第6話 初仕事
暑い。暑すぎる。おかしい。エアコンをつけて寝たはずなのに暑くて眠れない。早くエアコンをつけないと死んでしまう。
目を閉じたまま枕元に手を伸ばす。しかし、次の瞬間には鈍い音とともに指先に激痛が走った。
思わず目を開ける。目の前には見知らぬ部屋が広がっていた。薄暗い部屋の中は家具も家電も無い。当然エアコンも無い。あるのは見慣れぬ服や革鎧、そして剣程度であった。
「そうか……。夢じゃなかったんだな」
ここでようやく自分の置かれている状況を理解した。
昨日、自分はアヤメとコンビニで買い物をした後に車にはねられて異世界に転生、いや、転移か?をした。そして一緒に転生したというハジメと共に冒険者登録をしてこの宿に来たんだ。
ここまで思い出して頭を抱えた。まさかあれが夢ではなかっただなんて。遺した家族のことが気になる。友だちは、学校は、予備校はと考えてしまう。でも、何もできない。きっと家族には秘蔵の美少女フィギュアを見つけられて引かれてしまうんだ。スマホは車にはねられたときに壊れていればいいな。データ復旧などしてくれるなと願うばかりだ。
考えること、心配になることはいくらでもある。でも、ここは切り替えていくしかない。恐らくはもう元の世界には帰れない。ならば気にしても仕方ない。これからのことを考えよう。この世界でどう生きていくのか。これを考えるしかない。そのためには今後のことをアヤメとハジメに相談しなくては。
そう思って立ち上がる。木窓からは薄日が射し込んでいる。光の強さから朝だろうと思うが、念のため窓を開けて確認する。
窓の下の通りには人がまばらに歩いている。柔らかな日射しの中で、店の前の掃除をしている人や、荷台を引いて歩く人もいる。遠くの方で「おはよう」という声も聞こえてきた。
窓を閉めて部屋を出る。宿の廊下は日の光が入ってこないため蝋燭の灯りしかなく薄暗い。少し不安になるが、それよりも階下から登ってくる食事の匂いの方に意識が向く。途端に腹が減ってきた。
「そういや、昨日は夕飯を食べずに寝ちゃったんだったな」
腹をさすりながら夕飯を食べ損ねたことを思い出した。2人と今後について相談しようと思ったが、腹が減っていてはまともに話せない。まずは腹ごしらえしなくては。
相談のことは後回しにして階下の食堂へ行く。そこには既に何組もの宿泊者がテーブルを囲んでいた。皆ガタイが良く、顔や腕に傷が見える。冒険者だろうか。
空いている席を探すと、隅の方のテーブルにハジメが座っているのが見えた。スープにパンを浸して食べている。ちょうどいいのでハジメのいる席に歩いていく。途中でハジメも俺に気がついて手を振ってきた。
「ハジメさん。おはよう」
「おはよう。アヤメさんは?」
「いや、声かけてない。先に何か食べようと思って」
「そうか。まぁ来なかったらパンでも持っていってあげようか」
ハジメはアヤメを気遣って提案してきた。やはり大人は凄い。こんな状況でも周りに気を使えるなんて。俺にはできない。その必要性も感じなかったし。
「そうだね。でも、たぶんそろそろ起きてくると思う。あいつ、いつも朝早くから練習してるから基本的に早起きなんだ」
「あ、そういう子なんだ。練習ってことは部活の関係?やっぱり剣道部?」
「よく分かったね。剣道部だよ」
「あの構えを見ればさすがに分かるよ。【強擊】のスキル持ちっていうのも頷ける」
「そりゃそうか。」
店員が注文を取りに来たのでハジメと同じものを注文する。
「それでハジメさん。今日はどうする?」
「今日ねぇ。とりあえず仕事を受けたいんだけど、昨日話したとおりでいいかな?それとも街のことを知るために清掃の仕事をする?どっちがいい?」
薬草採取と市街清掃。報酬は前者の方が多い。でも、危険なのは嫌だ。だからあまり気は進まない。でも、どっちをやりたいかと訊かれたら答えは決まっている。
「薬草採取で」
「理由を聞いても?」
「清掃は嫌。たしかに、街を知るためには受けた方がいいだろうとは思う。でも、昨日見た街の汚さを考えると清掃はキツすぎる」
