第22話「違和感の芽」
イベント2日目。午前7時45分。
深淵都市地上拠点の食堂テントには、各チームの探索者たちが集まっていた。
長テーブルに並ぶのは、栄養重視の味気ないレーション——と、企業スポンサーが持ち込んだ妙に豪華な朝食。神盾機関のテーブルには焼きたてのクロワッサンが山積みにされ、他チームのBランク連中が恨めしそうに眺めている。
刃は食堂テントの隅で、一人、おにぎりを食べていた。
(……自前のおにぎり。ツナマヨ。コンビニの半額。やっぱりこれがうまい。半額だからもっとうまい。)
神盾機関のテーブルから離れた端の席。ポーターは正規チームメンバーではないので、食事エリアも微妙に分かれている。刃にとってはその距離感がちょうど良かった。
(今日から4階層。レイラの話じゃ、魔素密度はさらに上がる。魔獣のランクもBが主体。……まあ、ポーターの俺には関係ないか。荷物を持って、後ろを歩いて、死角で余計な奴を処理するだけだ。いつもと変わらない)
おにぎりの最後の一口を頬張った時、テーブルの向こう側から声が聞こえた。
◇ ◇ ◇
食堂テントの中央付近。他企業チームの探索者たちが、昨日の出来事について語り合っていた。
「しかし、マジですごかったよな。神盾機関チーム。3階層でスタンピード食らって死者ゼロだぜ?」
Bランク探索者のカイルが、コーヒーカップを片手に首を振った。
紅炎団所属。火属性の斧使いで、粗暴だが率直な男だ。
「ま、そりゃあ蒼氷姫がいるからな。あの人が本気出せばスタンピードだって何とかなんだろ」
隣に座った同チームのBランク探索者、ナツキが肩をすくめる。
「いや、おかしくないか?」
もう一人。白銀騎士団所属のBランク探索者、トーマが声を落とした。
「俺、昨日の帰還時に神盾機関チームの後方を見たんだよ。チーム全員、大なり小なり傷ついてた。レイラさんだって左肩やられてたし、Aランクのガレスさんは右肩を喰い破られてた。Bランクの連中は全員どこかしら血まみれで……」
「まあ、スタンピード食らったんだから当然だろ」
「だからおかしいんだよ。全員が傷ついてたのに、一人だけ——たった一人だけ、傷どころか服の汚れすらなかった奴がいた」
カイルとナツキが顔を見合わせた。
「誰だよ」
「ポーターだ。……あのFランクの、八雲って名前のやつ」
トーマの視線が、食堂テントの隅に向いた。
そこでは冴えない青年が、一人静かにおにぎりを食べている。
「あいつ、バックパックを背負ったまま3階層のスタンピードを生き延びたんだぞ。荷物を置いて逃げたわけでもない。戦った形跡もない。なのに、無傷。服も破れてない。あり得るか?」
「……たまたま安全な場所にいたんじゃないか? ポーターだし、後方にいたんだろ」
「3階層の構造を見ただろ。あの狭い通路で挟撃されて、『後方に安全な場所』なんかあるわけないだろ。前からも後ろからも魔獣が来てたんだ」
カイルが黙った。
「……考えすぎだよ、トーマ。Fランクのポーターだぜ? たまたま運が良かったんだろ」
「……かもな」
トーマは最後にもう一度だけ、食堂の隅で欠伸をしている刃を見た。
それから視線を戻し、コーヒーを飲んだ。
喉に何か引っかかるような感覚は、コーヒーでは流れなかった。
◇ ◇ ◇
食堂テントの神盾機関チームテーブル。
レイラは美しい所作でクロワッサンを千切りながら、チームメンバーとの朝食を取っていた。
蒼氷姫の顔。完璧な微笑み。一点の隙もない。
その対面に、ガレスが座っていた。
右肩の治療は回復魔法で進んでいるが、腕はまだ完全には上がらない。食事も左手で行っている。
「……レイラさん」
ガレスが、スクランブルエッグをフォークで突きながら、声を落とした。
「昨晩の件については承知しました。報告書はお任せします。……ただ、一つだけ、いいですか」
「何?」
レイラがコーヒーカップを口元に運びながら、穏やかに応じた。
「俺たちが3階層で気を失った後のことです。俺は肩をやられて意識が飛んだ。次に目が覚めた時には、魔獣は一匹もいなかった」
「そうね。混乱の中で魔獣の群れが散開したのよ。未踏階層の魔獣は行動パターンが読めない。スタンピード後に巣穴に引き返した可能性が高いわ」
レイラの回答は淀みなかった。昨夜のうちに何度も頭の中で反復した説明だ。
ガレスは数秒だけ黙った。
「……散開、ですか」
「ええ」
「スタンピードの魔獣が、自発的に散開する。それで全滅していた群れが、綺麗に消える。……あり得ますか?」
「未踏ダンジョンでは前例のないことが起きる。だから未踏なの」
完璧な返しだった。論理に隙がない。
ガレスはフォークを置いた。
「……了解しました。俺の記憶も曖昧ですし、それ以上は何も。ただ——」
「ただ?」
