第17話「未踏ダンジョン、配信開始」
開拓イベント、初日。
臨海ゲート施設の巨大な転送装置が、蒼い光を放って起動した。
参加12社の精鋭チームが、次々とゲートをくぐっていく。
全世界同時配信。推定視聴者数2億人。数百台の小型配信ドローンが編隊を組み、探索者たちの周囲を飛び交っている。ドローンにはカメラだけでなくスピーカーも搭載されており、D-Tubeの実況音声が現場にも同時に流れる仕組みだ。
D-Tubeの配信画面上には各社のチーム名とメンバーリストが表示され、実況の声が興奮気味に響いていた。
『――神盾機関チーム、ゲートインです! 先頭はもちろん、世界ランキング8位の蒼氷姫、レイラ・アシュフォード! 今回のイベントの主催企業として、開拓の先陣を切ります!』
レイラがゲートをくぐった。
銀色の髪がなびき、神盾機関の白い戦闘服が蒼い光に照らされる。腰の愛剣に手をかけ、鋭い視線でダンジョンの入口を見据える姿は、まさにトップ探索者の貫禄だった。
その20メートル後方。
神盾機関チームの最後尾を、大型バックパックを背負ったパーカーの男が歩いていた。
『……あ、あの最後尾の方は?』
『神盾機関チームの専属ポーター、八雲 刃さんですね。例の話題になったFランク探索者です』
『なるほど……顔は映せないんでしたっけ?』
『契約上、ポーターの映像使用は制限されているそうです。では引き続き、レイラ選手の先頭映像に戻りましょう!』
(……よし。カメラがこっちを向かなくなった)
刃はバックパックの肩紐を調整しながら、小さく安堵した。
レイラが事前にカメラマンとドローンのオペレーターに「ポーターの顔は映さないこと」という指示を徹底してくれていた。約束は守る女だ。
ゲートをくぐると、空気が変わった。
深淵都市、1階層。
広大な地下空間が広がっていた。
天井の高さは推定30メートル以上。壁面には淡い青紫色の苔が自生し、ぼんやりとした光を放っている。地面は黒い石畳が敷かれたように平坦で、まるで都市の大通りのように広い。
その壁面のあちこちに、四角い穴――小部屋のような構造物が並んでいる。まるで地下鉄の駅のプラットフォームのようだ。
(……これが深淵都市か。なるほど、「都市」と呼ばれるだけはあるな)
刃の背後に広がる景色は、ダンジョンというよりも廃墟の地下都市に近かった。国定ダンジョンの自然洞窟とは、根本的に構造が異なる。
神盾機関チームは、レイラを先頭に12名。うちSランクはレイラ1名、Aランクが4名、Bランクが6名。そして最後尾のFランクポーターが1名。
1階層の最初の広間に進入した時、壁面の暗がりから影が噴き出した。
魔獣だ。
4足歩行の犬型魔獣――体長1.5メートルほどの黒い獣が、6匹。牙を剥き、低い唸り声を上げてチームに向かって駆けてくる。
『1階層の魔獣です! 初期調査では影猟犬と呼称されています! 推定ランクはC!』
頭上のドローンから、実況の声が興奮気味に降ってくる。
レイラは足を止めなかった。
愛剣を鞘から抜き放つ。動きに迷いはない。
一歩踏み込み、横薙ぎ。
氷の刃が弧を描き、先頭の2匹を同時に斬り伏せた。
残る4匹が左右に散開して挟撃を仕掛けるが、レイラは軸足を回転させて体を捻り、背後から飛びかかった1匹を逆手の剣で迎撃。さらに足元を氷で固め、残り3匹の足場を奪う。
滑って体勢を崩した3匹に、上段からの斬り下ろしが連続で叩き込まれた。
6匹、全滅。所要時間、5秒。
『す、すごい……! 蒼氷姫、Cランク相当の影猟犬6匹をわずか5秒で殲滅! 足元の氷結は彼女の固有魔法ですが、今回は剣技にも磨きがかかっています! 特にあの足運び! 以前よりもさらに洗練されている印象です!』
(……足運び、な。まあ、分かる奴には分かるだろうな)
刃は最後尾で黙々と歩きながら、レイラの動きを評価した。
(悪くない。足運びと魔素の出力制御が前よりずっとスムーズだ。あと、斬り下ろしの時に刃先を微調整する癖をつけたな。……俺のやつを真似て、自分の剣に組み込んでる。吸収力が異常だ。やっぱ、こいつの才能はヤバい)