昨日、街を歩いていて中世ヨーロッパのような街並みの美しさに目をとられたが、それとは対照的に路面の汚さが目についた。とにかくゴミが多く臭い。あれを触らなきゃいけないと思うと清掃などやりたくなくなる。
「なるほどなぁ。まぁ一理ある。ちなみに俺は市街清掃派だ」
「おいおい。昨日と話が違うぞ」
「まぁ昨日の夜に色々考えたんだよ。やっぱりいきなり薬草採取は厳しいかなぁって。だから街を知るために街路清掃もありかなって思ったのさ。ま、気持ちとしてはやりたくないけどね。薬草採取の方がいい」
「じゃあ決まりじゃん。薬草採取にしよう」
「まぁ待てって。アヤメさんの意見も聞かないと。街の外に出た場合、彼女が1番大変なんだから」
「それは……そうだけど」
俺は何ができるかよく分からない“雑用兵”だ。スキルも魔法も使えないとなると、戦闘では後ろに下がることになる。薬草採取に行って動物や魔物に襲われたらアヤメが最前線で戦うのは目に見えている。その危険を冒せとは無責任に言えない。
「分かった。じゃあアヤメが来るまでこの件は保留な。って噂をすれば……」
食堂の入口で店内を不安そうに見回しているアヤメの姿が見えた。大きく手を振って場所を教える。俺たちに気がついたアヤメは笑顔になってやってきた。
「おはよう!シンにしては早いね!」
「まぁな。昨日部屋に入ってからさっきまで寝てたから」
「あ、私も同じ。だからお腹すいちゃってさぁ。一緒に食べようと思って部屋に行っても返事が無いからまだ寝てると思ってこっちに来たんだ。まさか先にいるとは思わなかったよ」
「わりぃ。起こしちゃいけないと思って先に来ちゃった」
「いいんだけどさぁ、次からは呼んでよね」
「分かった分かった。だからそうむくれるなって」
アヤメは頬を膨らませて顔全体で不満の意を表している。目の周りが若干赤く見えるが気のせいだろうか。
アヤメがハジメにも挨拶をしていると頼んでいた朝食が来た。パンと豆スープというシンプルなもの。量は少ないが朝食なのでちょうどいいだろう。
笑っている2人を見ながらスープを一口飲む。ただの塩辛いスープに驚きつつパンを囓る。こっちはこっちで硬くてたまらない。ハジメがあのような食べ方をしていたのに合点がいった。
「それで、2人は何話してたの?」
アヤメもパンを注文してから訊いてきた。
「今日の予定についてだな。お前は薬草採取と市街清掃、どっちがいい?」
「そうだなぁ……。薬草採取かな。街の清掃はちょっと……。汚すぎちゃって」
「そうだよなぁ。ハジメさん、そういうわけで薬草採取に行こう」
ハジメは仕方ないといった様子で頷いた。
「アヤメさんがいいなら文句は無いさ。じゃ、ご飯食べたらギルドに行こうか」
硬いパンを容易く食べるアヤメに驚きつつも朝食を食べ終えた俺たちは、昨日買った武器防具を装備して冒険者ギルドへ向かった。
朝のギルドは混雑していた。ハジメによると依頼書は早朝に貼り出されることが多いらしい。そのため、条件のいい新規の依頼を受けようとするならば朝早くに来なくてはならない。薬草採取やゴブリン討伐といったものは常設依頼なので早朝に来る意味はあまりないのだが、早くから仕事を始めた方がいいのでやはり早朝に受注者が増える。こういった事情で朝は混雑しやすいとのことだ。
ハジメが掲示板から依頼書を取り、受付へと持っていく。ベニーさんの所へ真っ直ぐ向かい手続きをしてもらっているついでに何やら話し始めた。情報収集でもしているのだろうか。
しばらくして戻ってくると簡単な地図と植物のメモを持っていた。その場所へ行き、メモの薬草を採ってくるというものらしい。最終的には採取した薬草をギルドの担当者が確認をするので、ある程度間違えても問題は無いとのことだ。それを聞いて少し安心した。
分からないことはメモに書いてあるからそれに従えということなので、今は現場に向かうことにした。
昨日とは違う門を出て今回指定された薬草の群生地を目指す。街からは歩いて2時間かかるとのことだが、森の中を進むことになるためかなりキツい。しかもこの森、時々魔物が出るらしい。ホーンボアという角ありの猪やジャイアントディアという巨大な鹿のような獣型が出るそうだ。そんなものが出ると聞いたら嫌でも警戒する。森に入ると歩く速度は遅くなり、目的地に着いた頃には太陽が天高く昇っていた。
