第12話「『見学』の作法」
6日目。
刃は3階層の湿地帯で、いつものように翡翠苔を採取していた。
背後15メートルの巨大キノコの裏に、いつものフード姿がいることも把握している。
(……今日は15メートルか。毎日3メートルずつ詰めてきてる。このペースだと、あと5日で真後ろに立つ計算になるな)
もはや日課だった。
朝起きて、納豆を食べて、協会でクエストを受注して、ダンジョンに潜って、キノコの裏にいるSランク探索者の気配を感じながら苔を採る。
異常すぎて、逆に日常になりつつあった。
だが、今日は少しだけ違った。
採取を終えて帰路につこうとした時、2階層の通路で洞窟鼠の群れ――5匹ほど――が、道を塞ぐように屯していた。
群れとはいっても、Fランクモンスターが5匹。刃にとっては通行の妨げですらない。
(あー、面倒だな。全部まとめて……)
刃は鉄剣を鞘から抜かず、右手で柄を軽く叩いた。
コンッ。
鞘ごと振動が走り、その余波が空気を伝播する。
5匹の洞窟鼠が同時にコテンと倒れ、ぐるぐると目を回した。
――抜刀すらしていない。鞘越しに柄を叩いただけで、5匹同時に気絶させた。
刃は気絶した鼠たちを跨いで歩き出す。
その時だった。
「っ……!」
背後から、小さな悲鳴が聞こえた。
正確には悲鳴ではない。感嘆に声が漏れた、という方が近い。
刃は足を止めた。
(……あいつ、声出したな。今まで6日間、一度も声を出さなかったのに)
振り返る。
通路の壁際、岩の凹みに身を潜めていたフード姿が、両手で口を押さえて固まっていた。
蒼い瞳が、丸く見開かれている。
沈黙が落ちた。
「…………」
「…………」
刃は、深いため息をついた。
「……そこ、見えてるぞ」
フード姿がビクッと震えた。
「い、今のは不可抗力で……」
「6日間、毎日15メートルずつ距離詰めてくる奴が『不可抗力』って言っても、あんまり説得力ないぞ」
「え……気づいて……」
「初日から」
レイラのフードの下で、蒼い瞳がさらに大きく見開かれた。
「初日!?」
「当たり前だろ。74階層で鬼ごっこした相手の気配くらい分かる。……というか、お前の隠密、マジでガバいからな。ローブの裾引きずってるし、息止めすぎて10分に1回大きく吸うし、4日目には目が光ってたし」
「目が……? あ、氷眼が……」
レイラは自分の目元を押さえ、顔を赤くした。
世界ランキング8位の蒼氷姫が、キノコの裏で隠れていたことがバレて動揺している。画として面白すぎる。
「……それで。7日目もキノコの裏に隠れるつもりか?」
刃は腕を組み、壁にもたれかかった。
レイラはしばらくフードの中で泳いでいたが、やがて覚悟を決めたように顔を上げた。
「ただ見学しているだけ。約束は守ってる。……あなたの名前も、強さも、誰にも言ってない。配信もしてない。企業にも何も報告してない」
「それは分かってる」
「え?」
「お前が約束を守ってることは分かってる。守ってなかったら、とっくに俺の周りに神盾機関の連中がうろついてるはずだからな」
レイラの表情が、僅かに緩んだ。
「……信じてくれてるの?」
「信じてるっていうか、確認してる。毎日、協会周辺と自宅周辺の魔素痕跡をチェックしてる。お前以外の不審な気配がないことは把握済みだ」
「……それ、信じてないって言わない?」
「信頼と検証は別問題だ」
刃は真顔で答えた。
レイラは呆れたように、しかしどこか嬉しそうに笑った。
「……ねえ、刃」
「なに」
「このまま隠れて見てるの、効率悪いと思う」
「何の効率だよ」
「見学の効率」
レイラがフードを脱いだ。銀色の髪が洞窟の薄明かりに揺れる。
蒼い瞳が、真っ直ぐに刃を見つめた。
「一緒に歩かせて」
刃は眉を寄せた。
「……一緒に歩く?」
「うん。隣で歩きながら見学する方が、キノコの裏にいるより100倍情報量が多い。足運び、魔素の流れ、呼吸のリズム、剣に触れる時の指の位置。近くにいないと分からないことが多すぎる」
「お前な……」
「教えてくれとは言ってない。ただ近くで見てるだけ。約束は変わらない」
刃は天を仰いだ。
2階層の低い天井が、やたらと近く見えた。
(……こいつ、毎日毎日キノコの裏にいるくらいなら、そりゃ隣で歩きたいよな。理屈としては分かる。分かるけど……)
「Sランクがこんな低層をうろうろしてたら、それだけで目立つぞ」
「変装してる」
「そのフード、銀髪がはみ出してる」
「!」
レイラが慌てて髪を押し込んだ。
