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『やっほー、流くん。今日も来たよ』
そう言って、ノックをすることもなく『僕』の部屋に押し入ってくる女の子に、思わず眉を顰めた。
『入る時くらいノックしてよ』
『えー?いいじゃん。階段上がる音で誰が来るって分かるんでしょ?』
『そうだけどさぁ』
確かに、『僕』は生まれつき耳が異常にいい。
不登校でも学校の授業やクラスメイトの会話が聞き取れてしまうほどだから、階段の足音で誰か判別するのは朝飯前だ。
その性質を知って気味が悪いと思われるより、コイツのように遠慮なく利用してくるほうが気が楽なのも本当。
だけど、それはそれ、これはこれじゃないだろうか。
納得できない『僕』に構わず、彼女は我が物顔でその辺のクッションに腰掛け、慣れた様子で『僕』の耳を塞ぐ。
『僕』がこの耳のせいでまともに学校に行けなくて、結果不登校。
そんな『僕』にプリントを届けに来たコイツは、『僕』が休んでる理由を知っても『すごい凄い』と目を輝かせるばかり。毎日『僕』にプリントを届けに通い続けるし、こうして『僕』が少しでも体調がマシになるように、入る音が少なくなるようにしてくれる。
本当に変なやつだ。けど、まあ、……悪くない。
『で?今日もまた何かわからないことでもあったの?宿題手伝うとか?今日は確か円周率じゃ無かったっけ』
最近は専らそれが理由で来るので、今日も同じように聞いてみる。
『そう!その通り!円周率ってなんなのかさっぱりでさー、えへへ。……じゃないよ!?』
最初こそノリノリで頷いていた彼女は、意外にも最後に否定してきた。
『違うの?』
『違わないけど、えっと、』
珍しく少し緊張している様子の女の子は、やがて、『やっぱ一緒に学校行きたいなって思うんだ』と言った。
『無理だよ。あんな爆音の嵐、すぐぶっ倒れる』
『私もそう思う。ここなら兎も角、学校だと私もずっと耳栓できないから……』
『じゃあ、この話はなかったことに』
『けど、けど!私なりに、いい方法を考えてきたよ!』
『僕』の言葉を遮った彼女は、『僕』の耳栓を一旦止め、自分が背負ってきたランドセルを漁る。
そこから出てきたのは、ヘッドホンだ。
『じゃーん!はめてみてよ』
『あのさぁ……』
『要は耳を塞げばいいんでしょ?耳栓よりヘッドホンの方が流くんに似合うし、かっこいいと思ったし。何よりこのヘッドホンはちょっと凄いんだからね。ほら、早く、早く』
『わかった、分かった』
あまりにもこいつが急かすから、『僕』は仕方なくそのヘッドホンをつける。
……入り込んでいた音が、きれいさっぱり無くなった。
いや。若干音は残ってるけど、全然頭が痛くない。
目を見開く『僕』に、彼女は『いいでしょー、完全遮音性のヘッドホン!』と誇らしげに笑う。
『完全遮音性?』
『そ。完全遮音性。昨日買い物してたらいいのを見つけちゃって。流くんなら、完全遮音性のヘッドホンをしたままでも人と会話くらいできるでしょ?というか今できてるし。私、天才だよねー』
『……そうか』
どこか、心做しか、胸が温かかった。
『ノイズ』が聞こえない。耳鳴りがしない。
それがどんなに嬉しいことか。こいつは多分あまり分かっていない。『僕』と一緒に学校に通いたいという、ただそれだけでこんなものを贈ってくれたのだから。
たしかに、天才かもしれない。
『じゃあ教えなくても円周率くらい分かるよな?』
『えっ、困る!お願いだよ流えもんー!』
『僕は未来のネコ型ロボットじゃない』
ただ、素直になるのは照れ臭くて、『僕』はそう言って流した。
結局。
毎年、この完全遮音性のヘッドホンは贈られた。
……高校一年の夏、こいつが死ぬまで。
☆☆☆
懐かしい夢を見た。走馬灯かもしれないが。
目が覚めると知らない天井……なんて事はなく、今まで何度も拝んだ、自室の天井だった。
ベッドに寝かせてくれるとか、殺し屋のくせに無駄に優しい。
……いや、それにしてはやけに天井が遠いな?
