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底辺探索者の手加減極意 〜最強の師匠に育てられた俺はソロでダンジョンを攻略したいだけなのに、偶然トップ配信者を助けたら世界中から注目されてしまった〜  作者: らいお
弍ノ太刀 秘密の見学者

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第15話「巻き込まれ体質は治らない」

 その日、刃はいつも通りの朝を送っていた。


 安アパートの6畳一間で納豆をかき混ぜ、テレビの朝のニュースを流し聞きしながら米を食う。味噌汁を啜り、ゲーム端末でログインボーナスを回収する。

 完璧な日常。平穏の権化。これぞFランク探索者の朝。


 ただし、今朝は少しだけ違った。


 ゲーム端末の通知欄に、レイラからのメッセージが3件溜まっていた。


『おはよう :) 今日、協会で大事な告知があるみたい。知ってた?』


『あ、知らなくていいけど。とにかく今日は協会に来てね』


『来てね(命令)』


(……嫌な予感しかしない)


 刃は味噌汁を飲み干し、深いため息をついた。

 「来てね(命令)」はさすがに初めてだ。レイラのメッセージが「お願い」から「通告」に進化している。


(行かないという選択肢は……たぶん、ない。行かなかったら明日からキノコの裏に追加カメラが設置される可能性がある)


 刃は諦めの境地で支度を始めた。



◇ ◇ ◇



 探索者協会。午前10時。


 いつもと空気が違った。


 普段は適度な閑散と怠惰が漂う受付フロアに、今日は人が溢れていた。スーツ姿のビジネスマン、大型カメラを担いだ報道クルー、見覚えのある有名探索者たち。

 フロアの中央には特設ステージが組まれ、巨大なモニターに神盾機関イージス・コーポレーションのロゴが映し出されている。


(……何だこれ。祭りか?)


 刃は隅の受付カウンターに向かい、いつもの紙束を取り出した。

 今日のクエスト――Fランクの翡翠苔(ひすいごけ)採取。報酬3,200円。


「あ、八雲さん。おはようございます」


 受付の春日さんが笑顔で対応してくれた。

 小柄で眼鏡をかけた20代後半の女性。刃が協会に来る度に穏やかに対応してくれる、数少ない「普通の」知り合いだ。


「おはようございます。今日は随分騒がしいですね」

「ええ、神盾機関イージス・コーポレーションさんが例の深淵都市(アビス・メトロ)開拓イベントの人員募集告知をされるみたいで……。八雲さんも興味ありますか?」

「全くないです」

「ですよね」


 春日さんは苦笑した。この万年Fランク探索者が大型イベントに興味を示すはずがない、というのは協会の共通認識になっていた。


 クエスト用紙を受け取り、立ち去ろうとした時だった。


 フロア中央のステージ上に、ガルシア・ベルモンドが登壇した。

 銀縁の眼鏡に、隙のない三つ揃えのスーツ。神盾機関イージス・コーポレーションの副社長にして、レイラの直属の上司だ。


「本日はお集まりいただきありがとうございます。改めまして、深淵都市(アビス・メトロ)合同開拓イベントの概要と人員募集について、ご説明させていただきます」


 ガルシアの声が会場に響く。

 刃は足早にフロアを横切ろうとした。こういう場からは一秒でも早く離れたい。


「参加企業は全12社。各企業から選抜されたトップ探索者に加え、一定ランク以上のフリーランス探索者にも参加枠を設けております」


(関係ない、関係ない。俺はFランクだ。一定ランク以上のフリーランスじゃない。帰る)


 出口まであと10メートル。

 あと10メートルで、この喧騒から逃げ切れる。


「――続いて、各チームのポーター枠について。ポーターは参加チームが個別に選任する運搬・補助要員であり、ランク制限はございません」


 刃の足が、ほんの一瞬だけ止まった。


(……ランク制限なし、だと?)


