを背負ったポーターが、壁際でバックパックの中身を確認している。


「——いざとなれば、何とかなる気がしてるんで」


 レイラは、一瞬だけ口の端を持ち上げた。


「……そうね。何とかなるわ」



◇ ◇ ◇



 戦闘が始まった。


 レイラが先陣を切った。氷の翼を展開し、深淵の主(アビス・ロード)に向かって突進する。蒼い魔素(マナ)が彼女の全身を包み、氷の鎧が形成されていく。蒼氷姫(ブルー・プリンセス)の全力戦闘形態。世界ランキング8位の、本気。


 深淵の主(アビス・ロード)が咆哮した。

 音圧だけでホールの壁が震え、蛍苔(けいたい)が振動で一瞬消えた。空間全体が暗闇に沈み、次の瞬間に深淵の主(アビス・ロード)の体から放たれる蒼い光だけが残った。

 レイラの氷の槍が深淵の主(アビス・ロード)の鱗に突き刺さった。しかし、鱗は砕けなかった。表面に傷がついただけだ。Sランク以上の防御力。


(……硬い。私の氷の槍が通らない。なら——)


 レイラは戦術を切り替えた。正面からの火力勝負ではなく、精密な攻撃で弱点を探る。氷眼(ひょうがん)深淵の主(アビス・ロード)の全身をスキャンし、鱗の合わせ目、関節の隙間、魔素(マナ)の流れが集中するポイントを解析していく。


 後方では他チームが深淵の主(アビス・ロード)の注意を分散させるために遠距離攻撃を仕掛けている。ミラの弓が深淵の主(アビス・ロード)の目を狙い、矢が6つの目のうち1つを掠めた。深淵の主(アビス・ロード)が頭を振り、一瞬だけレイラから注意が逸れる。

 その隙にレイラが飛び込んだ。氷の剣を両手に生成し、深淵の主(アビス・ロード)の首の付け根——鱗の合わせ目が最も薄い部分に斬りかかった。

 氷の刃が鱗を貫通した。蒼い血が噴き出す。


 深淵の主(アビス・ロード)が激昂した。

 尾が振り回され、ホールの床を薙ぎ払った。レイラは氷の翼で回避したが、衝撃波で姿勢が崩れた。その隙を突いて、深淵の主(アビス・ロード)の顎が開いた。蒼い魔素(マナ)が口腔内に集束していく。ブレス攻撃。


「レイラさん、離れて!」


 ガレスが叫んだ。

 だが、レイラは離れなかった。

 代わりに、深淵の主(アビス・ロード)のブレスの正面に立った。


(ここだ)


 レイラの氷眼(ひょうがん)が、深淵の主(アビス・ロード)のブレスの構造を解析していた。魔素(マナ)の集束パターン。エネルギーの流れ。放出の角度と速度。そして——ブレスが放たれる直前、口腔内の魔素(マナ)が最大密度に達する、0.3秒の「溜め」の瞬間。

 その0.3秒間だけ、深淵の主(アビス・ロード)の口腔内の防御力がゼロになる。全てのエネルギーがブレスの生成に回されるからだ。


(——刃が教えてくれた。「力を溜めている瞬間が、一番無防備だ」って。あの人の素振りを見ていて、分かった。力の頂点は、同時に隙の頂点になる)


 レイラは両手を前に突き出した。


氷華展開(ブルーム)——全域凍結」


 レイラの全魔素(マナ)が解放された。

 氷が爆発的に生成された。レイラの手から放たれた凍結の波が、深淵の主(アビス・ロード)のブレスに真正面から衝突した。蒼い炎と白い氷が拮抗し、ホール全体が蒼白い光に包まれた。

 ——そしてレイラの氷は、ブレスの中を突き進んだ。蒼い炎を凍結させ、魔素(マナ)のエネルギーそのものを氷に変換しながら、深淵の主(アビス・ロード)の口腔内に到達した。


