第13話「その剣技、名前は無い」
二人での「見学」が始まって、3日目。
刃とレイラは、国定ダンジョンの4階層まで降りていた。
今日のクエストは翡翠苔ではなく、Eランクの素材採取クエスト――蛍光菌の採集だ。4階層の地底湖周辺に自生する発光キノコで、医療用の鎮痛剤の原料として安定した需要がある。
「そういえば、今日のクエストはEランクなんだ」
「ああ。たまにはちょっと奥のやつもやらないと、受付の春日さんに心配される。『八雲さん、もう少し上を目指しませんか?』って」
「……刃が万年Fランクを装ってることに、受付の人は気づいてないの?」
「3つ目」
「あ」
レイラが口を押さえた。質問カウント。
「……大丈夫。あと4つ残ってる」
「序盤に3つも使うな。配分を考えろ」
レイラは唇を噛みながら、黒ウィッグの下で悔しそうに眉を寄せた。
(この質問制限、本当にきつい……。聞きたいことが100個くらいあるのに)
二人は地底湖の畔に到着した。
薄闇の中に、青白い光が無数に瞬いている。壁面や地面から生えた蛍光菌が、魔素の光を宿して幻想的に輝いていた。
「……綺麗」
レイラが思わず呟いた。
Sランクの彼女は深層の壮絶な光景を何度も見てきたが、低層にはこうした穏やかな美しさがあることを知らなかった。企業所属のトップ探索者が、Eランクのエリアに来ることなどまずないからだ。
「ここ、好きなんだ」
刃がぼそりと言った。
「……え?」
「静かだし、光が綺麗だし、モンスターもあんまり来ない。苔を採ったり、キノコを集めたりしながら、ぼーっとできる。……俺にとっては、深層よりここの方がよっぽど価値がある」
レイラは、刃の横顔を見つめた。
蛍光菌の青白い光に照らされた彼の表情は、穏やかだった。
74階層でエリアボスを両断した時の、あの底知れない冷たさはどこにもない。ただの――ほんの少しだけ心を開いた、青年の顔。
(……刃は、こういう場所で生きていたいんだ)
レイラは、少しだけ胸が痛んだ。
この人の平穏を、自分が壊しているのではないか。そんな考えが、頭を掠める。
「……採取、始めるぞ」
刃の声で、レイラは我に返った。
蛍光菌の採取は、翡翠苔よりも少しだけ技術が要る。根元から丁寧に剥がさないと発光成分が飛んでしまい、品質が落ちるのだ。
刃はいつものように、専用のヘラで手際よくキノコを剥がしていく。
レイラは隣にしゃがみ、その手元を氷眼で観察していた。
(……また。刃の指先から魔素が流れてる。ほんの微量、ヘラを通してキノコの根元に浸透させて、接着面を緩めてから剥がしてる。だから根元が傷つかないんだ)
採取作業ですら、刃は無意識に魔素を操作していた。
本人にとっては「丁寧にやってるだけ」なのだろう。だが、その「丁寧さ」の精度が異次元なのだ。
(聞きたい。すごく聞きたい。でも、質問カウントは残り4つ……)
レイラは震える手で手帳にメモを取りながら、質問を喉の奥に押し込めた。
◇ ◇ ◇
採取を終え、帰路についた時だった。
3階層と4階層を繋ぐ狭い通路で、前方に異様な気配を感じた。
刃の足が、自然に止まった。
「……止まれ」
低い声。一瞬で空気が変わった。
レイラも即座に足を止め、臨戦態勢に入る。Sランク探索者の反射速度だ。
前方の暗闇から、ゆっくりと巨大な影が現れた。
体長3メートル超。灰色の体毛に覆われた四足獣。爛々と光る赤い双眸。口元からは蒸気のような白い息が漏れ、低く太い唸り声が通路の壁を震わせている。
「灰狼王……!」
レイラが息を呑んだ。
Cランク相当のモンスター。通常は6〜8階層に生息する中層の魔獣だ。群れを率いる個体は「王」の名を冠し、Bランクのパーティーでもまともに戦えば苦戦する。
それが、4階層――低層エリアにまで迷い込んできている。
(この前の岩殻蟹といい、最近の低層は迷い込みが多いな。……ダンジョンの地殻変動の影響か)
刃は冷静に状況を分析した。
問題は、後ろにレイラがいることだ。
レイラならCランクの魔獣など瞬殺できる。だが、ここでSランクの魔法を使えば、低層域のセンサーに異常な魔素反応が記録される。
かといって、放置すれば灰狼王は低層を徘徊し、他のFランク探索者に被害が出る。
