第16話「開拓戦前夜、あるいは不穏な影」
イベント前日。
深淵都市合同開拓イベントの集結地点である臨海ゲート施設は、まるで夏祭りのような熱気に包まれていた。
巨大なドーム型の建造物の前に、屋台が並んでいる。焼き鳥、たこ焼き、綿菓子。探索者向けの魔素回復ドリンクや携行食の試食ブースもある。
参加12社がそれぞれ企業ブースを出し、自社の最新装備を展示している。D-Tubeの特設配信ステージでは、有名探索者たちが次々と登壇して意気込みを語っていた。
空には報道用のドローンと企業ロゴの入った小型飛行船が飛び交い、地上では探索者たちがサイン会やファンミーティングに応じている。
その喧騒の片隅。
ドーム施設の裏手にあるベンチで、刃は一人、ちまきを食べていた。
(……何で俺、ここにいるんだろう)
2週間前の自分に教えてやりたい。お前の人生は、あと14日でこの有様になると。
パーカーにジャージ。背中にはポーター用の大型バックパック。神盾機関のロゴが入ったスタッフ用IDカードが首からぶら下がっている。
IDカードには、こう印字されていた。
『専属ポーター 八雲 刃 Fランク』
(……わざわざランクまで書くな)
ちまきの笹を剥きながら、刃はため息をついた。
こうなった経緯は明白だ。
あの協会での爆弾発言の後、ネットは炎上した。
『蒼氷姫、無名のFランクをポーター指名 世間の反応は?』
『レイラ・アシュフォードの専属ポーター「Fランク八雲 刃」とは何者か 顔写真なし・経歴不明の謎の男』
『【考察】蒼氷姫は恋をしている? それとも借りがある? 「八雲 刃」指名の真意を探る』
D-Tubeのトレンドに3日間居座った。
探索者協会に報道各社の取材が殺到した。
刃のアパートの前にも記者が2人来たが、魔素を封印した状態で裏口から出入りすることで回避している。
(……あの女のせいで、完全に表に出てしまった。名前が。顔はまだバレてないけど、時間の問題だ)
もう一つのちまきに手を伸ばした時、背後に気配を感じた。
「ここにいたんだ」
レイラだった。
今日は神盾機関の白い正装に、愛剣を腰に佩いている。イベント前日の取材や打ち合わせで忙しいはずだが、わざわざこんな裏手まで来たらしい。
「……あっちにいろよ。お前がここに来たら、俺の位置がバレる」
「大丈夫。尾行は確認した。今は誰もいない」
「お前が『尾行を確認した』って言うと、全力で信用できないんだけど」
「隠密の腕は上がったの! この2週間で練習した」
「…………」
刃は無言で横に視線を向けた。
レイラの白いローブの裾が、ベンチの脚に引っかかっていた。
「裾」
「……っ」
レイラは慌ててローブを直した。
「今のはノーカウントで……」
「……ただ事実を述べただけだ」
「刃、ちょっと優しくなった?」
「気のせいだ」
刃はちまきの最後の一口を頬張り、笹をゴミ袋に入れた。
「……で、何の用だ。こっちは明日の装備チェックリストをまとめてたところだ」
「チェックリスト?」
レイラが覗き込むと、刃の膝の上に手書きのメモがあった。
『ポーター装備確認表
□ 大型バックパック(耐魔素加工済)
□ 携行食 14日分
□ 飲料水 浄水フィルター×3
□ 救急キット 基本セット
□ 魔素灯(予備含め3個)
□ テント(1人用・軽量型)
□ 地図(協会発行の1〜5階層)
□ 鉄剣』
(……意外と真面目なのよね。しかも鉄剣を「いつもの」って書いてるのが可愛い)
「……何ニヤニヤしてる」
「してない」
「してた」
「……ちょっとだけ」
レイラは隣に腰を下ろした。
「ねえ、刃」
「なに」
「明日、緊張してる?」
「してない。荷物を持って歩くだけだ」
「……私は、ちょっとだけしてる」
「お前が?」
刃は意外そうにレイラを見た。
世界ランキング8位。企業のエースとして数えきれないほどの修羅場を潜り抜けてきた女だ。
「深淵都市は、まだ誰も全容を知らないダンジョンだから。初期調査のデータはあるけど、中層以降は完全に未知。……何が出てくるか分からない」
その声には、いつもの強気がなかった。
蒼氷姫ではなく、ただのレイラ・アシュフォードとしての本音だった。
「大丈夫だろ」
「え?」
「お前なら、大丈夫だ。最近の動き、前と全然違うぞ。足運びが安定してるし、魔素の無駄遣いも減った。……まあ、まだ荒いところはあるけど」
レイラが目を見開いた。
「刃……今、私を褒めた?」
「事実を言っただけだ。褒めてない」
「褒めた。絶対に褒めた。手帳に書く」
「書くな」
レイラは嬉しそうに手帳を取り出し、何かを書き込んだ。
刃は見て見ぬふりをした。
◇ ◇ ◇
同時刻。
臨海ゲート施設の反対側。
参加企業のうち3番目の規模を誇る黒剣商会のブース裏。
薄暗い仮設テントの中で、3人の男が密談していた。
「明日の手筈に変更はない」
中央に座る男がそう言った。
黒剣商会副社長、ヴィクター・ノヴァク。がっしりとした体格に、切れ長の目。口元には常に薄い笑みを浮かべている。
