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気づくと、懐かしい所にいた。
夕方の高校、放課後の教室。その中央にオレは佇んでいる。
数年ぶりだ。『アイツ』が死んで、オレが高校を中退して……それっきり、全く足を踏み入れることのなかった場所。
学校に通ったのは『アイツ』がいたからで、それ以上でもそれ以下でもなくて……ここにいると、『アイツ』の音を二度と聞くことがないという現実を突きつけられるような感覚だったから。
どうしてこんな所に、と辺りを見渡して、
……息が止まる。
開け放しになっている窓から、夏風がびゅうびゅうと吹いている。その風にカーテンが揺れる。
そして、西日が差し込むその窓を背にして、人が立っている。
逆光になっているが、見間違えるわけがない。
『アイツ』だ。
ずっと、ずっと、見たくて、声が聞きたくて、会いたくて仕方がなかった『隣人』。
この度、テロ事件で壊れてしまったヘッドホンの『贈り主』。
初めて、オレの『耳』を受け入れてくれた『幼馴染』。
ヘッドホンは毎年贈ってくれたし、本来の用途で使うことがない以上、そんな滅多に壊すものでもない。だから予備なんて沢山あるけれど……それでも、大事にしていたヘッドホン。そのうちの一つを壊されたことは、覚悟していたとはいえショックだった。
……それを、責められるのだろうか?
いや、『アイツ』はとんでもないお人好しだ。
オレなんかに好意を向けるもの好きだ。
最近、また、オレなんかに懐いて、ついには上に逆らってまでオレの殺しを止めてしまった『お人好し』に出会ったが。
何はともあれ、そんな『物好き』なのだ。
責めることは無いだろう。
……本当に?
『幼馴染』は、口を開いた。
『豁サ繧薙§繧?▲縺溘?縺斐a繧薙?』
……聞き取れない。
確かに、声は聞こえている。
なのに、どうしてだろうか。
ノイズだらけで、肝心の内容が理解できない。
『縺輔h縺?↑繧峨?縺励h縺」縺?』
『幼馴染』はまた口を開くーーー聞き取れない。
彼女は微笑む。
哀しそうに。
切なげに。
憐れむように。
そして、彼女が髪を払った瞬間ーーー彼女の姿が、急に遠ざかる。
待ってくれ。
手を差し出す。届かない。
腕を伸ばす。届かない。
彼女の姿目掛けて追いかける。届かない。
なぁ、頼むよ。
お願いだから、どうか、
往かないでくれ……っ!
☆☆☆
ガバッ、と身を起こすと、そこは見慣れた部屋……自室だった。
冷や汗でぐっしょりとシャツが濡れていた。
はぁ、はぁ、と息が荒れている。
ヘッドホンが床に雑に捨て置かれているのを一瞥し、頭がズキズキと痛むのをそこでやっと自覚し、とりあえずヘッドホンを拾って……装着はせず、ただデスクの上にそっと置いた。
また、少ししたら意識が飛ぶだろう。
……とにかく、今は何も考えたくない。
テロ事件から、数日が経った。
オレが寝ている間に東雲はオレを連れ帰ってくれたらしい。直ったパソコンもデスクに置かれていたから、それも持ち帰ってくれたみたいだった。
……ただ、東雲の姿はそこになかった。
そうだよな。『害』からしたら、東雲の模倣犯とかいう目の上のたんこぶのような案件が解決したんだ。『問題児』の東雲をさっさと回収するに決まっている。
終いには、テロ事件中に諜報部長から、事件解決後に目を通すように申しつけられたあのメールこそ、東雲は回収されたのだと理解するに充分な証拠だった。
『任務ご苦労さん。
東雲は任務完了を確認次第、すぐに回収するわよ。
というのも、代わりの人員の配置が完了したから。
……本件、実に参考になったわ。東雲の手綱の握り方をよく理解できた。有難くその情報を活用させていただくわね。
さて、とはいっても、貴方に何も報酬を差し出さないのはあまりに芸も品も、情すらない。
