第20話「最強のポーターは、静かに帰路につく」
怪我人の手当てが一通り終わった。
刃は最後のBランク探索者の腕に包帯を巻き終え、テープを切った。
「……はい、これで大丈夫です。深くは切れてないので、地上に戻れば治療魔法で跡も残りません」
「あ……ありがとう、ございます」
Bランク探索者は、ぎこちない笑顔で礼を言った。
目が泳いでいる。当然だ。40秒前に100体以上の魔獣を「ただ歩くだけ」で殲滅した男に、包帯を巻いてもらっている。平静でいられるはずがない。
神盾機関チームの12名中、重傷者は3名。軽傷者は5名。死者はゼロ。
スタンピード規模の魔獣群に挟撃されて死者ゼロという結果は、通常ならあり得ない。その「あり得ない」を成立させた男が、今、黙々と救急キットを片付けている。
「……あの」
Aランク探索者のガレスが、壁に寄りかかったまま口を開いた。
右肩を食い破られた男だ。応急処置は済んだが、顔は蒼白のままだ。
「八雲さん……だったか。さっきの、あれは……」
刃はバックパックの蓋を閉じながら、ちらりとガレスを見た。
「何のことですか」
「いや……何のこと、って……100体以上の魔獣が……」
「ああ、あれ。魔獣の群れが急に散開したんで、隙をついて通路の端まで逃げただけです。運が良かっただけですよ」
嘘だった。
あまりにも堂々とした嘘だった。
ガレスは口をぱくぱくさせた。反論したいが、反論する言葉が見つからない。何しろ自分は壁に叩きつけられて意識が朦朧としていた。「見た」と断言できるほど鮮明な記憶がない。
他のBランク探索者たちも同様だった。
負傷者は意識が混濁していたし、無傷の者も恐怖でまともに戦場を見ていなかった。起きたことは分かる。魔獣が消えたことは分かる。だが「誰が」「どうやって」の部分が、致命的に曖昧だった。
刃は、それを見越していた。
(……全力で動いた時間は40秒。チームの大半は負傷か恐慌状態で、俺の動きを正確に捉えた奴はほぼいない。唯一の問題は……)
視線を、レイラに向けた。
レイラは少し離れた壁際に座り込んでいた。左肩の傷に自分で包帯を巻きながら、蒼い瞳でじっと刃を見つめている。
(……こいつだけだ。氷眼で全部見てた)
二人の視線が交差した。
レイラの蒼い瞳は、静かだった。
問い詰めるでもなく、興奮するでもなく。ただ真っ直ぐに、刃を見ている。
刃は小さく息を吐き、レイラの横に腰を下ろした。
「……肩、見せろ」
「え?」
「包帯の巻き方が下手だ。自分でやるからそうなる」
刃はレイラの肩の包帯を解き、丁寧に巻き直し始めた。
「……痛いか」
「ちょっとだけ」
「もうちょっと我慢しろ。テープ、貼るぞ」
「うん」
レイラは、大人しく目を閉じていた。
いつもの「質問攻め」も、「手帳にメモ」も、しなかった。
包帯を巻き終えた後。
レイラが、目を開けずに、小さな声で言った。
「……刃」
「なに」
「さっきのこと。チームのみんなに、どう説明するの?」
刃は数秒だけ黙った。
「……説明も何も、何もしてない。魔獣が勝手に散開した。俺はポーターだ」
「……そう」
レイラの唇が、微かに持ち上がった。
「じゃあ、私も何も見てないことにする」
「…………」
「氷眼のログデータも、帰ったら消す。今日のこの階層での魔素変動は、スタンピードの影響による観測エラーとして報告する」
刃の手が、一瞬だけ止まった。
(……こいつ)
レイラは、目を開けた。
蒼い瞳が、穏やかに笑っていた。
「約束は守るって、言ったでしょ」
刃は息を吐いた。
長い、長い息だった。
「…………ありがとう」
今度は刃が言う番だった。
レイラの目が、ほんの一瞬だけ見開かれた。
そして、くしゃりと笑った。
「ふふ。刃が私にお礼言うの、初めてだね」
「……うるさい」
「手帳に書く」
「書くな」
いつもの掛け合いが戻ってきた。
だが、二人の間の空気は、ほんの少しだけ変わっていた。
◇ ◇ ◇
深淵都市から地上への帰還は、レイラの指揮で粛々と進められた。
通信が復旧したのは2階層に戻った時点だった。ジャマーの効果範囲を抜けた瞬間、外部との無線が回復し、地上の運営本部から怒涛の確認連絡が入った。
『神盾機関チーム、応答してください! 3階層で通信途絶から47分経過しています! 状況を報告してください!』
「神盾機関チーム、レイラ・アシュフォードです。3階層にてスタンピード規模の魔獣群と遭遇。交戦の末、退避に成功しました。死者ゼロ。重傷者3名。至急医療班の手配を」
レイラの声は、完璧に蒼氷姫のそれだった。
『了解しました! ゲート前に医療班を展開します! ……レイラ選手、スタンピード規模で死者ゼロとのことですが、それは……』
「詳細は帰還後に報告します」
通信を切ったレイラが、ちらりと最後尾の刃を見た。
刃はバックパックを背負い、何事もなかったかのように歩いていた。
ゲートを抜けて地上に出ると、報道陣と運営スタッフの嵐が待っていた。
「レイラさん! 3階層で何が!?」
「スタンピード規模の遭遇で死者ゼロと聞きましたが、詳細を!」
「魔獣の群れをどうやって撃退したんですか!?」
レイラは記者の質問攻めに、冷静に対応した。
「3階層にて原因不明のスタンピードが発生し、外部通信も遮断されました。チーム全員の連携による交戦と、退避判断の迅速さが死者ゼロに繋がったと考えています」
完璧な回答だった。
チーム全員の連携。退避判断。どこにも嘘はない。ただ、決定的な情報が一つ欠落している。
その「欠落」が、ゲートから20メートル離れた場所で、自販機の缶コーヒーを買っていた。
(……ようやく終わったか)
刃は缶コーヒーのプルタブを開け、一口飲んだ。
報道陣のカメラは全てレイラに集中しており、最後尾のポーターに注目する者は誰もいない。
(……これでいい。これが正しい形だ。レイラがヒーローで、俺は荷物持ち。記録にも記憶にも残らない。完璧だ)
缶コーヒーを飲み干し、ゴミ箱に投げ入れる。
振り返ると、報道陣の向こうからレイラがこちらを見ていた。
記者に囲まれながら、蒼い瞳だけが、まっすぐに刃を捉えている。
刃は右手を軽く上げた。
ひらひらと。小さく。
(お疲れ。先に帰るぞ)
レイラの唇が、微かに動いた。
彼女の口元を読んだ。
『また明日』
刃は小さく笑い、背を向けた。
(……また明日、か)
いつの間にか、「また明日」が当たり前になっていた。
面倒で、厄介で、巻き込まれ体質をどうにかしたい日々だけど。
(……まあ、悪くはないか)
世界最強のポーターは、缶コーヒーの余韻を口に残しながら、静かに帰路についた。
街灯の光に照らされた背中は、やはりどこから見ても、ただの冴えない青年だった。
(弍ノ太刀、完)
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