 嫌な予感が、確信に変わりつつあった。


「ポーター枠の指名につきまして、神盾機関イージス・コーポレーションチームから1件、事前申請が上がっております。担当は、我がチームのリーダーであるレイラ・アシュフォードから直接ご説明させていただきます」


 会場の空気が変わった。

 ざわめきが静まり、全員の視線がステージの袖に集まる。


 銀色の髪。蒼い瞳。白い戦闘服に神盾機関イージス・コーポレーションの紋章。

 蒼氷姫(ブルー・プリンセス)、レイラ・アシュフォードが、ステージに上がった。


 カメラのフラッシュが一斉に焚かれる。報道クルーのカメラが一斉にレイラへと向けられた。


 刃は出口に向かって歩いていた足を止めた。

 止めざるを得なかった。


(やめろ。頼むから、やめてくれ)


 心の中で祈る。

 だが、祈りが通じたことがないのは、22年の人生で学習済みだった。


 レイラがマイクを取った。

 蒼い瞳が、一瞬だけフロアの隅――受付カウンター付近に立つ、地味なパーカー姿の青年を捉えた。


 唇の端が、微かに上がった。


(……笑うな。笑うなよ、お前)


深淵都市(アビス・メトロ)合同開拓イベントにおきまして、神盾機関イージス・コーポレーションチームのポーターとして……」


 レイラの声が、静まり返った会場に響いた。凛として、よく通る声だった。


「私個人の、専属ポーターを、一名指名させていただきます」


 会場が少しだけざわついた。Sランクの探索者が「個人の専属ポーター」を指名する。異例ではあるが、まだ理解の範疇だ。


「指名するのは、フリーランス探索者――」


 レイラが、フロアの隅を真っ直ぐに見た。


「Fランク。八雲 刃」


 沈黙。

 会場が、凍りついた。

 一拍。二拍。三拍。


 そして、爆発するように、ざわめきが広がった。


「Fランク……!?」

「世界ランキング8位がFランクをポーターに?」

「何かの冗談じゃ……」

「八雲……? 誰だ、その名前?」


 フロア中の視線が八方に飛び交い、やがて――受付カウンター付近でクエスト用紙を握りしめたまま固まっている一人の男に、集まり始めた。

 刃は、動けなかった。


(…………………………)


 頭が真っ白になっていた。

 いや、真っ白ではない。真っ黒だ。怒りで視界が赤黒く点滅している。


(この女……! 公式の場で、俺の名前を、マイクで、全国配信のカメラの前で……!)


 春日さんが目を丸くして刃を見ている。

 周囲の探索者たちが、「え、こいつ?」という視線で刃を見ている。

 報道クルーのカメラが、探し当てるように刃の方を向き始めている。


 ステージの上で、レイラは完璧な氷の微笑を浮かべていた。

 しかし蒼い瞳の奥には、確かに「してやった」という光が灯っている。


(……レイラ・アシュフォード。お前、覚えとけよ)


 刃の右手が、クエスト用紙を握り潰した。

 報酬3,200円の翡翠苔(ひすいごけ)採取クエストが、くしゃくしゃになった。


 ガルシアがステージで僅かにため息をついたのを、刃は見逃さなかった。

 この幹部も、レイラの無茶振りに巻き込まれた側の人間だ。少しだけ同情した。


「――以上が、神盾機関イージス・コーポレーションチームのポーター枠に関する事前申請です。八雲 刃殿には後日正式に契約書を……」


「待ってください」


 刃の声が、会場に響いた。


 全員が振り返る。パーカー姿の痩せた男が、片手にくしゃくしゃのクエスト用紙を持ったまま、ステージを睨みつけている。

 およそ「Fランク」という肩書きに相応しい、地味で冴えない見た目だった。


「俺は、承諾していません」


 静まり返る会場。

 レイラの蒼い瞳が、ステージの上から刃を見下ろした。


「承諾は、後で取ります」


(後で取ります、じゃねぇよ……!)


 刃の右目がぴくりと痙攣した。

 ガルシアが咳払いをして割り込んだ。


「失礼。当該案件につきましては、当事者間での合意を経た上で正式に確定いたします。現時点では『指名申請』の段階であることをご了承ください」


 ガルシアの見事なフォロー。さすが副社長。場を収める手腕は一流だ。

 だが、ダメージは負った。


 もう遅かった。

 「世界ランキング8位の蒼氷姫(ブルー・プリンセス)が、無名のFランク探索者を専属ポーターに指名」というニュースは、この瞬間に会場の全員の脳に刻み込まれた。


 カメラは回っている。

 配信はされている。

 記者たちは既にスマホを叩いて速報を打っている。


 刃は天を仰いだ。

 協会の高い天井が、やたらと遠く見えた。


(……平穏な日常。さようなら)


