表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
底辺探索者の手加減極意 〜最強の師匠に育てられた俺はソロでダンジョンを攻略したいだけなのに、偶然トップ配信者を助けたら世界中から注目されてしまった〜  作者: らいお
捌ノ太刀 記録の外側

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

100/103

第99話「待ち合わせ」

 林道の終点で車を降りた時、山はもう夜側に沈んでいた。


 古い待避所のコンクリートはひび割れ、脇の簡易ゲートは半分だけ傾いている。使われなくなった保守道らしく、案内板の文字もほとんど剥げていた。

 だが、完全に死んだ道には見えなかった。


 ゲート脇の鎖は錆びているくせに、留め金だけが新しい。

 落ち葉の積もり方も、轍の残り方も、妙に中途半端だった。何年も誰も来ていない荒れ方ではなく、誰かがたまに通って、そのたびに痕跡を消しきれていない荒れ方だ。


「……死んだ設備って顔じゃないですね」


 ミラが小声で言った。

 眠そうな顔のまま、視線だけが鋭い。


「見て分かるのか」

「落ち葉が変です。自然に溜まるなら、道のくぼみにもっと寄る。でもここ、歩幅分だけ薄い」


 ライトを当てるまでもなかった。

 確かに、人が踏んでいる筋だけが浅く残っている。


 ガレスがゲートの蝶番に触れた。


「油が切れてない」

「最近まで使ってる?」

「少なくとも、忘れられたままではない」


 レイラは尾根の暗がりを見たまま言う。


「『一人で来い』の意味、また少し変わったかも」

「どう変わった」

「警戒してるだけじゃない。見せたくないものがある」


 刃は返事をしなかった。

 返さなかったが、否定もしなかった。


 ここはただの待ち合わせ場所ではない。

 隠したい何かがあって、そのうえで会うなら一人にしろと言っている。そう読む方が自然になってきていた。



 四人はライトを最低光量まで落として林道へ入った。


 先頭がガレス。最後尾にミラ。レイラと刃が中央を歩く。

 靴裏が砂利を噛む音だけが短く続いた。夜の山は静かだが、無音ではない。沢の流れ、枝のこすれる音、遠くで一度だけ鳴いた夜鳥。その全部の奥に、人が手を入れた場所だけが持つ硬い静けさが混じっている。