その場所は森を抜けてすぐの草原だった。四方をぐるりと森に囲まれているが、どういうわけかこの草原には草しか生えていない。遠くからは水の流れる音が聞こえる。小川があるようだ。
「ハジメさん。どこに生えてるか分かる?」
「いや、こことしか書いてないね。後は自力で探せってことみたいだ」
「不親切な地図だなぁ。じゃあ薬草の特徴を教えて」
薬草の特徴を聞いた俺たちは手分けをして探し始めた。白い花が咲いて、踏めば独特な臭いがするらしい。ドクダミか?だとしたら乱獲してもすぐに元に戻りそうだ。あれは地下茎で繁殖するからな。
注意深く足元を見ていると、ハジメの声が聞こえた。見つけたようだ。
ハジメのもとに駆けつけると、膝上ほどの高さの雑草の下の方に先程聞いた特徴と一致する草が大量に生えていた。
試しにハジメが切り取ってみる。臭い。ハジメが嫌な顔をしつつ口を開く。
「この花の形、葉の形と色、そしてこの臭い。まさにドクダミだな」
「うん。ドクダミだな」
「ドクダミですね」
3人の意見が一致した。ただ、ドクダミより臭いが強い気がする。これを摘んで持ち帰るのか。ある意味苦行だ。でも、やるしかない。
その場で屈んでドクダミもどきを摘み始める。指先が茶色くなってきた。軍手が欲しい。
そんなことを考えていると、背後の方から物音が聞こえた。他の冒険者が来たのか?いや、それにしては話し声が聞こえない。妙だ。まさか魔物か?
不安を覚え後ろに振り返る。草の上から覗くその姿は獣ではなかった。話が違う。こんな奴らがここにいるなんて聞いてない。緑の肌に、尖った耳が見える。こんな特徴の奴はあれしかいない。
アヤメとハジメはまだ気がついていない。屈みながら2人に近づいて小声で話しかける。
「マズい。ゴブリンだ。後ろにゴブリンがいる」
その瞬間、アヤメの顔が緊張で強ばった。あれほど異世界に来て楽しんでいて、早めにゴブリン討伐をすべきだと言っていたハジメでさえも真剣な表情を浮かべている。
2人も草陰からゴブリンの姿を確認する。アヤメは静かに剣に手をかけて姿勢を整える。ハジメはゴブリンの動きを観察しながら呟いた。
「あれがゴブリン……。思っていたより色が濃いんだな」
なにか対策を出すのかと思ったら、心底どうでもいい感想だった。
「ハジメさん。どうする?先手を打つか?」
「いや、とりあえずやり過ごそう。相手の数も分からないから危険だ」
「たしかに。今ここにいるのは3匹だけど、更に奥にいるかもしれないもんな」
「よく数が分かったね。僕からは1匹しか見えないよ」
「なんとなくかな」
言われてみれば、なぜ分かったのだろうか。足音は聞こえるけども、それが何匹かまでは分からない。上手く言えないが気配を感じるというのが最も正しい。
「なんとなくの情報じゃあてにならないから、ここは様子を見よう。2人とも、その場を動かないで」
ハジメの指示で屈んだまま警戒を続ける。
ゴブリン達はお互いに何かを話しながら歩いている。時折手に持つ何かで草を払うような音が聞こえる。俺たちと同じように薬草を採りに来たのだろうか。それとも遊んでいるだけなのだろうか。分からない。分からないが、徐々に俺たちの方に近づいてくる。
アヤメとハジメも次第に近づいてくる音に緊張の色が隠せない。2人とも息が荒くなり、額から汗が流れ落ちている。
いよいよゴブリンの姿が2人からもよく見えるようになった時、ゴブリンがこちらを見て何かに気がついた。その場にいる3匹が集まり、ゆっくりと音を立てずに近づいてくるのが分かる。
バレた。なんでバレた。俺たちは動かなかったし身も屈めていた。まさか視界に入ってしまったのか?草が一部だけ低くなっていることに疑問を持たれたか?いや、それにしては確信を持った動きをしている。
原因を考えていると、ふと聞き慣れない音が鳴っていることに気がついた。カタカタと金属がぶつかり合う音。今の今まで気がつかなかった。アヤメの剣の音だ。アヤメの手が震えて剣が鳴っている。見つかったのはこれが原因か。
仕方ない。こうなれば迎撃するしかないだろう。短く伝えなくてはならない。