レイラが振り返り、一瞬だけ最後尾の刃を見た。
蒼い瞳が、「どうだった?」と問いかけている。
刃は無表情のまま、右手の親指を立てた。ほんの一瞬だけ。
レイラの唇が、微かに緩んだ。
すぐに蒼氷姫の鉄面皮に戻り、チームに指示を飛ばす。
「前方、クリア。2列縦隊で前進。魔素密度の上昇に注意」
チームが進んでいく。
刃もその後に続く。
2階層への階段を降りていく途中で、それは起きた。
通路の右壁、天井付近の暗がりに、1匹の影猟犬が潜んでいた。
レイラたち先頭集団は既に通過済み。気づいていない。
ドローンのカメラも先頭集団を追っている。最後尾には向いていない。
影猟犬が、刃の真上から飛びかかろうとした。
牙を剥き、赤い目を光らせ、バックパックを背負った男の背中を狙って――
コツン。
刃の右手から、小石が弾かれた。
指弾。ほんの1センチほどの石片を、人差し指で弾いただけ。
小石は影猟犬の額を直撃した。
音もなく。魔素の痕跡もなく。ただの小石が、ただのスピードで飛んだだけ。
――Cランクの魔獣が、天井付近で意識を失い、音も立てずに地面に落ちた。
刃は振り返りもしなかった。
左足で気絶した影猟犬の体を壁際に蹴りやり、何事もなかったように歩き続けた。
(……1匹、取りこぼしか。まあ、広域の索敵は先頭に任せてあるんだから、後方の死角は俺が処理するのも仕事のうちだろ。ポーターの業務範囲に「害獣駆除」は入ってたはずだ)
そんな業務は入ってない。刃の勘違いなのであった。
2階層に降りた。
深淵都市の構造は、階層が下がるごとに密度が増していく。1階層の広い大通りから、2階層は狭い路地と小部屋が入り組む市街地構造へと変化した。
視認性が下がり、死角が増える。先頭のレイラが氷眼で常に索敵を行っているが、全方位を完璧にカバーするのは不可能だ。
レイラが先頭で魔獣を斬り伏せるたびに、配信のコメント欄は興奮で溢れていた。
『蒼氷姫つっよ』
『足運びが前と全然違う 何があった?』
『以前とは別人レベル マジで覚醒してる』
『氷魔法だけじゃなくて剣技が半端ない 近接もSランクじゃん』
その裏で。
最後尾の刃は、3匹の魔獣を処理していた。
1匹目。2階層の角を曲がった時、建物の影から飛び出してきた小型の蜥蜴型魔獣。右手の小石で眉間を弾いて気絶。壁際に押しやって通過。
2匹目。天井に張り付いていた蜘蛛型魔獣が、チーム最後尾の刃に向かって糸を放った。刃は糸が触れる0.1秒前に首を傾け、通過した糸を左手で掴んで引っ張り、蜘蛛ごと地面に叩きつけた。気絶を確認し、壁際に置いて通過。
3匹目。少し大型の犬型魔獣が、建物の2階から飛び降りてきた。刃は鉄剣を鞘ごと持ち上げ、鞘の先端で魔獣の顎を掬い上げるように叩いた。コンッ。魔獣は空中で宙返りし、建物の中に消えた。数秒後、建物の中からドサッという音がした。気絶の音だ。
全て、1秒以内。
全て、カメラの死角。
ドローンは先頭のレイラの華麗な戦闘を追いかけるのに忙しく、最後尾の地味なポーターには一切のレンズを向けていなかった。
(……ま、これが正しいポーターの仕事だろ。後方警戒と補助。派手なのは先頭に任せる)
刃はバックパックの位置を直しながら、何事もなかったように隊列を維持した。
ただ一人、何かに気づいた者がいた。
先頭で指揮を執るレイラが、ふと後方を確認した時。
最後尾を歩く刃の足元に、一瞬だけ視線を落とした。
(……刃の靴に、影猟犬の体毛が付着してる。でも、刃は戦闘をしていないはず。……処理してくれたんだ。後方で、誰にも気づかれないように)
氷眼は、こういう些細な痕跡も見逃さない。
レイラの口元に、ほんの僅かな笑みが浮かんだ。
(……やっぱり、あなたは最強の荷物持ちね)
前を向き直す。3階層への階段が見えてきた。
深淵都市の開拓は、まだ始まったばかりだ。
そして、この先に何が待っているか――。
この時のレイラは、まだ知らなかった。




