表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
底辺探索者の手加減極意 〜最強の師匠に育てられた俺はソロでダンジョンを攻略したいだけなのに、偶然トップ配信者を助けたら世界中から注目されてしまった〜  作者: らいお
弍ノ太刀 秘密の見学者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/79

第19話「やれやれ、残業代は出るのかな」

 カメラの赤いランプが消えた。


 最後の一機が壁に叩きつけられ、破片が床に散らばる。

 もう映像を撮る眼は、どこにもない。

 完全な密室。


 刃は一つ、長い息を吐いた。


(……よし)


 まず、バックパックを壁際に置いた。丁寧に、荷物が傷まないように。

 ポーターの仕事道具だ。雑に扱うわけにはいかない。


 次に、鉄剣を腰の鞘から引き抜いた。

 量販店で買った安物の鉄剣。刃渡り70センチ、重量1.2キロ。探索者なら誰でも最初に買うような、何の特徴もない一振り。刃はその柄を握り直し、軽く手首を回した。


(……久しぶりだな、こういうの)


 前方では、レイラがまだ戦っていた。


 右腕から血を流しながら、氷魔法を放ち続けている。Aランク探索者2名が背中を庇い、残りのBランクは負傷者を抱えて壁際に退避している。

 戦線は、もう保たない。あと数十秒もすれば、群れの圧力で全員が飲み込まれる。


 刃は、静かに歩き出した。


 最後尾から。

 誰にも気づかれないまま、倒れた探索者を跨ぎ、瓦礫を避け、血溜まりを踏まないように。まるで混雑した駅のホームを歩くような自然さで、戦場の中央へと進んでいく。


 Bランク探索者の一人が、壁際で刃の姿を見た。


「ポーターの人……!? 何を……危ない、下がってください……!」


 刃は振り返らなかった。

 ただ、右手を軽く上げてひらひらと振っただけだ。


(大丈夫。すぐ終わるから)


 レイラの背中が見えた。

 銀色の髪が血と汗で額に張り付いている。白い戦闘服は切り裂かれ、左肩には魔獣の爪痕が赤く走っている。それでも剣を握る手は震えていない。


 レイラの隣のAランク探索者が、前方の大型魔獣に弾き飛ばされて壁に叩きつけられた。


「っ……!」

「ガレス!」


 レイラが叫ぶ。だが前方からさらに3体の鎧蜥蜴(アーマー・リザード)が迫り、振り返ることすらできない。


 その時。

 レイラの横を、黒いパーカーがすり抜けた。


「え――」


 レイラが振り向く前に、刃は彼女の前に出ていた。

 レイラと群れの間に立ち、右手に鉄剣を下げたまま、前を向いている。


「刃……? 何を」

「ちょっと残業する。すぐ終わる」


 振り返らずに、そう言った。


 刃の背中は、細くて、頼りなかった。

 パーカーにジャージ。IDカードにはFランクと印字されている。腰には量販店で買った安物の鉄剣が一振りだけ。

 どこからどう見ても、ただのポーターだった。


 だが。


 レイラの氷眼(ひょうがん)が、刃の体から流れ出した魔素(マナ)を捕えた瞬間――。


(……え)


 氷眼(ひょうがん)の数値が、振り切れた。

 測定可能範囲を超過。表示がエラーを吐いている。


(……いつもの手加減とは、桁が違う。これが、刃の――封印を解いた時の魔素(マナ)……?)


 レイラの思考が追いつく前に。

 刃が、息を吸った。


 静かに。ゆっくりと。

 師匠に教わった呼吸法。基本の、一番最初の、ただの呼吸。


 そして。

 一歩、踏み込んだ。


「——」


 音は、なかった。


 いや、正確に言えば、音を超えた。

 空気が裂けるよりも速く、魔素(マナ)が反応するよりも速く、鉄剣が振り抜かれた。


 一閃。


 刃の前方10メートル以内にいた影猟犬(シャドウ・ハウンド)12体が、同時に崩れ落ちた。

 斬られたのではない。斬撃の圧力だけで意識を刈り取られた。刃はまだ、一体にも触れていない。


(……力、入れすぎた。武器が違うとやっぱり狂うな。手加減しないと)


 2歩目。


 右に半歩ずれて、鎧蜥蜴(アーマー・リザード)3体の間を通過した。

 通過したように見えた。

 しかし3体は、刃が通り過ぎた0.5秒後に、外殻の継ぎ目に沿って綺麗に崩壊した。


 3歩目。


 天井から降ってきた巨大な蜘蛛型魔獣の糸を、鉄剣の腹で受け流し――受け流した力をそのまま返して、蜘蛛の体を天井に叩き返した。蜘蛛は天井のはるか上、見えない暗闇の中に消えた。