 心の中で、静かに弔事を済ませた。



◇ ◇ ◇



 告知会が終わった後。


 刃は協会の裏口からレイラを引っ張り出した。


 裏手の自販機横。二人だけの空間。

 刃の表情は、今までレイラが見たことのないほど険しかった。


「……説明しろ」

「何を?」

「何を、じゃない。あれは何だ。なんで公式の場で俺の名前を出した。企業には巻き込まない約束だっただろ」


 刃の声は低く、静かだった。怒鳴っていない分、余計に怖い。


 レイラは少しだけ身を引いたが、すぐに蒼い瞳に覚悟の色を宿して、真っ直ぐに刃を見返した。


「約束は破ってない」

「どこがだ」

「私が個人的に『ポーター』として雇うの。企業が八雲 刃を所属探索者として契約するわけじゃない。これは私とあなたの間の個人契約。企業案件じゃない」

「屁理屈だろ、それは」

「屁理屈じゃない。契約書にもそう書いてある。報酬は神盾機関イージス・コーポレーションの経費じゃなくて、私のポケットマネーから出る」

「…………」


 刃は額を押さえた。


 法的にはグレーゾーン。だが、レイラの言い分には一理ある。

 ポーターは「参加チームが個人的に雇う補助要員」であり、企業の正式な所属契約ではない。Fランクのフリーランスが大企業のイベントに「荷物持ち」として参加すること自体は、規約上は問題ない。


(こいつ……契約の穴をあらかじめ調べ上げてたな。たぶんガルシアに突っ込まれることも想定済みだ)


「……報酬は」

「え?」

「報酬。いくらだ」


 レイラの目が、僅かに見開かれた。

 刃が「報酬」の話を持ち出した。つまり――交渉の余地がある、ということだ。


「……日給50万円。イベント期間は約2週間。合計で700万円」


 刃の動きが止まった。


(……700万円? 翡翠苔何回分だ? えーっと……3,200円で割ると……約2,188回分……?)


 翡翠苔を2,188回採りに行く労力と、2週間の荷物持ち。

 深層で採取した素材を闇市に流して得るブラックマネーとは違う、綺麗な現物。

 いくら平穏を愛する刃でも、この数字は無視できなかった。


「…………」

「それと、もう一つ」


 レイラが一歩、距離を詰めた。


「このイベントに参加しない場合、私は見学頻度を増やす。現在の週5日から、週7日に」

「え?」

「加えて、見学時間を現在の8時間から12時間に延長する。朝7時から夜7時まで。あなたの安アパートの前で待機する」

「……脅しか?」

「提案です」


 蒼い瞳が、完璧に澄んでいた。


(……この女、本当にやる。間違いなくやる。週7日・12時間。つまり、起きてる間ずっとレイラがいる生活。……それは、今よりきつい)


 刃は天を仰いだ。

 空には雲一つなかった。こんなに澄んだ空の下で、人生の選択を迫られている。


「…………条件がある」


 レイラの目が、弾けるように輝いた。


「イベント中、俺はただの荷物持ちだ。戦わないし、目立たない。お前の後ろで荷物を持って歩くだけ。それでいいなら」

「もちろん」

「それと、カメラに映るな。俺の顔が映像に残ったら、その時点で契約解除だ」

「……善処する」

「善処じゃなくて確約しろ」

「……確約する。カメラには映さない」


 レイラが真剣な顔で頷いた。


「最後に。700万円は前払いだ」

「……前払い?」

「逃げるかもしれないからな、俺は」

「逃げたら追う」

「知ってる」


 二人の間に、一瞬だけ沈黙が落ちた。

 そして、ほぼ同時に――小さく笑った。


「……契約成立、でいいのか?」

「うん」


 レイラが満面の笑みで頷いた。

 条件3の「楽しそうにするな」は、もはや完全に形骸化していた。


 刃はため息をつきながら、くしゃくしゃのクエスト用紙をゴミ箱に投げ入れた。

 翡翠苔(ひすいごけ)採取クエストが、今日はもう必要ない。


(……巻き込まれ体質は、治らないらしい)


 自販機で缶コーヒーを二つ買い、一つをレイラに投げた。

 レイラは両手でキャッチし、嬉しそうに缶を胸に抱えた。


「ありがとう、刃」

「最悪な気分とはいえ、大金を貰う礼とでも思ってくれ」

「缶コーヒー120円だけど」

「……うるさい」


 協会の裏側で、世界最強の荷物持ちが誕生した瞬間だった。



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