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証拠にならない真実を、報告します 〜九藤探偵事務所の真相報告書〜  作者: 九藤隼人
第1章 三十二年前の赤い電話
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第5話 残響写真

 御手洗大輔は、意外にも道に迷わなかった。


「たしか、この辺だ」


 そう言って御手洗が足を止めたのは、駅前広場から少し外れた歩道の端だった。


 正面には新しいビルが建っている。一階にはチェーンのカフェが入り、ガラス越しに客の姿が見えた。歩道は広く、植え込みも整備されている。


 三十二年前の写真に写っていた青果店も、薬局も、時計店も、当然ながら残っていない。


 それでも、御手洗が示した場所は、昨日の聞き込みで俺と光咲が絞った位置とほぼ重なっていた。


 俺は古い写真と現在の地図を見比べる。


 駅前商店街の入口。

 青果店の店先。


 その脇に置かれていたらしい赤い公衆電話。


「昨日の推定位置と、大きくはずれていません」


「ほらな」


 御手洗が少し得意げに胸を張った。


「俺、役に立つだろ」


「現時点では、そう判断してもいいと思います」


「そこは素直に役に立ったって言えよ」


「判断を急ぐ必要はありません」


「お前、ほんと面倒くせえな」


 光咲は、何もない歩道を見つめていた。


「ここに、赤い電話があったんですね」


「可能性が高い、です」


「はい。可能性が高い、ですね」


 俺の言い方を真似するように、光咲が言った。


 少しだけ慣れてきている。

 それが良いことかどうかは分からない。


「でも、今は本当に何もないですね」


「町は変わります」


 俺は黒いケースを足元に置いた。


「だから、残っているものを探します」


 ケースを開ける。


 中に入っているのは、携帯型哭響機だった。

 見た目は、古いカメラに近い。


 黒い本体。

 大きめのレンズ。

 背面の小さな画面。


 側面には薄い記録端末が接続されている。


 光咲が、恐る恐る覗き込んだ。


「それが、哭響機ですか」


「携帯型です」


「据え置き型とは違うんですよね」


「違います」


「どう違うんですか」


「これは場所探し用です。現地を歩きながら、反応があるかどうかを見るためのものです」


 俺は機械を手に取った。


「本格的に映像や音声を記録するには、据え置き型が必要になります」


「じゃあ、これは下見用?」


「その理解で構いません」


「珍しく分かりやすいですね」


「簡略化しました」


 御手洗が横から鼻で笑った。


「珍しいな。お前が説明を短く済ませるなんて」


「必要以上に長くすると、光咲さんが途中で分からなくなる可能性があります」


「私の理解力が低いみたいに言わないでください」


「可能性の話です」


「可能性でも失礼です」


 光咲は少しだけ頬を膨らませた。


「これ、九藤さんが作ったんですか」


「作った、というより直したんです」


「直した?」


 御手洗が機械を見ながら言った。


「もともと、こいつの実家にあった古い機械なんだよ。壊れてたのを、隼人がいじって使えるようにした」


「九藤さんの実家に?」


「はい」


 俺は頷いた。


「九藤家に残っていた古い装置を、現代の部品で補修しました。そのままでは持ち歩けなかったので、外側はカメラに似せてあります」


「似せてあるんですか」


「街中で使うためです」


「確かに、変な箱を持って歩いてたら通報されそうです」


「通報される可能性は下げたいので」


 御手洗が腕を組む。


「詳しいことは、早波さんに聞いた方が早いぞ。九藤家の古い話は、あの人の方が知ってる」


「早波さんって、真っ白な綺麗な方ですよね」


「その覚え方やめろ」


「うんこさんとのベストカップル候補の」


「俺はうんこじゃねえ!」


 通りすがりの人が、ちらりとこちらを見た。御手洗は気まずそうに咳払いをした。


「山中さんでした」


「それでいい」


「でも、本名は御手洗さん」


「できれば忘れろ」


「名前の印象が強すぎて」


「強くしたのは隼人だろうが」


 俺は携帯型哭響機の電源を入れた。

 背面の画面に、現在の歩道が映る。


「二人とも」


「はい」


「何だよ」


「口ばかりではなく、仕事もしてください」


 光咲がすぐに反応した。


「私は手伝うと言いました」


「まだ何もしていません」


「指示がありませんでした」


「それは事実です」


 御手洗が呆れたように言う。


「俺は休みなんだけどな」


「同行すると言ったのは御手洗です」


「言ったけどよ」


「土地勘があるなら、周辺の道を確認してください。昔の商店街から路地へ抜ける道が、今どう変わっているか知りたい」


「はいはい」


 御手洗は頭をかきながら、周囲を見回した。


「こっちの道は昔からあったと思う。駅に向かう大通りは広がってるけど、裏の細い道は残ってるな」


「光咲さんは、現在の写真を撮ってください」


「スマホでですか」


「はい。ただし、人の顔が写らないように。あとで古い写真と照合します」


「分かりました」


「お祖母さんへ送るのは、まだやめてください」


「分かっています」


「本当に?」


「本当に分かっています。私、そこまで信用ないですか」


「現時点では、確認中です」


「そこは嘘でも信用していますって言ってください」


「嘘は言いません」


 光咲は小さくため息をついた。


「九藤さん、そういうところです」


「どのようなところですか」


「そういうところです」


 御手洗が笑う。


「お前ら、今日もその調子かよ」


「通常です」


「だろうな」


 俺は返事をせず、携帯型哭響機を構えた。


 まずは、赤い電話があったと推定される地点。


 レンズを歩道へ向ける。

 シャッターを切った。