 途中でガレスが一度しゃがんだ。


「枝が払われてる」


 林道脇へ張り出した細枝が、肩の高さだけ綺麗に切られていた。野生動物の道ではこうならない。刃物か鉈で払った面だ。


「今週中くらいですかね」


 ミラが続ける。


「切り口がまだ白いですね」

「楽しそうだな」

「楽しくはないです。興味深いだけで」

「研究者のその言い方、だいたい信用ならねえ」

「ひどい偏見です」


 偏見ではなかった。

 実績に基づく判断だ。


 林道が終わる手前で、レイラが小さく笑った。


「でも、ちょっと分かる」

「どっちだよ」

「生きてる施設って、嫌だけど面白い」

「お前までそっち行くのか」

「行かない。私は嫌な方が先」


 乾いた返しだった。

 だが、そのくらいの軽さがある方が、かえって助かる。


 十五分ほど歩いたところで、道の表情が変わった。

 車幅のある林道が痩せ、片側が斜面へ落ちる細い尾根道になる。足場は古いままだが、排水溝の泥だけが不自然に浅い。誰かが定期的に掻いているのだろう。


 ミラが息を吐いた。


「保守されてますね」

「された、じゃなく?」

「はい。今も」


 尾根の途中に、古い反射杭が一本だけ立っていた。

 塗装は剥げている。だが、杭そのものは倒れていない。根元の土も締まり直されていた。壊れたものを放置したままでは、こうはならない。


 刃は視線を前へ戻した。


 音声ログ。帰還補助。旧記録庫の欠落名簿。山小屋の燃え残り。そこに、この山道だ。

 記録だけが残っているわけではない。

 誰かが、残しながら使っている。



 最後の尾根分岐は、地図に書かれていた通り狭かった。

 左へ折れれば、緩やかに下って古い作業道へ逃げられる。正面は痩せ尾根のまま伸び、岩と杉の影の間へ消えている。観測点へ行くなら正面しかない。

 ガレスがそこで止まった。


「ここからだ」


 刃は頷き、端末を取り出した。

 既定スタンプの一つ目。


 『入る』


 送信。

 圏内表示は弱いが、既読はすぐに三つ付いた。


「優秀だな」

「待ってる側が本気なだけ」


 レイラが言う。

 その通りだった。


 ミラがバッグの口を押さえながら顔を上げる。


「接触済み、忘れないでください」

「会えたらな」

「その『会えたら』がいちばん困るんですよ」


 ガレスは尾根の先を見たまま短く言った。


「二十一時三十分までは見るだけだ。二十二時で切る。そこは変わらん」

「分かってる」


 刃が答えると、レイラがこちらを見る。


「ちゃんと帰ってきて」


 短い。

 だが、それで十分だった。


「おう」


 刃は左手の刀袋を握り直した。

 それ以上は言わないまま、痩せ尾根へ足を踏み出す。


 背中越しに、三人の気配が一段だけ遠くなった。

 完全には消えない。だが、これ以上先へは来ない距離まで下がっていく。

 今夜の一人は、そこまで含めて四人で決めた一人だった。



 尾根の先は、思っていたより人工物が多かった。


 自然の地形に見える。だがよく見れば、岩の配置が不自然に揃っている。足場にされる場所だけ角が削られ、滑る箇所だけ細かい砂利が足されていた。夜目でも分かる程度には、人の手が薄く重なっている。


 十分も進むと、杉の間に低い影が見えた。


 半分ほど土に埋もれたコンクリートの箱。

 屋根は傾斜付きで、表面には苔と黒ずみが広がっている。小屋というより、地面へ押し込まれた観測壕に近い。正面の金属扉には古い塗装が残っていたが、中央にあったはずの協会章だけが綺麗に削り落とされていた。


「……ここか」


 声は自然と小さくなる。


 観測点そのものは古い。

 だが、古いだけでは済まない。


 扉前の石段には、落ち葉がほとんど乗っていなかった。

 排水溝も詰まっていない。軒下へ寄せられた枯れ枝は、ただ風で溜まった形ではなく、踏まれない位置へ避けられている。

 扉脇の外灯は死んでいたが、配線を留める絶縁布だけが新しかった。


 施設の寿命ではなく、使う人間の都合で保たれている。

 そういう残り方だった。


 刃はさらに一歩近づいた。


 空気の匂いが変わる。


 湿ったコンクリート。古い鉄。苔。

 その奥に、微かに別の匂いが混じっていた。


 薪ではない火の匂い。

 湯を沸かした後みたいな、乾いた金属の熱。


 扉の取っ手に手をかける。

 冷え切ってはいなかった。


 鍵は掛かっていない。

 だが、招き入れている感じとも少し違う。

 入るなら勝手に入れ、ただし余計なものは見ていくな。そんな無愛想な気配が、扉そのものから漂っていた。


 刃は端末を一度だけ見た。

 時刻は二十時五十九分。


 接触済みのスタンプは、まだ送らない。

 まだこれは、場所へ着いただけだ。


 息を殺し、ゆっくり扉を押す。


 蝶番はほとんど鳴かなかった。

 誰かが油を差している。


 開いた隙間の奥は暗い。

 だが完全な闇ではない。床の先、見えない角の向こうに、ごく薄く光を吸った面がある。古い操作盤か、棚か、それとも別の何かか。


 刃は敷居を越えた。


 中は予想より広い。

 手前は小さな前室。その先に短い通路。壁には外された計器の跡がいくつも残っている。配線は切られたままではなく、束ねて壁際へ逃がされていた。使わないものを放置した跡ではない。使うものだけ残して、いらないものを片づけた跡だ。


 通路の角に、金属のカップが伏せて置かれていた。

 底に、水滴がまだ残っている。


 刃はそこで足を止めた。


 記録を保管しているだけなら、こんな置き方はしない。

 機械を維持しているだけでも、こうはならない。


 ここには、生活とまでは言わないまでも、誰かの滞在がある。

 人の手の温度が、まだ抜けていない。


 その瞬間だった。


 通路の奥、さらに先の部屋から、空気が一段だけ沈んだ。


 起動音ではない。

 風でもない。


 息を潜めた誰かが、こちらを見た時にだけ生まれる、あのわずかな重み。


 待っていたのは、記録でも機械でもなかった。

 ――闇の奥で呼吸を殺し、それでも消しきれない、生きている誰かの気配だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