(仕方ない。俺がやるか)
刃は鉄剣の柄に手をかけた。
「刃、私が――」
「いい。見てろ」
短い一言。
レイラは口を閉じた。
灰狼王が牙を剥き、低い姿勢から一気に飛びかかってきた。
3メートルの巨体が、通路を埋め尽くすように迫る。
刃は――動かなかった。
正確には、動いたが「見えなかった」。
一歩。
刃が半歩だけ前に踏み出し、鉄剣を横に振った。
ただの横薙ぎ。
何の技名もない。構えもない。ただ、腰を回し、腕を振った。それだけだ。
しかし。
斬撃音すら聞こえなかった。
空気が裂ける音が、一瞬遅れて通路に響いた。
灰狼王は、飛びかかった姿勢のまま、通路の壁に激突して動かなくなった。
――気絶していた。
斬られてもいない。身体に傷一つない。
ただ、横薙ぎの「風圧」だけで、Cランクの魔獣が意識を刈り取られたのだ。
沈黙。
レイラが、口を開いた。
「……今の技の名前は」
「技?」
「今の……横薙ぎ。あれ、ただの横薙ぎじゃない。振りの軌道が接触面の手前で微調整されてた。刃先が直接触れないギリギリの位置で止まって、代わりに魔素を纏った風圧だけを叩きつけた。対象を傷つけず、衝撃だけで意識を飛ばす……あんなの、見たことない」
刃は、少しだけ驚いた顔をした。
(……こいつ、今の一瞬で、そこまで見えたのか)
氷眼の分析力は本物だ。刃自身が無意識にやっていた「手加減」の内訳を、レイラは一瞬で解体してみせた。
「名前はない」
刃は鉄剣を腰に戻しながら答えた。
「名前がない……?」
「そんなもん、ない。ただの横薙ぎだ」
「ただの横薙ぎで、Cランクの灰狼王を無傷で気絶させる人は、この世界に刃しかいないと思う」
「いや、師匠なら素手でやる」
「……師匠さん、何者なの」
「5つ目」
「っ……!」
レイラは悔しそうに口を閉じた。
残り2つ。まだ帰路の半分も歩いていないのに。
(質問配分、完全にミスった……!)
刃は倒れた灰狼王を跨ぎ、何事もなかったかのように歩き出した。
「……ちなみに、今ので魔素痕跡は残ってないから安心しろ。鉄剣越しに出力してるから、俺の魔素はセンサーに記録されない」
「え? あ、だから安物の鉄剣を……?」
「6つ目」
「いや今のは質問じゃなくて独り言……!」
「語尾が疑問形だったから質問だな」
「刃……!」
レイラの悲鳴のような声が通路に響いた。
刃は前を向いたまま、小さく笑った。
今度は隠さなかった。
◇ ◇ ◇
地上に戻り、協会でクエストの報酬を受け取った後。
二人は協会裏手の自販機の前で、缶コーヒーを飲んでいた。
レイラは手帳を広げ、今日の「見学」記録を整理している。
ページには、びっしりとメモが書き込まれていた。
「刃」
「残り1つだぞ」
「分かってる。……最後の1つ、使っていい?」
「どうぞ」
レイラは缶コーヒーを両手で包み、少し俯いた。
「……刃の剣は、全部『名前のない技』なの?」
刃は缶コーヒーを一口飲み、空を見上げた。
夕暮れの空に、飛行機雲が一筋走っている。
「……師匠にはな、技の名前なんてのは飾りだって言われた。名前をつけた瞬間に、それは『型』になる。『型』になった瞬間に、それは形に囚われる。……だから、名前はつけるな。お前にとっての剣は、いつも一振りだけの一回限りでいい、ってさ」
レイラは、黙って聞いていた。納得する部分があるのだろう。
「まあ、要するにただの素振りだよ。たまたま相手に当たると気絶するだけの、ただの素振り」
刃はそう言って、空になった缶をゴミ箱に投げ入れた。
レイラは手帳に、今日最後のメモを書いた。
『名前のない剣。一振りだけの、一回限り。――師匠の教え』
そして、小さく呟いた。
「……かっこよすぎるでしょ、それは」
「なんか言った?」
「何も。……今日は、ありがとう。また明日」
「ああ」
レイラは黒ウィッグを少しだけずらして銀色の前髪を風に晒し、駅の方へと歩いていった。
その背中を見送りながら、刃はポケットからゲーム端末を取り出した。
画面には、未読のメッセージが1件。
『ポーター枠の件、そろそろ返事ください。
――レイラ :)』
(……まだ諦めてないのか、あれ)
刃はため息をつき、メッセージを既読にした。
返信は、やっぱりしなかった。