貴方の精神衛生や環境などをプロファイルした結果、貴方に相応しい報酬は『時間』と判断したわ。
命に執着が無い。故に、名声も、富も、権力にも惹かれない。心を開いているようで、心を閉じている。
それなら、時間を与えたところで逃亡の恐れはない。
だから、1週間の猶予をあげる。
精々、余生を謳歌なさい。苦しまないように終了するから、安心なさいな。
……まあ、アンタをプロファイルした印象からして、そんなこと考慮しなくても、勝手に『終了』してくれそうだけどね。』
最初は『静かになった』と思って、落ち着いた生活をしていた。
前と変わらず、『しののん』の配信を見てコメントして、配信が終わったら掲示板で布教したり、ゲームしたり、適当に飯を食って腹にものを入れたり。
今更働く気概も、学校に通い直す気力もない。オレみたいな『不適合者』が社会に馴染めるわけがない。ニート生活万歳。
そんな、今まで通りの生活をしていた。
それで満足できる。むしろこの生活を待ち望んでいた。
……その、はずだったのに。
いつからだろうか。
『しののん』の配信じゃ、満たされなくなったのは。
いつからだろうか。
心地よかったはずの『静寂』が針のむしろのように感じるようになったのは。
今では、『しののん』配信開始から長らく止めていた悪癖……『ヘッドホンを外して無理やり意識を飛ばす』習慣を再開してしまっている。
言葉通り、ヘッドホンを外して、音が聞こえる量を多くして、無理やり意識をシャットダウンする行動。
これさえすれば、その後も数日間は、無意識に起きて、無意識に寝るの繰り返しになり、意識とか記憶が飛び飛び、ぐちゃぐちゃになってくれる。多分意識が落ちてからも暫く遮音なしで音に晒されたらこうなるんだろう。ヘッドホンを貰う前は、度々こういうことがあったし。
まあ、いい時間稼ぎ、暇つぶしだ。
昔は、こうすることで現実逃避をしていた。
俗に言う、リストカットと同じような気分、と言うのだろうか。
今回もそれをやって無事に意識が消えて、……スマホを確認した限り数日間は意識が寝てて……あんな夢を見て目が覚めたのだった。
ただ、単純に『ノイズ』に溺れたかった。
いっそ、そのまま窒息して死ねたら良かった、なんて思うのは大仰だろうか。
だが。
決して戻らない『あの日』が痛くて。
誰にも触れられたくなくて。
そんな『あの日』を思い出すような、叶わない夢を見るのなら。
それならいっそ、掠れた過去を抱いて、醒めない夢を見たかった。
そう思うのは、傲慢なんだろうか。
「……ああ、」
ずっと尾を引いて止まない頭痛に頭を抱えた。
実に……実に、つまらない人生だ。
オレは無駄に耳がいいだけ。
耳がいいだけじゃ何も出来ない。
こんな『ノイズ』だらけの世界で、肩身が狭い思いで生きていくだけの、どうしようもないヒキニート。理由がなくて、価値がなくて、腐ることしか出来ない。
諜報部長のメールの言葉が脳裏を過ぎる。
『まあ、アンタをプロファイルした印象からして、そんなこと考慮しなくても、勝手に『終了』してくれそうだけどね』
ああ、全くもってその通りだ。
一々別の誰かに終わらせてもらわなくても、オレはもうこの世に……いや、オレ自身にうんざりだった。
だから。
デスクの引き出しから、カッターを取り出す。
刃渡り数センチ。高校を中退した帰り、なんとなく寄った百均で購入した。東雲が襲撃に来た時に迎撃のために構えたものの、その役割を果たすことはなかった。
そういう訳で、結局引き出しに眠っていたソレ。
やっと『使う』機会が訪れた。
使っていないだけあって、切れ味はまだ良さそうだ。
ゆっくりと、刃先を自分の首へ向ける。
震えを誤魔化すように、両手でしっかりと持つ。
そして。
そして、今一度力を込めて、カッターを、
「だめだよ」
そっと、カッターを持つ手に、手が添えられた。