「見つかった。奴らはこっちに向かってきてる」
「そうか。なら、やるぞ」
「待った。合図をするまで動かないで。もっと引きつける」
今にも立ち上がろうとするハジメを押さえて思いとどまらせる。アヤメはこちらの声が聞こえていないのか一点を見据えて動かない。呼吸は荒く、手も震えている状態だが集中はできているようだ。
話している間にもゴブリンは近づいてきている。もうすぐそこだ。やるなら今しかない。
「アヤメ!頼む!」
アヤメに声をかけると、それと同時にアヤメが立ち上がりざまに剣を抜き先頭のゴブリンを斬りつけた。
目の前に突然現れたアヤメに驚いたのか、動きを止めたゴブリンはその無防備な腹に剣を叩き込まれる。赤い液体を飛び散らせながら横に大きく弾き飛ばされ、そのまま動かなくなった。
その一撃の鋭さに驚愕した。アヤメはたしかに試合中の剣速は凄まじい。だが、剣道で抜刀術なんかやらないはずだ。それなのになぜあんなに速い居合い斬りができるのか。これも剣士としてのジョブの影響だとしたら馬鹿げている。アヤメがアヤメではなくなってしまう。
ゴブリンの声が聞こえる。我に返りゴブリンを見ると、残った2匹がアヤメに一斉に襲いかかってきた。アヤメを驚異と捉えたのだろう。
だが、アヤメは冷静に対処する。攻撃を避けるために後ろへ下がると同時に、ゴブリンの頭に剣を振り下ろしゴブリンの頭を両断する。
その間にもう1匹のゴブリンがアヤメに棍棒を振るう。これを剣で受け止めて弾き返すと、ゴブリンが体勢を崩した。
「よし!アヤメさん!離れて!」
ハジメが離れた所から杖を構えながら指示を出す。魔法を使う気だ。
「火よ。小さきその身を駆り眼前の敵を焼き払え!火球!」
詠唱を終えるとハジメの持つ杖の先から火の球が飛び出した。周囲の空間を歪めながら一直線に飛び、ゴブリンの体に当たる。その瞬間、体が火に包まれた。大きな悲鳴を上げてその場でのたうち回って火を消そうとするがなかなか消えない。何度も転がってようやく火が消えた時には動かなくなっていた。
念のためゴブリンの生死を確認をする。剣を抜いて近づく。焼けただれた体からはうっすらと煙が立ち上り異臭が鼻をつく。かなり嫌な気分だが仕方ない。
やはり動かない。呼吸の動きもない。大丈夫だ。
「死んでる。ハジメさん。倒せてるよ。他にゴブリンはいなさそうだからもう大丈夫だと思う。」
「よし。初めての実戦で緊張したけど上手くいって良かった。草に燃え広がらせるわけにいかないからね」
ハジメは自分の魔法が上手くできたことに満足している。笑顔でガッツポーズを決めた。なんか癪だからこのゴブリンの討伐証明はハジメに取らせよう。
ゴブリンの死体から離れ、剣を片手に佇んでいるアヤメのもとへ行く。返り血も無く目立った汚れはない。
「アヤメ。ありがとう。助かったよ」
声をかけるとビクッと体を震わせた。そして笑顔でこちらを見る。
「うん。シンがタイミングを教えてくれたおかげで上手く対応できたよ。それより、シンは怪我は無い?」
「大丈夫。アヤメがすぐ倒してくれたおかげで俺にまで来なかった」
「良かったぁ~」
アヤメは安堵したのかその場にへたり込んでしまった。極度の緊張から解放されたのもあるのだろう。これは責められるものではない。
ハジメに焼けたゴブリンの討伐証明を切り取るように言ってから、俺はアヤメの倒したゴブリンの討伐証明を切り取りに行く。
2匹の死体を確認した時、その凄惨な状態に息をのんだ。2匹とも一太刀でやられているのだが、その傷口が斬れていない。いや、斬れてはいるが非常に切れ味の悪い包丁でトマトを切った時のように、上手く斬れていない。所詮は西洋の剣だからだろうか。それともアヤメが真剣に慣れていないせいか。とにかく斬り口がボロボロになっていて気持ちが悪い。そのようなゴブリンの討伐証明を剥ぎ取り革袋に入れる。どうやらハジメも終わったようだ。
薬草も必要数は採った。ゴブリンも倒した。予期せぬ戦闘があったとはいえ、成果は上々ではないだろうか。後は無事に街に帰るだけだ。
その場で少し休憩をしてから街へ帰ることにした。だが、少しアヤメに元気が無い。大丈夫だろうか?