 内側から凍った。


 深淵の主(アビス・ロード)の口腔が、咽喉が、気管が。内部組織が一瞬で凍結した。蒼い血が氷の結晶になり、筋肉が凍りつき、魔素(マナ)の循環が停止した。

 深淵の主(アビス・ロード)は——叫ぶことすらできずに、その場に崩れ落ちた。15メートルの巨体が地面に激突し、ホール全体が震動した。


 蒼い光が消えた。蛍苔(けいたい)だけが静かに輝く空間の中で、レイラは立っていた。

 氷の鎧は砕け散り、左腕から血が流れている。魔素(マナ)の枯渇で体が震えていた。しかし——立っていた。


 沈黙が、続いた。


 そして——爆発的な歓声が、全チームから沸き上がった。

 一瞬の決着だった。


「倒した……! 蒼氷姫(ブルー・プリンセス)が、一人で——!」

「Sランクの深淵の主(アビス・ロード)を……!」

「世界ランキング8位、やべえ……!」


 配信ドローンが奇跡的に復旧し、レイラの勝利の瞬間をリアルタイムで世界に届けた。視聴者数は6,000万を突破していた。コメント欄は歓喜の渦に飲まれている。


『蒼氷姫覚醒きたああ!』

『世界8位の本気やば』

『これ世界ランキング上がるだろ』

『伝説だろこれ』

『泣いた』


 ミラが走ってきてレイラを支えた。


「レイラさん……! すごい……!」

「……ふふ。ありがとう」


 レイラは微笑んだ。疲労で霞む視界の中で、ホールの端を見た。

 壁際で、バックパックを背負ったポーターが、静かに拍手をしていた。パチ、パチと。ゆっくりとした、しかし確かな拍手。

 刃が、レイラを見て、小さく頷いた。


(——よくやった)


 声には出さなかった。口の動きだけで。

 レイラの目に、涙が浮かんだ。


(……見ていてくれた。刃が、見ていてくれた。私の全力を。私の覚醒を。あの人が手を出さなくても良いくらいに、私は——強くなれたんだ)


 レイラは涙を拭い、蒼氷姫(ブルー・プリンセス)の顔に戻った。


「全チーム、深淵の主(アビス・ロード)の討伐を確認。5階層の制圧完了を宣言します。——帰りましょう」



◇ ◇ ◇



 チームが勝利の余韻に浸る中。

 刃はベースキャンプの壁際で、誰にも聞こえない声で呟いた。


「……あいつのブレスの威力、俺の素振りの3割くらいはあったな。師匠なら5割って言うかもしれないけど。レイラはあれを正面から覆した。……成長したな」


 水を一口飲む。


「……ま、俺が手を出す必要がなくて良かった。配信のカメラも復旧してたし、さすがに6000万人の前で素振りするわけにはいかない」


 ——実は、刃は準備をしていた。


 深淵の主(アビス・ロード)がブレスを放つ直前。レイラが正面に立った瞬間。刃はバックパックの中に手を入れていた。バックパックの奥底——補給品の下に隠してある、一振りの日本刀の柄に指が触れていた。

 レイラが負けていたら。ブレスに呑まれていたら。刃は0.1秒で日本刀を抜き、深淵の主(アビス・ロード)を斬っていた。カメラがあろうが、6,000万人が見ていようが。


 しかし、その必要はなかった。


(……レイラは、もう俺が守る必要のない強さに近づいてる。師匠の「力を溜めている瞬間が一番無防備だ」って教え、俺が言ったこともないのに自分で気づいたな。あいつの氷眼(ひょうがん)は、本当にとんでもない才能だ)


 刃はバックパックの中の日本刀から手を離し、代わりに水筒を取り出した。


「……師匠。俺にも弟子ができそうなんだが、どうしたらいい? ……いや、弟子じゃないか。あいつは俺の弟子じゃない。俺のポーター契約の雇い主で、秘密の共犯者で、氷の結晶を無意識に生成する嫉妬深い女で——」


 刃は言葉を切った。


「……なんだろう、この関係」


 答えは出なかった。代わりに、缶コーヒーが飲みたくなった。

 5階層に缶コーヒーはなかった。

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