第32話「黒剣商会の断末魔」
尋問は、レイラの得意分野だった。
5階層の仮設ベースキャンプ。捕縛した掃除屋3名は、氷の拘束で手足を固定された状態でテントの中に転がされていた。グレイとハンナは意識を取り戻していたが、ドルクはまだ白目を剥いたままだった。
周囲には神盾機関チームのメンバーが警備に立ち、ガレスが斧を肩に担いで入口を塞いでいる。配信ドローンは意図的にオフ。この場の映像は、世界のどこにも流れない。
レイラはグレイの正面に椅子を置き、足を組んで座った。
蒼氷姫の仮面。完璧な微笑み。蒼い瞳は穏やかに細められているが、その奥に北極海の水圧が渦巻いている。
「初めまして、改めて。レイラ・アシュフォードよ。あなたのお名前は?」
「……」
「答えたくない? いいわ、別にお名前はどうでもいいの。聞きたいのは一つだけ」
レイラが微笑んだまま、人差し指を立てた。
「誰に雇われたの?」
グレイは黙っていた。銀灰色の短髪の下で、冷たい目がレイラを見返している。15年のプロとしてのプライド。拷問耐性も訓練済み。口を割る気は微塵もない、という顔だった。
「……黙秘する権利はある。ダンジョン内でも法は適用されるからね」
レイラはそう言いながら、手袋を外した。白い指先に、微かな魔素の青い光が灯る。
「でもね。私の氷眼には、あなたたちの装備の製造番号が全部示しだされてるの。その短剣——刃渡り22センチ、魔導鋼製、製造ロットMR-7742。この型番は、闇市場で流通している暗殺用特注品。製造元は鉄蛇工房。そしてこの工房の最大顧客は——」
レイラが微笑みを深めた。
「黒剣商会。違う?」
グレイの瞳が、0.5ミリだけ揺れた。
プロの暗殺者は表情を変えない。しかし瞳孔の微細な反応は、氷眼のセンサーが見逃さなかった。
「氷眼の瞳孔解析。ストレス反応を検出」
レイラがタブレット端末を見ながら、淡々と読み上げた。
「心拍数の微増も確認。『黒剣商会』というワードに対して、生理的な緊張反応が出てるわ。嘘をつくのは自由だけど、体は正直ね」
グレイの唇が、微かに歪んだ。
「……嬢ちゃん。俺が口を割ると思うか」
「思わないわ。あなたはプロだもの。だから——」
レイラが視線をハンナに移した。
「セコンドの方に聞くわ」
ハンナが目を見開いた。
「んなッ……! 私も喋らない——」
「ハンナ・ミュラー。年齢32歳。出身地はカッセル。4年前に探索者協会の登録を抹消。理由は『協会規約違反による処分』。処分内容は——ダンジョン内での違法薬物の取引仲介。現在は闇ギルド鉄蛇の下請けとして活動中」
ハンナの顔から血の気が引いた。
「な——なんで私の本名を——」
「氷眼の生体認証データベース。虹彩パターンの照合で、過去の探索者登録記録と一致したの」
レイラの声は穏やかだった。穏やかすぎて、逆に怖かった。
「ハンナさん。あなたの経歴から推測すると、黒剣商会との契約は直接ではなく、仲介者を通してるわよね。仲介者の名前を教えてくれたら、あなたの過去の違法薬物の件は見逃してあげる。探索者協会への報告も、しない」
「……ッ。そんな取引、グレイが——」
「グレイさんはプロよ。口を割らない。でもあなたは違うでしょう? プロのプライドと、自分の人生と。どっちが大事?」
沈黙が落ちた。
グレイが低い声で言った。
「ハンナ。喋るな」
「でもグレイ、私の過去が——」
「喋るな」
「——黒剣商会よ!」
ハンナが叫んだ。グレイが目を閉じた。
「黒剣商会の副社長、ヴィクター・ドレイク。あの男が直接依頼してきた。ターゲットは蒼氷姫。報酬は3,000万。『ダンジョン内の事故に見せかけろ』って。初日のスタンピードも、あの男が仕組んだのよ。通信ジャマーの設置も、魔獣誘引装置の起動も——全部、黒剣商会の計画だった」
テントの中が静まり返った。
レイラは微笑みを消さなかった。しかし、蒼い瞳の奥に冷たい怒りが灯っていた。
(……ヴィクター・ドレイク。黒剣商会副社長。初日のスタンピードから、全てこいつの計画だった。あの日、チームの半分が重傷を負った。ガレスは右肩を失いかけた。——全部、こいつのせいだった)
「ありがとう、ハンナさん。とても助かったわ」
レイラは立ち上がり、タブレットに記録を保存した。
そしてテントの外に出て、待機していたガレスに向き直った。
「ガレス。3人の身柄を確保して。5階層を出たら、探索者協会と警察に引き渡す」
「了解。……黒剣商会、ですか」
ガレスの目が鋭くなった。
「商会の副社長が直接暗殺を依頼していた。初日のスタンピードも、通路の崩落も、全て黒剣商会の計画だった」
「……あのスタンピードで、うちの隊員が何人怪我をしたと思ってるんだ」
ガレスの声に、初めて怒りが滲んだ。片腕を失いかけた当事者の怒りだった。
「地上に戻ったら、証拠を揃えて探索者協会に告発する。黒剣商会を潰すわ」
レイラの声は静かだったが、蒼氷姫の声だった。氷のように冷たく、絶対的な決意に満ちている。
◇ ◇ ◇
テントの外。ベースキャンプの隅。
刃は壁際に座って水を飲んでいた。尋問の場には参加していない。ポーターに尋問を見せる必要はない。
しかし、半径500メートルの魔素感知は、テントの中の会話を振動として拾っていた。
(……黒剣商会の副社長、ヴィクター・ドレイク。初日のスタンピードから全部こいつの計画だった。レイラを殺すために。……ガレスの腕を奪ったのも、崩落で50人以上が怪我をしたのも、全部)
刃は水筒の蓋を閉めた。
(レイラが法的に潰すと言っている。それが正しいやり方だ。証拠を集めて、協会に告発して、法のプロセスで裁く。俺が手を出す必要はない)
……のだが。
(ヴィクター・ドレイクはまだ地上にいる。レイラたちが5階層から帰還するまでに、証拠隠滅を図る可能性がある。掃除屋が捕まったことを知れば、逃亡するかもしれない。……そうなったら、法的な手続きでは追いつけない)
刃は天井の蛍苔を見上げた。
(……俺はポーターだ。暗殺者を潰したのは、レイラが危なかったからだ。企業間の権力闘争とか、法的な争いとか、そういうのには首を突っ込まない。突っ込みたくない。面倒だ)
水筒を開け、もう一口飲んだ。
(……面倒だけど)
レイラの声が、脳裏に蘇った。「最後の一人になっても、あなたの味方だから」。
ガレスの声も。「もしもの時は遠慮するな」。
ミラが置いていったフラスクのハーブティーの味も。
(……こいつら全員、黒剣商会のせいで危ない目に遭った。ガレスは腕を失いかけた。レイラは暗殺されそうになった。他のチームの50人以上が崩落に巻き込まれた)
刃は目を閉じた。
(……ポーターの仕事じゃないな、これは。だけど——)
目を開けた。
「——まあ、荷物の整理が終わったら、ちょっと散歩にでも行くか」
独り言のように呟き、バックパックの中身を確認し始めた。
蒼氷姫が法の剣で黒剣商会を断つなら。
最強のポーターは、散歩のついでに逃げ道を塞ぐ。
——それぞれの方法で。