 短い電子音が鳴る。

 画面に、現在の景色が一瞬だけ止まった。


 反応はない。


 端末の候補フォルダーにも何も追加されない。


「何も出ませんね」


 光咲が言った。


「出ないこともあります」


「ここじゃないんですか」


「その判断は早いです」


 俺は半歩、位置を変えた。

 もう一度、レンズを歩道の端へ向ける。


 シャッターを切る。


 電子音。

 無反応。


 さらに一歩、青果店があったと推定される位置へ寄る。


 シャッター。

 また無反応。


「本当に地道だな」


 御手洗が言った。


「地道です」


「過去を見る機械って、もっと一発で分かるのかと思ってたわ」


「そういうものではありません」


「でしょうね。お前が使うんだから、面倒な機械に決まってる」


「機械の性質と使用者の性格は別です」


「いや、似てる」


 光咲が小さく頷いた。


「似ていますね」


「光咲さん」


「すみません。でも、似ています」


 俺は反論せず、位置を変えた。


 赤い電話が店先に出ていたとすれば、歩道の中央ではなく、もう少し建物側だ。


 ただし、現在の建物の位置と三十二年前の建物の位置は完全には一致しない。


 俺は古い写真の端を確認する。


 八百屋のテント。

 薬局の看板。


 電柱。

 電話の赤い影。


 現在の歩道で言えば、植え込みの切れ目に近い。俺はそこに立ち、もう一度シャッターを切った。


 電子音。


 次の瞬間、背面画面に細いノイズが走った。


 赤ではない。

 灰色に近い、薄い線。


「反応あり」


 光咲が息を呑んだ。


「今の、何ですか」


「弱い残響です」


「美咲伯母さんの?」


「断定できません」


「……ですよね」


 光咲は、今度は先回りしてそう言った。


 俺は画面を確認する。 記録端末に、薄い反応値が表示されていた。


 かなり弱い。

 ここに何かが残っている。


 だが、それが誰のものなのか、何のものなのかは分からない。


「少し範囲を広げます」


 俺は言った。


 赤い電話跡と思われる位置を中心に、半径数メートル。


 歩道側。

 駅側。

 路地側。


 植え込みの脇。

 ビルの入口。


 少しずつ移動しながら、シャッターを切っていく。


 一枚。

 二枚。

 三枚。


 反応なし。


 弱反応。


 また反応なし。


 御手洗が後ろで腕を組む。


「これ、全部調べるのか」


「必要なら」


「手間かかるな」


「二回目です」


「二回言いたくなるくらい手間だ」


 光咲はスマートフォンで現在の位置を撮りながら、俺の動きを見ていた。


「でも、点をつないでるんですよね」


「はい」


「赤い電話の前に反応があって、そこからどっちへ伸びるか見る」


「その通りです」


「探偵っぽいです」


「探偵です」


「今日は忘れてません」


「それは良かったです」


 御手洗が笑った。


「何なんだ、その会話」


「通常です」


「やっぱ変だわ」


 俺は次の地点に立った。


 赤い電話跡から見て、路地へ入る入口。


 昨日の聞き込みでは、当時も細い道が一本あったという。今はビルの隙間に残る通路のようになっている。


 人通りは少ない。

 駅前の明るさが、少しだけ遠のく。


 俺はレンズを路地へ向けた。


 シャッターを切る。

 短い電子音。


 画面が一瞬、乱れた。

 直後、記録端末が低く鳴る。


『残響写真 一件保存』


 候補フォルダーに、画像が一枚追加された。


 俺は画面を開く。


 現在の景色とは違う、ぼやけた影が映っていた。


 色は薄い。

 輪郭は崩れている。


 だが、赤いものが見える。


 電話。


 その前に、誰かが立っている。


 顔までは分からない。

 制服のような白い襟。


 細い肩。

 少女に見える。


 光咲が、息を止めた。


「これ……」


「まだ断定できません」


 俺はすぐに言った。


「美咲さん本人とは限りません。この場所に残った別の残響である可能性もあります」


 光咲は、画面から目を離さなかった。


「でも……」


「可能性はあります」


 俺はそれだけ言った。


 御手洗も、さすがに黙っていた。


 俺は画像に記録番号をつけ、候補フォルダーへ保存する。それから、同じ地点で角度を少し変えた。


「もう一度撮ります」


 シャッターを切る。


 電子音。


 今度は、端末がすぐに反応した。


『残響写真 三件保存』


「おい」


 御手洗が声を上げた。


「なんか増えてるぞ」


「見えています」


 さらに角度を変える。


 シャッター。


『残響写真 七件保存』


 端末の反応値が跳ね上がった。


 赤い電話跡よりも。

 歩道よりも。


 この路地の入口の方が、明らかに強い。


 光咲が、画面を見つめたまま言った。


「九藤さん……これ、かなり出てませんか」


「出ています」


「強いんですか」


「かなり強いです」


 御手洗が低く呟いた。


「お前がかなりって言うなら、相当だな」


 俺は答えなかった。


 端末内の候補フォルダーには、すでに十枚を超える残響写真データが保存されていた。


 赤い電話。

 少女らしき影。

 路地。


 振り返ったような輪郭。

 そして、黒い影。


 それが人なのか、残響の乱れなのかは、まだ分からない。三十二年前の何かが、この場所に濃く残っている。


 そこまでは、もう否定できなかった。

 赤い電話の跡から、路地の入口へ。


 点は、繋がり始めている。だが、それが救いに向かう線とは限らない。


 三十二年前の夕方。


 篠宮美咲さんは、赤い電話を離れたあと、この路地へ向かったのかもしれない。


 そして、そこには。


 何枚もの残響写真を残すほどの何かが、あったに違いない。

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