3.私の好きな色
「まあ、ヴァレリア、いらっしゃい」
母の部屋へ入ると、母はいつものように優しく微笑んだ。
その前には既に仕立て屋がいて、テーブルいっぱいに色とりどりの布が広げられている。
「今度のお茶会に着ていくドレスを仕立てようと思っていたの。あなたも、もう七歳でしょう?そろそろ自分で選んでみる?」
「…私が?」
「ええ。好きなものを選んでいいのよ」
そう言われて、私はテーブルの上へ視線を落とした。
白、淡い桃色、水色、薄紫
どれも綺麗だった。
けれど、その中に一枚だけ、ぱっと目を引いたのが黄色だった。
春の日差しのような、明るい黄色…それを見た瞬間、胸の奥がふわっと弾んだ。
綺麗…。
そう思った。他に理由なんてない。
ただ、その色が目に入った瞬間、なんだか嬉しくなってソワソワする感覚だった。
「私、これがいいわ」
黄色い布を指差すと、母は少しだけ目を丸くした。
「…黄色?」
「はい」
「まあ……そうなのね」
母は黄色い布と私を見比べたあと、隣にあった水色の布へ手を伸ばした。
「でも、こちらの水色の方がいいんじゃないかしら」
「水色?」
「ええ。ヴァレリアによく似合うと思うわ。とても上品でしょう?」
仕立て屋も頷く。
「確かに、お嬢様の髪のお色にもよく映えるかと」
水色の布を胸元に当てられる。
確かに綺麗だった。
母の言う通り、似合っているのかもしれない。
「でも……」
もう一度、黄色を見る。
やっぱり綺麗だと思った。
「私、この黄色がとても綺麗だと思うわ」
そう言った瞬間母の顔が、ほんの少しだけ曇った。
怒ったわけではないし、眉をひそめたわけでもない。
ただ、少しだけ残念そうな顔をした。
「あら……」
その表情を見た瞬間、胸の奥がざわついた。
「もちろん、黄色も綺麗よ」
母はすぐにいつもの笑顔に戻った。
「でも、少し子供っぽく見えるでしょう?ヴァレリアはローゼンベルク侯爵家の令嬢なのだから、もう少し落ち着いた色の方がいいと思うの」
「……そうなのですか?」
「ええ。それに、水色の方があなたらしいわ」
私らしい…そう言われて、もう一度水色を見る。
上品、落ち着いている、侯爵令嬢らしい。
…そして、私らしい。
「……では、水色にします」
そう答えると、母の顔がぱっと明るくなった。
「ええ。それがいいわ」
嬉しそうに笑う母を見て、私もなんだか安心した。
よかった。
これで——
「……?」
何が、よかったのだろう。
ふと、そんな疑問が浮かんだ。
けれど母はもう仕立て屋とドレスの形について話し始めている。
私も再び水色の布へ目を向けた。
綺麗な色で、母の言う通り上品だと思う。
おそらく私にもよく似合うのだろう。
視線が、隣の黄色へ戻ると、さっきまで、あんなに綺麗だと思っていたのに今見ると、確かに少し子供っぽいような気もしてくる。
水色の方がいい。
その方が私に似合う。
そう思う。
…思う、のだけれど。
喉の奥に何かが引っかかったような感覚だった。
———
その日の午後、私は自室で本を読んでいた。
けれど、どうしても本に集中できなかった。
朝からいろいろなことがありすぎたせいかもしれない。
死んだこと。
七歳に戻ったこと。
そして、これからの人生をやり直せること。
考えなければならないことはいくらでもある。
それなのに、なぜか頭に浮かぶのはさっきの黄色い布だった。
「…黄色」
ぽつりと呟く。
綺麗だった。
見た瞬間、胸が少し躍った。
でも、母は水色の方が似合うと言った。
実際、水色も綺麗だった。
それなら別にいいではないか。
そう思って本へ目を戻した、その時だった。
ふいに、昔の…いや、これから起こるはずの未来の記憶が浮かんだ。
十五歳の私は学園のサロンで、同級生の令嬢と話している。その日も私は水色のドレスを着ていた。
『ヴァレリア様は、本当に水色がお好きですのね』
そう言われて、私は笑っていた。
『ええ。幼い頃からずっと好きですわ』
「…………」
本から顔を上げた。
今の私は七歳。
幼い頃から…好きな色?
「…あれ?」
もう一度、朝の出来事を思い返す。
黄色い布を見た瞬間、嬉しくなった。
だから迷わず指を差した。
『私、これがいいわ』
確かに、そう言った。
「…………」
私は水色が好きだった。
少なくとも十五歳の私は、そう思っていた。
幼い頃からずっと好きなのだと。
でも…
「私…黄色がいいって言ったわよね?」
誰に聞かせるでもなく呟く。
すると、もう一つの記憶が微かに浮かんだ。
同じ部屋に同じ仕立て屋。
そして同じ色の布。
七歳だった、一度目の私の記憶だ。
『私、この黄色がいいわ』
そして母が水色を勧めた。
『あなたにはこちらの方が似合うわよ』
私は少しだけ黄色を見つめて。
『……そうですわね』
水色を選んだ。
それだけ。
本当に、それだけの記憶だった。
忘れていたというより、覚えておくほどの出来事ですらなかったのだろう。
「……前も」
私は呟いた。
「前も、黄色を選んでいたのね」
机の上の本へ視線を落とす。
けれど、文字はもう頭に入ってこなかった。
水色が嫌いなわけではない。
今見ても、綺麗だと思う。
母の言う通り、私には水色の方が似合うのかもしれない。
それなのに。
十五歳の私は確かに言っていた。
『幼い頃からずっと好きですわ』
「…そう、だったかしら」




