10.希望って言っても良いの?
「ヴァレリア、何か欲しいものある?」
そう聞かれたのは、私の誕生日を数週間後に控えた日のことだった。
その日、アシュレイは両親と共に我が家を訪れていた。
大人たちがお茶を飲みながら話をしている間、私たちは少し離れた窓際で、庭を眺めながら話をしていた。
「欲しいもの?」
「うん。もうすぐ誕生日だろ?」
「ええ」
「何か贈りたいんだけど、欲しいものがあったら教えて欲しいんだ」
「…………」
欲しいもの、そう言われて真っ先に浮かんだものがあるにはあった。
——乗馬用の手袋。
以前、アシュレイと厩舎へ行ってから、私は以前より馬が気になるようになっていた。
屋敷にある馬を遠くから眺めることも増えたし、父が馬に乗って出かける時には、つい窓から見てしまう。
いつか私も乗ってみたい…そう思っていた。
だから少し前から、乗馬用の手袋が欲しかった。
けれど、それを言えば、アシュレイは用意しようとしてくれるだろう。
乗馬用の手袋がいくらするのか、私は知らない。
子供用のものを探さなければならないかもしれない。
そもそも、私が乗馬をしたいと言えば、馬や教師の手配まで必要になるのではないだろうか。
それに、誕生日だからといって、欲しいものを指定するなんてなんだか、厚かましいような気もする。
「ヴァレリア?」
「あ……」
アシュレイがこちらを見ている。
私は笑った。
「なんでも嬉しいわ」
「なんでも?」
「ええ。アシュレイが選んでくださるものなら、なんでも」
「そっか」
アシュレイは少し考えてから、
「わかった!」
と笑った。
そして迎えた、誕生日。
朝から屋敷には花が飾られ、昼を過ぎる頃には招待客も集まり始めた。
いくつもの祝いの言葉と贈り物を受け取る。
その中に、アシュレイからのものもあった。
「ヴァレリア、誕生日おめでとう」
「ありがとう、アシュレイ」
差し出された箱を受け取る。
淡い色のリボンをほどき、蓋を開けると、中には小さな髪飾りが入っていた。
水色の石を使った、花の形の髪飾り。
光が当たると、石がきらきらと輝く。
「まあ…綺麗」
「本当?」
「ええ、とても」
それは本当に綺麗だった。
「よかった!」
アシュレイが嬉しそうに笑う。
「ヴァレリア、水色が好きだと思ったんだ」
「あ……」
思わず、髪飾りを見る。
——ヴァレリアには、水色の方がいいんじゃないかしら。
いつかの母の声が蘇った。
けれど、水色が嫌いなわけではない。
この髪飾りだって綺麗だと思う。
それに、アシュレイが私のために選んでくれた。
だから嬉しい、とても、それは本当だ。
「ありがとう。大切にするわ」
「うん!」
その言葉に嘘はなかった。
それからしばらくして招待客も少なくなった頃、私はアシュレイと庭へ出ていた。
「いっぱい貰ったね」
「ええ」
「何が一番嬉しかった?」
「え?」
「今日の贈り物」
「…………」
私は少し考える。
正直どれも嬉しかった。
綺麗なものもあったし、美味しそうなお菓子もあった。
もちろん、アシュレイの髪飾りも。
「全部嬉しかったわ」
「またそれ」
「え?」
アシュレイが笑う。
「ヴァレリア、なんでも嬉しいって言うよね」
「……いけない?」
「いけなくないけど」
アシュレイは少し考える。
「本当に欲しかったものとか、なかったの?」
「…………」
また、その質問。
乗馬用の手袋が頭に浮かぶ。
「……あったわ」
言葉に出した後、しまったと思った。
アシュレイが目を丸くする。
「あったの?」
「え、ええ」
「何?」
「……」
もう言ってしまった。
今さら、なんでもないとは言えない。
「乗馬用の…手袋」
「手袋?」
「ええ」
「馬に乗る時の?」
頷く。
「この前、馬を見たでしょう?それから…その、少し、乗ってみたいと思っていて」
アシュレイが黙った。