相も変わらず耳に雪崩れ込んでくる音の洪水の中、さわ、と髪を撫でる音、頭に感じる人肌のような温かさと柔らかさを感じる。
「あっ、起きた!」
その声と共に視界の横からヒョイと顔を覗かせる殺人鬼。
「うひゃい!?」
思わず飛び起きる。
コイツは反射神経もいいらしい。ヒョイっと後ろに仰け反ってオレの頭を避けていた。ぶつかった所でオレがノックアウトしていただけだろうが。
いや、そんなことより。
状況把握よりも先に、首から外されていたヘッドホンを拾って装着する。
今まで鼓膜をビリビリと破れそうな程に震わせていた音の嵐はピタリと止み、オレはやっと一息ついた。もう頭は痛くないし、倒れることもない。
目下の問題はこれで解決した。
次は状況把握だ。
オレは、奴がどこの所属の何者なのかを聞き出したい。
推測の域を出ないが、恐らくこの連中は『国家権力』だ。それも通報を揉み消すレベル、警察より上の立場。
……公安とか?
「ながれ。このヘッドホン何?」
そう思った矢先から少女が質問してくる。
オレが『本命』だったんだから、そりゃあ名前くらい知ってるよな。
つまり隠したってしゃーない。オレは素直に答えた。
「この無駄に良い耳のせいだよ。これが無きゃ、頭が痛すぎてさっきみたいにぶっ倒れる羽目になる」
「じゃあ大事なものだね。ヘッドホンしてるながれもかっこいいよ」
予想外の返答に唾を飲んだ。
『ヘッドホンしながら会話するなんて変なやつ』みたいなことを言われると思ったのに。
『あいつ』みたいなことを言うんだな、こいつ。
……いや、感傷に浸ってる場合じゃない。
「マジでお前らは何者なんだよ?通報しても揉み消したり、なんかオレの名前とかこの耳とか、色々知ってるし。只者じゃないだろ」
「うん?あたしはあたしだよ?」
「そうじゃなくて」
そうだった。
こいつ、『諜報部長』とのやり取りからしてアホ脳筋だった。イコール話が通じない。
話が通じない殺人鬼とか嫌すぎるだろ……とげんなりする中、トランシーバーが一瞬のノイズの後に声を発した。
『はぁぁぁぁぁ……ただ今戻ったわ。本当に疲れた……本部との交渉、しんどすぎでしょ……首、繋がってるわよね?』
「あっ、ふうちゃん」
『ふうちゃんじゃなくて諜報部長……』
いつものツッコミも力がない。『本部』との交渉は相当に骨が折れる仕事だったようだ。
何を交渉したのかはさっぱりだが、そうだなぁ……オレの延命とかか?
まあいいや。お疲れのところ悪いが、オレの状況把握に付き合ってもらおう。
本来、殺されるなら状況把握とかどうでもいい。
だが、寝てる間に何も攻撃されなかったあたり、ガチでこの殺人鬼はオレを殺したくなくなったらしいし。
……それに、さっきの夢のお陰で思いついた仮説がある。
「諜報部長とやらに聞きたいことがある」
『……はぁ。いいわよ、別に。頭使うの疲れたから簡単な質問にしてよね』
意外とすんなり受け入れて貰えた。
『本部』との交渉の成果か?