「……あと、魔素の抑制がなってない。Fランクの低層でSランクの魔素を撒き散らしてたら、センサーに引っかかる。Dランクの岩殻蟹が迷い込んできたのも、たぶんお前の漏れた魔素に引き寄せられたんだ」
「え……あの蟹、私のせいだったの!?」
「十中八九な」
レイラが絶句した。
「ごめんなさい……」
「まあ、大した話じゃない。ただ、一緒に歩くなら条件がある」
「条件?」
刃は指を1本立てた。
「一つ。魔素を完全に隠蔽すること。Sランクの魔素をFランクの低層で垂れ流すな。やり方は……まあ、見てれば分かるだろ」
刃は自分の体を指差した。
レイラが氷眼を発動させ、刃の魔素の流れを見る。
――何も見えなかった。
「……嘘。魔素が完全にゼロに見える。どうやって……」
「師匠に教わった。魔素を体内で循環させずに、一箇所に圧縮して封印する方法。まあ、説明はしないけど。見て覚えろ」
教えない。でも、見ることは許す。
それが二人の約束だった。
「二つ目。俺に話しかけすぎるな。こっちはクエストをこなしたいだけなんだ。質問は1日3つまで」
「3つ!? 少なすぎる……!」
「はぁ……じゃあ5つ」
「……10」
「チッ……7。これ以上は譲らない」
「……わかった。7つ」
レイラは不満そうにしつつも、頷いた。
「三つ目」
刃は、少し真剣な目をした。
「楽しそうにするな」
「……え?」
「お前が楽しそうにしてると、こっちまで変な気分になる。面倒なんだよ、そういうの」
レイラは、一瞬ぽかんとした。
そして――ゆっくりと、花が咲くように笑った。
「無理」
「無理って言うな」
「だって……楽しいんだもん、刃の隣にいると」
「…………」
刃は盛大にため息をつき、背を向けて歩き出した。
「……帰るぞ。明日は朝9時に協会の裏手。フードはもっと深く被れ。あと、髪を黒に染めるかウィッグ着けろ。銀髪は100メートル先からでも目立つ」
「っ!」
レイラの足が止まった。
「……それって、明日から一緒にクエスト行っていいってこと?」
「一緒にクエストに行くんじゃない。お前が勝手についてくるのを止めないだけだ。……まあ、キノコの裏にいられるよりはマシだからな」
刃は振り返らなかった。
だから、レイラがどんな顔をしているか、見ていなかった。
――泣きそうなほど嬉しい顔を、していた。
◇ ◇ ◇
翌日。朝9時。
協会の裏手に、黒いウィッグを被り、度の入っていない伊達眼鏡をかけ、地味なカーゴパンツにパーカーという「底辺探索者もどき」の格好をした女が立っていた。
……世界ランキング8位の変装力は、やはり壊滅的だった。
(服装はともかく、スタイルが良すぎるだろ。底辺探索者にこんな八頭身いねえよ)
刃は内心で突っ込みながら、ぶっきらぼうに声をかけた。
「……来たのか」
「来た」
「魔素は?」
「抑えてる。昨日の夜ずっと練習した」
刃が魔素感知で確認する。確かに、昨日よりもずっと魔素の漏出が少ない。完璧ではないが、低層のセンサーなら引っかからない程度には抑えられている。
(……一晩でここまで抑えてきたのか。こいつ、吸収力がヤバいな)
素直に感心する。ただし、口には出さない。
「まあ、ギリギリ合格だ。行くぞ」
「うん!」
レイラの返事が弾みすぎていた。
刃は何も言わず、歩き出した。
協会の裏口から出て、商業ビルの地下ゲートに向かう。
二人並んで歩く姿は、一見するとFランクの探索者が二人で低層クエストに向かう、ありふれた光景に見えた。
……底辺探索者の男と、どう見ても底辺には見えない女の組み合わせは、多少の違和感を放っていたが。
「今日のクエストは?」
「2階層の翠麻草採取。簡単なやつだ」
「了解。……それで、早速なんだけど、質問していい?」
「もう1つ消費したぞ。今の『質問していい?』で」
「え!? それも質問カウントに入るの!?」
「自分で聞いたことくらい管理しろ」
「刃、ずるい……!」
「残り5つ。大事に使え」
レイラが唇を尖らせた。
(…………ちょっと面白いな)
刃は前を向いたまま、口の端が僅かに上がるのを隠した。
ゲートをくぐる。
1階層の洞窟に転送される。
二人の足音が、薄暗い通路に響く。
一人だった時と、音の数が違う。
当たり前のことが、少しだけ新鮮だった。
(……面倒くせぇな)
いつもの口癖が浮かぶ。
だが、その言葉を口に出す代わりに、刃は黙って歩き続けた。
隣を歩く銀髪――いや、黒ウィッグの少女が、目を輝かせて自分の足元を凝視しているのを、視界の端で捉えながら。
こうして、世界最強の男と世界最強を目指す女の、奇妙な「見学」の日々が正式に始まった。




