第14話「トップ配信者の憂鬱」
神盾機関本社ビル、地下4階。
トップ探索者専用の合同訓練施設。
白い照明に照らされた巨大なアリーナの中心で、レイラ・アシュフォードは立っていた。
銀色の髪を高い位置で結び上げ、企業の紋章が入った白い戦闘服を身にまとう。腰には愛剣――氷華の異名の由来となった細身の魔剣が佩かれている。
蒼い瞳は、正面に立つ3人の探索者を冷たく見つめていた。
「準備はいいですか」
レイラの声に感情はない。
蒼氷姫。企業での彼女は、徹底的にこの仮面を被る。
「レイラ嬢相手に3対1とは、随分と舐められたもんだが……まあ、お手合わせ願おう」
正面の男――Aランク探索者、鉄壁のヴァルドと呼ばれる重装騎士タイプの大男が、巨大な盾を構えた。その左右には、同じくAランクの魔法使いと弓使いが陣取っている。
3人とも神盾機関の精鋭だ。どの企業に出しても恥ずかしくないトップクラスの実力者。
それが3人がかりで、Sランクのレイラに挑む。合同訓練の一環だった。
訓練開始のブザーが鳴った。
弓使いが先制。3本の魔力矢が同時に放たれ、レイラの左右と正面を塞ぐ。
同時に魔法使いが炎渦を展開。足元を炎で包み、移動を封じにかかる。
そしてヴァルドが巨盾を翳し、正面から突進する。
連携は完璧だった。
Aランクが3人、それぞれの役割を完遂している。普通のSランク探索者であれば、回避に一手使わされる布陣だ。
レイラは――足を動かさなかった。
(……違う)
頭の中に浮かんだのは、刃の歩き方だった。
あの低層の洞窟で、何気なく歩いている時の足運び。地面に魔素を流して自分の体重を制御する、名前のない技術。
刃は意識すらしていなかったが、レイラの氷眼はそれを見逃さなかった。
レイラは、右足で地面を「踏んだ」。
ただそれだけの動作で、魔素が足裏から地面に浸透し、彼女の足場だけが氷のように硬質化した。
炎渦が足元に到達する。だが、硬質化した地面に遮られて魔素の浸食が止まる。
魔力矢が迫る。レイラは首を傾けただけで3本を回避した。
ヴァルドの突進が来る。
レイラは剣を抜かなかった。
代わりに、左手を軽く前に出し、掌底を盾の表面に「添えた」。
柄頭で「コンッ」と叩いた男の所作が、脳裏に焼きついていた。
(魔素を物理衝撃に乗せて、内部に浸透させる。外殻を無視して、中身だけを……)
掌底が盾に触れた瞬間、レイラの魔素が氷の奔流となって盾の内側に浸透した。
盾の裏側から冷気が噴出する。ヴァルドの腕が一瞬で凍りつき、巨盾の持ち手が氷漬けになった。
「なっ……!?」
ヴァルドの手から盾が滑り落ちる。
その隙を逃さず、レイラが踏み込んだ。一歩。刃の半歩を真似た、最短距離の前進。
愛剣の柄で、ヴァルドの鎧の胸当てを軽く叩いた。
コンッ。
Aランクの鉄壁のヴァルドが、膝から崩れ落ちた。
意識を一瞬で刈り取られたのだ。鎧の上から。剣の柄で。
アリーナが凍りついた。比喩ではなく――レイラの足元から広がった氷が、床を薄く覆っている。
残された魔法使いと弓使いは、動けなかった。
動けなかったのではない。動く意味がないと本能で理解した。
「……そこまで」
訓練場の管制室から、ガルシア・ベルモンドの冷静な声が響いた。
「所要時間、4.7秒。前回の記録を8秒更新。……レイラ、何をした」
レイラは剣を鞘に戻しながら、淡々と答えた。
「基礎を見直しました」
「基礎?」
「足運びと、魔素の伝達効率を改善しただけです」
嘘ではない。だが、全てでもない。
「見直した基礎」の出所が、Fランクの底辺探索者の採取作業と素振りだとは、口が裂けても言えなかった。
「……ふむ」
ガルシアの銀縁の眼鏡が光った。疑念のある目だ。しかし、深くは追及しなかった。
「まあいい。深淵都市の開拓イベントに向けて、いい仕上がりだ。……ところで、例のポーター枠の件はどうなっている」
「進行中です」
「くれぐれも協会や他企業に不信感を抱かせるな。Fランクのフリーランスを指名雇用など、普通はしない。理由を問われた時の回答は用意してあるのか」
「はい。『低層素材の調達に詳しい専門ポーターを個人的に雇用した』で通します」
「……それで通ると思っているのか」
「通します」
レイラの蒼い瞳が、一瞬だけ光った。
ガルシアは小さくため息をつき、手を振った。
「好きにしろ。だが、イベント中に問題を起こすな」
「もちろんです」
レイラは一礼し、訓練場を後にした。
◇ ◇ ◇
更衣室のロッカーの前で、レイラは一人、腰を下ろした。
訓練の映像が、数分後にはD-Tubeの公式チャンネルでハイライトとして配信される。蒼氷姫がAランク3人を4.7秒で無力化した映像は、間違いなくバズるだろう。
視聴者は「レイラがさらに覚醒した」と騒ぐだろう。ファンは歓喜し、アンチは黙り、スポンサーは満足する。
だが、レイラの心に喜びはなかった。
(……違う。あんなの、刃の足元にも及ばない)
さっきの掌底。刃の「柄頭コンッ」を真似ただけだ。
それだけで、Aランクのトップ探索者が崩れた。
本物の刃なら、あの3人を同時に相手にしても、おそらく鉄剣を抜きすらしない。
(私がどれだけ努力しても、盗んだ基礎を試しただけで……周りが勝手に「覚醒した」と騒ぐ。この業界の「トップ」って、この程度なの……?)
