2.生きてる
頬を撫でる風が心地いい。
少し遠くで鳥のさえずりが聞こえる。
瞼の向こうから、木漏れ日が差し込んでいる。
「お嬢様」
優しい声に、ゆっくりと目を開ける。
見慣れた天蓋。
見慣れた部屋。
「……え?」
起き上がろうとすると、驚くほど簡単に上半身が起きた。
…痛くない。
階段から落ちたはずなのに。
恐る恐る自分の身体を見るが、血も出ていないし怪我もない。
「お嬢様?」
再び声を掛けられ、私は顔を上げた。
そこにいたのは、幼い頃から仕えてくれている侍女のマーサだった。
「朝食のお時間ですが……どうかなさいましたか?」
…マーサ?
昨日までより、ずっと若い。
いや、若いなんてものじゃない。
十年以上若く見える。
「鏡を……」
「はい?」
「鏡を持ってきてくれる?」
震える声でそう言うと、マーサは少し首を傾げながら手鏡を持ってきてくれた。
そこに映る自分を見て、息を呑む。
「……うそ」
そこにいたのは十五歳だった私ではなくもっと幼く、まだ髪も短い。頬にもあどけなさが残っている七歳頃の、私だった。
心臓が激しく鳴り、鏡から目が離せない。
「お嬢様?」
「今日は……何年?」
マーサは不思議そうな顔をした。
「どうなさったのですか?」
「お願い。何年?」
「王歴三百十八年ですが……」
その年号を聞いた瞬間、全身から力が抜けた。
間違いない、婚約する前だ。
学園へ入るより、ずっと前。
私は、七歳に戻っている。
思わず両手を見る。
小さな手と傷ひとつない指。
私は、生きている。
あれは夢ではなかった。
——階段から落ちた感触も。
——誰かが逃げていく足音も。
——アシュレイに婚約解消を告げられたことも。
全部、本当にあった現実。
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
『君の言葉に、もう耐えられない』
「……っ」
思わず耳を塞いだ。
「お、お嬢様!」
「……ごめんなさい」
違う、マーサじゃない。
今聞こえたわけじゃなく思い出しただけ。
私は大きく息を吸った。
とりあえず落ち着かなければ。
やり直せる…本当にやり直せるのなら同じ失敗はしない。
もう婚約を破棄されるようなことにはしないし、もう誰にもあんな顔はさせない。
そう決意した、その時だった。
「お嬢様、本日は奥様がお洋服をお選びになるそうですよ」