 4歩目。5歩目。6歩目。


 一歩ごとに、魔獣が消えていく。

 倒しているのではない。通過しているのだ。刃が歩いた道の左右にいた魔獣が、まるで風に吹かれた蝋燭のように、次々と崩れ落ちていく。

 血も、悲鳴も、衝撃音もない。

 ただ静かに、「存在していたもの」が「存在しなくなっていく」。


 レイラは、立ち尽くしていた。


(……何、あれ)


 氷眼(ひょうがん)が、刃の動きを追おうとして、失敗している。

 速すぎるのではない。遅すぎるのでもない。刃の動きは見えている。歩いているだけだ。ゆっくりと、静かに、何の気負いもなく歩いている。

 なのに、彼が通過した後に残るのは、沈黙だけだった。


(……あれは、剣技じゃない。あれは――ただの歩行だ。歩いているだけで、周囲の魔獣が消えていく。……そんなこと、人間に可能なの?)


 刃は前方の魔獣の密集地帯を抜け、通路の奥へと歩いていった。

 その背中は変わらず細くて、頼りなくて、どこにでもいそうなポーターの背中だった。


 だが、その道の上には――もう、何も残っていなかった。


 後方の群れに対しても、刃は同様に処理した。

 振り返り、来た道を戻るように歩く。

 右手の鉄剣は、一度も振り上げることなく、下げたまま。

 ただ歩くだけ。

 通過するだけ。

 それだけで、後方から押し寄せていた魔獣の群れが、波が引くように消えていった。


 100以上いた前後の魔獣が、すべて沈黙するまでに要した時間は。


 ――40秒。


 戦場が、静まり返った。


 蒼い苔の光だけが、廃墟の壁面を照らしている。

 魔素(マナ)の粉塵が、雪のように、ゆっくりと降り注いでいた。


 神盾機関イージス・コーポレーションチームの探索者たちは、誰一人として動けなかった。

 何が起きたのか、理解が追いついていない。


 Aランクの探索者が、乾いた声を絞り出した。


「……何だ、今のは」


 誰も答えなかった。答えられる者がいなかった。


 刃は鉄剣を鞘に収め、壁際に置いていたバックパックを拾い上げた。

 肩紐を調整し、背負い直す。


 何事もなかったように。

 いつも通りの、ポーターの所作で。


 レイラが、一歩を踏み出した。


「刃」


 声が、震えていた。

 血と汗にまみれた顔で、蒼い瞳を大きく見開いて、レイラは刃を見つめていた。


 胸の奥が、熱かった。

 ダンジョンの38階で刃の背中を見た時と同じ、あるいはそれ以上の、圧倒的な感情が溢れていた。


(……ああ、やっぱり)


 レイラの氷眼(ひょうがん)から、涙が一筋、零れ落ちた。


 知っていた。

 刃が強いことは、ずっと知っていた。あの日、ダンジョンの38階で救われた時から。そして見学を許され、隣で過ごすようになってからも、彼の「手加減」の凄まじさをずっと見てきた。


 でも、この人は絶対に表には出ない人だった。

 カメラの死角で、誰にも気づかれないように、痕跡すら残さずに。それが八雲刃という人間の生き方だった。


(……なのに、今)


 レイラの前に立った。

 自分から。隠れることをやめて。チームの全員が見ている中で。


 あれほど「目立ちたくない」「巻き込まれたくない」と言い続けていた人が。


(……私のために、出てきてくれた)


 その事実が、レイラの中の何かを、静かに壊した。


「刃、あなたは」

「俺はただのポーターだ」


 刃は振り返らなかった。


「さっきのは……その。害獣駆除だ。ポーターの業務範囲のはずだ」


 そんな業務は入ってない。


「……とりあえず、怪我人の手当てが先だ。救急キットはバックパックの左ポケットに入ってる。先に出す」


 刃はバックパックを降ろし、テキパキと救急キットを取り出し始めた。

 完璧にポーターの仕事に戻っている。100体以上の魔獣を殲滅した40秒前が嘘のように。


 レイラは、何か言おうとして、口を開いた。

 だが、声にならなかった。


 代わりに、ぐしゃりと顔を歪めて、笑った。


「……ありがとう」


 震える声で、それだけ言った。


 刃の手が、一瞬だけ止まった。


「…………どういたしまして」


 ぶっきらぼうに。

 だが、確かに。


 それは、刃がレイラに向けた、初めての「どういたしまして」だった。


 深淵都市(アビス・メトロ)の3階層。

 蒼い光と粉塵の中で、世界最強のポーターは、黙々と包帯を巻いていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