「通報を揉み消すだのオレのことを色々知っていたりだの、どうも只者じゃないよな。国家権力……公安あたりと見たが、実際はどうなんだ?」
『へー。なかなかいい線行くじゃない。終了命令さえ無ければ『監視官』とかに勧誘したかったわ』
また新しい単語が出てきた。
『監視官』?なんだそりゃ。
諜報部長は続けた。
『当たらずとも遠からずね。この脳筋暴力バカしか前線にいないのに、よくそこまで推察できたわね』
「いや、トランシーバーでのやり取りを聞いてたし」
『ああ……もっと人材に欲しくなったわ……』
トランシーバーの向こうの彼女はそうぽつりと漏らして咳払いをした。
『私たちは『救』専属の治安維持組織『害』。主な活動内容は『諜報』『掃除』ね。その『諜報』分野の責任者が私で、『掃除』分野のエースがそこのバカ、東雲望愛』
「なるほど、『救』専属」
そりゃあ通報なんか簡単に揉み消せるか。
公安よりも腑に落ちた。
『救』。
二十年ほど前に『トリガー』なる戸籍管理システムの技術を公開してはあっという間に世間に普及させ、今では支持率99.9パーセントを誇る圧倒的な与党だ。
『トリガー』を推進し続け、今ではごく一部の特権階級を除く全国民が『トリガー』の装着を義務付けられているほどにその影響力が強い。
そこの特務機関が『害』とやらで、この殺人鬼少女……東雲望愛や『諜報部長』が所属している組織。
『諜報』分野の構成員のことを『監視官』と呼ぶのだろう。多分。
説明された内容を咀嚼し終えたオレは「で?」と切り出した。
「そのお偉いさんの手足が、これまたどうしてオレ如きの殺しに拘るんだ。オレが『本命』って言ってたよな?」
『耳が良いから』
「はぁ?」
『耳が良いと、私たちにとって不都合なのよ』
「はぁ……?」
その『耳がいいと不都合』な理由と、どう不都合なのかを知りたいんだが。
答えてくれないなら仕方ない。別のことを聞いて、そこから推理するしかないか。
「じゃあ、なんで急にそんなペラペラと情報を落とすんだ?標的には普通何も教えないもんだろ」
『違うわ。情報は敵に秘匿すべきだけど、確実に『終了』するという責任を持てるならその限りじゃない』
「さてはアンタも大概脳筋だな???」
要するに『死人に口なし』。
人のこと言えないだろ、この諜報部長。
というかそんな脳筋が諜報部長をしてて大丈夫か?この組織は。
諜報部長は続ける。
『東雲は『執行官』……まあ『掃除』分野の人なんだけど、お察しの通りバカ過ぎて誰も制御できなくて。前任者も匙を投げたから、仕方なく私が相方をするくらいやりたい放題なの』
「へー。実際、組んでみてどうなんだ?制御は出来てるのか?」
『できてるように見えるなら相当おめでたい視覚だから、眼科の受診を本気でお勧めするわ。頭の病院でもいいけど。……お陰で胃薬がどんどん消えるのよ』
「あー。悪い、ご愁傷様」
諜報部長とは顔を合わせたことが全くないが、ありありと、東雲に振り回されている光景が目に浮かんだ。
アーメン。
『それで。この街でも随分と暴れてくれちゃったから……それにほら、警察の通報まで揉み消してるせいか、『真似しとけば捕まらない』と思ってるのか、模倣犯まで出てくる始末』
「え、」
巷で噂の連続殺人鬼とは別人だったのか。
東雲が元凶なことに変わりは無いが。
『せめて命令を遂行してくれたら問題なかったんだけど、命令無視されたし。独りで帰らせようものなら、もっとトラブルを起こすなんて目に見えてるし』
「そうだな」
オレもそう思う。
帰り道で東雲が何も仕出かさないとは全く思えない。
『そうでしょ?だから、代わりの人材をよこすまでそのバカ、そっちで面倒見てくれないかしら』
「……え、」
今サラッととんでもない提案された気がする。
思わずフリーズしていると、横からズイっと東雲がトランシーバーに顔を近付けた。
「ふうちゃん、天才!あたしもそれがいい!」
喜色満面にそう言ってキャッキャと喜ぶ東雲に『ふうちゃんじゃなくて諜報部長ね』ともはや恒例のツッコミを入れた諜報部長。
おい、今『よし』って小声で聞こえたぞ。監視目的ついでに胃痛の原因をこっちに押し付けたかっただけだろ。
『じゃ、そういうことだから。よろしくねー』
「いや、オレはまだ何も……おい?おーい!?」
それっきりトランシーバーはうんともすんとも言わなくなってしまった。
「やった!ながれ、二人きりだよ〜」
腕に抱きついて頬擦りしてくる東雲を他所に、オレはフゥ、と息をついた。
そういや、結局意識が飛んだせいで『しののん』の配信はほぼ見れてないな。後でアーカイブでも見返そう。
この殺人鬼?とひとつ屋根の下で生活する羽目になったのも、この際どうでもいい。絶対気が休まらないし、配信視聴も全然集中できなさそうだし、そもそもこいつは何を仕出かしてくれるか皆目見当もつかないが、いいったらいいんだ。その時のオレが頑張って考えよう。
それよりも、今最優先ですべきこと……それは。
離れずべったりくっついている東雲を若干引きずりながらデスクの前まで寄り、パソコンを操作する。
ネット通販サイトを開いて……お、あったあった。
胃薬、ポチッとな。