「…………」
やっぱり言わない方がよかった。
乗馬をしたいなんて面倒だと思われたかも…。
「ごめんなさい。その、」
「なんで言ってくれなかったの?」
「え?」
思っていたものとは違う言葉が返ってきた。
アシュレイは、なんだか残念そうな顔をしている。
「僕、聞いたよね?」
「…ええ」
「欲しいものある?って」
「聞かれたわ」
「なのに、なんでもいいって言った」
「……」
「僕、すごく考えたんだよ」
「え?」
「ヴァレリアは何が好きかなって。お菓子かなとか、本かなとか。アクセサリーの方がいいかなとか」
知らなかった。
「それで、ヴァレリアは水色をよく着てるから、好きなのかなって思って」
「……」
「でも、本当は手袋が欲しかったんでしょ?」
「…ええ」
アシュレイが少し俯く。
「僕じゃ、用意できないと思った?」
「違うわ!」
思わず大きな声が出た。
アシュレイが顔を上げる。
「そんなこと、思ってないわ」
「じゃあ、なんで?」
「だって…」
言葉に詰まる。
「欲しいと言ったら、アシュレイは用意しなければならなくなるでしょう?」
「え?」
「もし高いものだったら困るでしょうし、探すのが大変かもしれないし。…それに、乗馬用のものなんて言ったら、馬に乗りたいのかと聞かれるでしょう?そうしたら今度は馬や先生のことまで考えないといけないかもしれなくて…」
「…ヴァレリア」
「なに?」
「僕は無理だったら、無理って言うよ」
「……」
当たり前のように言われた。
「でも、言ってくれなかったら、僕にはわからないよ」
「……」
「それに」
アシュレイは少し口を尖らせた。
「せっかくヴァレリアにあげるものなのに、欲しいものがあるなら教えてほしかった」
「…そうなの?」
「そうだよ!」
「でも、欲しいものを言うなんて、厚かましくない?」
「僕が聞いたんだよ?」
「……」
それは確かにそうだ。
「言ってくれたら、探せたかもしれないし。無理だったら別のものにしたかもしれないし」
アシュレイはそう言ってから、少し笑った。
「少なくとも、こんなに悩まなくて済んだ」
「…そんなに悩んだの?」
「悩んだよ!」
知らなかった。
なんでもいいと言えば、相手は自由に選べるのだと思っていた。その方が、相手を困らせないのだと。
けれど。
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ」
「でも」
「来年は教えてね」
「来年?」
「うん。欲しいもの」
アシュレイが笑う。
「僕に用意できるかどうかは、そのあと考えるから」
「……」
私はその顔を見つめた。
それから、小さく頷く。
「…わかったわ」
「約束ね」
「ええ」
少し考えてから、私は付け加えた。
「でも、髪飾りも本当に嬉しかったのよ」
「本当?」
「ええ。大切にするわ」
アシュレイが嬉しそうに笑った。
今度は、私も笑った。
その日の夜、私は机に向かい、いつものノートを開くと今日のことを思い返しながら、ペンを走らせる。
——アシュレイに、誕生日に欲しいものを聞かれたとき、本当は乗馬用の手袋が欲しかった。
——でも、なんでも嬉しいと言った。
少し考えて、その続きを書く。
——アシュレイは、水色の髪飾りをくれた。
——とても綺麗だった。嬉しかった。
ここで一度、ペンを止めるそして、
——本当は欲しいものがあったと話したら、「言ってほしかった」と言われた。
「…………」
欲しいと言ったからといって、必ず貰えるわけではない。無理だと言われることもあるのだろう。
別のものになることだってある。
けれど、言わなければ
「…わからない、のよね」
誰にも聞こえない声で呟く。
最後に一行だけ書き足した。
——欲しいものは、欲しいと言ってもいいのかもしれない。
その文字をしばらく眺めてから、私はノートを閉じた。