「ターゲットは神盾機関チーム。より正確には、レイラ・アシュフォード個人だ」
左の男が口を開いた。
「しかし副社長、相手はSランクです。万が一、我々の仕掛けが露呈すれば……」
「露呈しない。ダンジョン内で起きたことは、ダンジョン内の事故として処理される。それが深淵都市というフロンティアの便利なところだ」
ヴィクターは薄い笑みを崩さなかった。
「神盾機関が主催権を握る現在の構図は、我々にとって好ましくない。レイラ・アシュフォードが開拓の先頭に立ち続ける限り、利権は神盾機関に集中する。……だが、もし彼女がイベント中に『事故』に遭えば?」
「開拓の主導権が空白になり……」
「我々黒剣商会が名乗りを上げる。救出劇の英雄として、あるいは緊急時のリーダーとして。どちらにせよ、シナリオは用意してある」
右の男――黒剣商会所属のAランク探索者、ダリオ・ヴェスパが、腕を組んだまま低い声で言った。
「Sランクのレイラに『事故』を起こすのは容易じゃないですよ。彼女の氷眼は戦況把握にも長けている。罠にかけるにしても、相当な準備が……」
「だから中層域まで進ませる。3階層目の分岐点で、魔獣誘引装置を起動する。未踏領域に生息する魔獣の群れを、神盾機関チームの進路に誘導し、疑似スタンピードを起こす」
「……疑似スタンピード。巻き添えが出ますよ」
「覚悟の上だ。このイベントは『開拓』という名の戦争だよ、ダリオ。綺麗事で利権は取れない」
ダリオは沈黙した。
ヴィクターはテーブルの上に広げた深淵都市の概略図を指で叩いた。
「最も重要なのは、通信を遮断すること。ダンジョン中層の魔素密度が急激に上がるポイントで、電波遮断結界を展開する。外部とのリアルタイム通信が途絶すれば、何が起きたかは後からいくらでも書き換えられる」
「……了解しました」
「もう一つ。あのFランクのポーター――八雲 刃という男。調べたか?」
ダリオが書類を取り出した。
「調べましたが、ほぼ何も出てきません。探索者登録は3年前。ランクはFのまま据え置き。受注クエストはすべてFランクからEランクの素材採取。 戦闘記録なし。特記事項なし。完全な底辺ソロ探索者です」
「ふん。ただの荷物持ちか」
「おそらく。レイラ・アシュフォードが何故こんな男を指名したのかは不明ですが……戦略上の脅威にはなり得ません」
ヴィクターは鼻で笑った。
「Sランクの女の気まぐれか、あるいは何かの保険か。どちらにせよ、Fランクは所詮Fランクだ。気にする必要はない」
テントの入口から差し込む夕日が、ヴィクターの顔を赤く照らした。
「明日からが本番だ。各自、持ち場につけ」
◇ ◇ ◇
夜。
臨海ゲート施設の宿泊棟。
刃は割り当てられた個室――というほど立派なものではない、カーテンで仕切られただけの簡易ベッドスペースで、天井を見上げていた。
ポーター用の宿泊区画は、探索者用の立派な個室とは格段に質が落ちる。だが、刃にとっては安アパートとさほど変わらない。慣れた窮屈さだ。
(……明日から、未踏ダンジョンか)
深淵都市。
世界同時多発的に出現した、全容不明の超巨大ダンジョン。
今回の開拓イベントで調査するのは、初期探索で確認された1〜5階層。それでも「未踏」の二文字がつく以上、何が起きるかは分からない。
(本当なら、こんなところには来たくなかった。でもまあ……700万円は貰ったし。仕事は仕事だ)
端末を取り出す。
レイラからのメッセージが1件。
『明日、よろしくね。
荷物、重くない?
重かったら言ってね。半分持つから。
――レイラ :)』
(……ポーターに荷物を持たせるために雇ったのに、半分持つってどういうことだよ)
刃は小さく笑い、返信を打った。
『大丈夫。仕事だから』
送信。
端末を置いて、目を閉じる。
胸の奥に、小さな違和感があった。
嫌な予感、とも少し違う。もっと漠然とした、空気の「重さ」のようなもの。
探索者の勘。
師匠に叩き込まれた、理屈ではない感覚。
(……何かあるな。このイベント)
目を閉じたまま、刃は魔素感知を極限まで広げた。
施設全体を覆う魔素の流れを読む。何百人もの探索者たちの気配。その中に――。
(……2つ、異質な魔素反応がある。施設の西側。……隠してるつもりだろうけど、魔素の質が違う。軍用の電波遮断結界に近い魔素パターンだな)
目を開ける。
天井を見つめたまま、しばらく考えた。
(報告するか? ……いや、俺はただのポーターだ。余計なことに首を突っ込むべきじゃない。明日は荷物を持って、レイラの後ろを歩いて、何事もなく帰る。それだけでいい)
そう自分に言い聞かせて、刃は寝返りを打った。
(……でも、もし「何事もなく」は済まなかったら?)
その問いには、答えなかった。
代わりに、枕元に置いた鉄剣の柄に、無意識に手を伸ばした。
施設の外では、明日の開拓戦を前に、夜空に花火が上がっていた。
歓声と拍手の音が、薄い壁越しに響いてくる。
お祭り騒ぎの裏側で、嵐の前の静けさが、密やかに広がっていた。