違う。この業界のトップは間違いなく優秀だ。ヴァルドも魔法使いも弓使いも、一流の探索者だ。
ただ、その「一流」の基準が、あの男を知ってしまった後では、あまりにも低く見えてしまう。
(刃が……異常すぎるんだ)
レイラは手帳を広げた。
びっしりとメモが書かれたページ。刃から盗んだ技術の断片。
足運び。呼吸法。魔素の圧縮。魔力の体内循環。
どれも「基礎」だ。教科書に載っている初歩の初歩。
だが、刃がやるそれは、教科書の100ページ先――いや、教科書に載っていない次元の精度で行われている。
レイラがその「見て盗んだ断片」を試しただけで、Aランクが崩壊した。
(もし刃の基礎を完全に再現できたら、私は……)
その先を考えて、レイラは首を振った。
(駄目だ。完全な再現なんて、たぶん一生かかっても無理。あの人の身体に染み込んだ歳月と精度は、見学で追いつけるものじゃない。でも……)
手帳を閉じる。
蒼い瞳に、静かな炎が宿った。
(だからこそ、一秒でも長く、あの人の隣にいたい)
ポケットからゲーム端末を取り出す。
刃へのメッセージ画面を開いた。既読はついている。返信はない。いつも通りだ。
レイラは少しだけ笑って、新しいメッセージを打った。
『今日、ちょっとだけ刃の真似をしてみた。
Aランク3人に勝っちゃった。
でも、全然嬉しくない。
明日また、見学させてね。
――レイラ』
送信ボタンを押して、端末をしまう。
返信はないだろう。分かっている。
それでもいい。明日の朝、協会の裏手に行けば、あの人はいるから。
ため息をつきながら、でも止めないでくれるあの人は。
◇ ◇ ◇
同時刻。
刃の安アパート。6畳一間。
ゲーム端末に通知が届いた。
『今日、ちょっとだけ刃の真似をしてみた。
Aランク3人に勝っちゃった。
でも、全然嬉しくない。
明日また、見学させてね。
――レイラ』
(…………)
刃は画面を見つめた。
(Aランク3人に勝った……? あいつ、俺のを見て何を盗んだんだ。いや、たぶん足運びと魔素操作だな。あの氷眼の分析力なら、見ただけで要素を抽出して自分のスタイルに組み込める。……化物かよ)
素直に感心した。
あの短い「見学」期間で、ここまで吸収するのは異常だ。Sランクに至った才覚は伊達ではない。
(「嬉しくない」か。……まあ、そうだろうな)
刃は天井を見上げた。
レイラの気持ちは、少しだけ分かる。
自分が全力を出していないのに、周りが「すごい」と騒ぐ。その虚しさを、刃は誰よりも知っている。
Fランクの低層で薬草を集めて、それで「お疲れ」と言われる毎日。本当の自分は、そんなところにはいない。
(……まあ、他人のことを心配する暇があったら、自分のことを心配しろよ。俺は)
刃はゲーム端末を閉じ――少しだけ迷ってから、メッセージ画面を開き直した。
返信を打つ。たった一言。
『おう』
送信ボタンを押して、すぐにゲームアプリを起動した。
(……返信したからな。ポーター枠の件は別だからな。あれとこれは関係ないからな)
誰に言い訳しているのか分からない独り言を心の中で繰り返しながら、刃はスマホゲームのログインボーナスを受け取った。
◇ ◇ ◇
数秒後。
神盾機関本社ビルの廊下を歩いていたレイラの端末が震えた。
差出人:刃。
レイラの足が止まった。
初めてだった。刃から返信が来るのは。
画面を開く。
『おう』
たった二文字の返信。
レイラは、廊下の真ん中で立ち尽くした。
銀色の髪が揺れる。蒼い瞳が、画面を見つめている。
蒼氷姫。世界ランキング8位。1200万人のフォロワーを持つ氷の美少女。
その頬が、ゆっくりと赤く染まった。
「…………っ」
端末を胸に押し当てて、レイラは小さく蹲った。
廊下を通りかかった部下が、驚いて声をかける。
「レイラ様……? 具合でも悪いのですか……?」
「……大丈夫。何でもない」
立ち上がる。冷たい表情を取り繕う。
だが、口元だけは、どうしても緩みが止まらなかった。
企業の廊下を歩く蒼氷姫の背中は、いつもより少しだけ軽かった。