「あのポーターの八雲さんが、俺たち全員の応急処置をしてくれた時。あの人の手、見ましたか」
「…………」
「俺みたいなAランクでも、あの状況なら手が震えるはずだ。あのスタンピードの直後に、まるで昼飯のあとにでも包帯を巻くみたいに——手が一切震えていなかった。ポーターが、ですよ。Fランクの」
レイラのコーヒーカップが、微かに止まった。
0.5秒。
すぐに唇に運び、静かに飲む。
「……彼は経験豊富なポーターよ。緊急時の応急処置も慣れているの。それだけのことだわ」
「そうですか。……なら、いいんですが」
ガレスは椅子から立ち上がった。
「俺は俺で、今日の探索に集中します。4階層の先陣はうちのチームなんでしょう? 肩が上がらなくても、片手で斧は振れますから」
「ガレス」
「はい?」
レイラが微笑んだ。
蒼い瞳は穏やかで、しかしその奥に、針のような鋭さがあった。
「昨日と今日の会話。他のチームには、しないでね」
命令ではない。お願いでもない。
蒼氷姫という存在が発する、静かな圧。
「……了解しました」
ガレスは頷き、テーブルを離れた。
背を向けながら、心の中で呟いた。
(……あの人、何かを隠してる。あのポーターの八雲って男の、何かを。だが今は掘り下げるべきじゃない。蒼氷姫に逆らってまで追及するほど、俺は愚かじゃない。……ただ、覚えておく。八雲刃。あのFランクの手は、戦場を知っている人間の手だった)
◇ ◇ ◇
同じ時刻。
深淵都市地上拠点から車で20分ほどの場所にある、仮設の企業オフィスエリア。
各参加企業がイベント期間中の拠点として借り上げた、プレハブ造りの事務所群。
その一画に、黒剣商会のロゴが掲げられた建物があった。
窓のないオフィスの奥。
ヴィクター・ドレイクは、衛星通信端末を耳に当てていた。
40代半ば。銀混じりの黒髪をオールバックに撫でつけ、仕立ての良いスーツを着崩すことなく身にまとっている。黒剣商会副社長。この開拓イベントにおける商会側の総指揮官だった。
「——状況は聞いた。神盾機関チームが3階層のスタンピードを全員生還。死者ゼロ。ジャマーも何者かに破壊された。……ダリオ、お前の報告書は読んだ。『想定外の魔獣群の分散』と書いてあったが」
通信の向こうで、ダリオの声が緊張を含んで応じる。
『はい……申し訳ございません、副社長。あの規模のスタンピードでSランクを含むチームが全員生還するのは、正直、我々の想定にはありませんでした。何らかの外的要因が——』
「外的要因」
ヴィクターは静かに繰り返した。
「3階層の通信は途絶していた。配信ドローンも全機墜落。つまり、記録には何も残っていない。その空白の47分間に何が起きたかは、現場にいた人間にしか分からない」
椅子の背にもたれ、天井を見上げる。
「……レイラ・アシュフォード一人の力にしては、結果が綺麗すぎる。だが今は証拠がない。次に進む」
『次、とおっしゃいますと……?』
「掃除屋を呼べ」
ダリオの息が、通信越しに聞こえた。
『……本気ですか。あの連中を使えば、費用だけで——』
「費用の問題じゃない。レイラ・アシュフォードが深層での主導権を握ったままイベントが終われば、我々の参入計画は頓挫する。深淵都市の開発利権を神盾機関に独占されるわけにはいかない」
ヴィクターは端末を握る手に力を込めた。
「掃除屋には、4階層以降で動いてもらう。ターゲットはレイラ・アシュフォード。ダンジョン内での『事故死』として処理する。配信ドローンの死角を利用しろ。未踏ダンジョンの深層なら、事故の一つや二つ、誰も疑わない」
『しかし……Sランクの蒼氷姫に掃除屋が通用しますか?』
「3人で十分だ。Aランク相当の暗殺のスペシャリスト。ダンジョン内での『偶発的な罠』と『魔獣の暴走』を組み合わせれば、Sランクでも対処は難しい。特に、チームから分断された状態であればな」
ヴィクターは通信を切ろうとして、一瞬だけ止まった。
「……ああ、もう一つ。レイラのポーター、Fランクの八雲という男がいる」
『……八雲? ああ、あのレイラが指名したFランクの……何か?』
「気にしなくていい。ただのFランクのポーターだ。邪魔になるようなら、ついでに始末しろ」
通信が切れた。
ヴィクターは椅子に深く腰掛け、デスクの上のタブレット端末を弄った。画面には、昨日の配信アーカイブが映し出されている。レイラ・アシュフォードの華麗な戦闘。視聴者数2000万人越え。コメント欄は賛辞の嵐。
その映像の端に、バックパックを背負った青年の後ろ姿が、ほんの一瞬だけ映りこんでいた。
ヴィクターはその映像に気づかなかった。
——もし気づいていたとしても、何も変わらなかっただろう。
あの場所で何が起きたのか。あの「ただのポーター」が何者であるのか。
それを知る者は、この世界にまだ、たった二人しかいなかった。




