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第7章 崩れる仮面

浩史は混乱していた。

あの電話以降、警察の目が自分を訝しんでいるのを感じた。

昨夜まで“完璧”だったはずの計画が、どこから狂い始めたのか――

考えれば考えるほど、胸の奥がざわついた。


(どうすれば……)


そのとき、玄関のチャイムが鳴った。


ピンポーン。


警察が立ち上がる。


「城戸さん、誰か来ましたよ」


(まさか……犯人……?いや、そんなはず……)


浩史は震える手で玄関へ向かった。


ドアを開けると――


そこには、隣の家の孫娘が立っていた。


(確か名前は……遥とか言ったか…タイミングが良すぎる…まさか…)


想定外のことが続いていたため、浩史は警戒した。


「すみません、ここに、富田さんっていう刑事さんがいらっしゃると思うんですが…」


「いま、立て込んでいるんだけどな」


「大切なことなんです」


遥が必死に頼んだ。


「まあ、いい。いま呼んできてあげよう」


「ありがとうございます」


頭を下げる遥を玄関先に残し、浩史は一度家の中に入ると富田を連れて戻ってきた。

遥は富田に話があるといい、玄関先のアプローチで話し出した。

浩史は中へは戻らずにいた。


「うちのおばあちゃんが、帰って来てなくて…」


(徘徊老人の相談か……)


小耳にはさんだ話に浩史は警戒を解いた。


「分かったよ」


富田が遥の肩を叩き、諾の意を示した。

遥はペコリと頭を下げて帰って行った。


「大変ですね、刑事さんも」


「そうですな、本当に、いろいろと…」


富田は疲れたように言った。





浩史は警察の目を盗み、車を走らせていた。

港の倉庫街は、夜明け前の薄い光に包まれていた。

海風が吹き抜け、錆びたトタン壁がカタカタと揺れる。

その中を黒いセダンが猛スピードで滑り込んだ。

車は鍵が壊れたままの古い倉庫の前で、キキーッという悲鳴のようなブレーキ音を立てて停めた。

ハンドルを握る浩史の顔は、蒼白を通り越して灰色だった。


(おかしい……全部おかしい……!犯人は勝手に電話してくるし、麻由子は犯人と話してるし、警察は怪しんでるし……!)


スマートフォンが震えた。


《ユリカ:今日、会える?♡》


「会えるかぁぁぁ!!」


怒鳴りながらスマートフォンを投げ捨てようとして、最近、新機種にしたことを思い出した。

忌々しそうにスマートフォンをポケットへ乱暴に突っ込む。

車を降り、浩史は倉庫の扉を乱暴に開けた。


ガラガラガラッ!


「麻由子!!」


叫びながら中へ踏み込んだ瞬間――

浩史は固まった。


そこには、訳の解らない光景が広がっていた。

智恵がタッパーを抱えて座り、由香が腕を組んで仁王立ちし、海斗が正座し、遥がペットボトルを握りしめ、そして麻由子が静かに立っていた。

全員が、こちらを見ている。


(なんだこの状況……!?誘拐犯はどこだ!?なんで全員そろってんだよ!!)


「唐揚げ食べる?」


智恵がタッパーを差し出した。


「食べるかぁぁぁ!!」


浩史は叫んだ。

海斗が小さく手を挙げる。


「僕は……食べました……」


「だから何だ!お前は……えっと……誰だ!!」


倉庫に怒声が響く。

その怒声を、麻由子の静かな声が切り裂いた。


「浩史さん」


浩史はビクリと肩を震わせた。

麻由子は、もう怯えていなかった。

その目は、長い夢から覚めた人のように澄んでいた。


「どうして、私を誘拐して…消そうとしたの?」


浩史の顔が引きつる。


「ま、麻由子……何を言っているんだい?おかしなことを言うもんじゃないよ…君、疲れてるんだよ。こんなところにいたから……ほら、帰ろう。家でゆっくり――」


「私はおかしくも、疲れてもないわ。おかしいのは、あなたの方だわ」


麻由子は一歩、前に出た。


「…ねえ、私がここにいることを……どうして知っているの?」


浩史は目を見開き、口を開いたが、声が出ない。

その沈黙を破ったのは、由香だった。


「そうだねぇ。あたしも聞きたいねぇ」


由香は腕を組み、ゆっくりと浩史に近づく。


「犯人しか知らないはずの“場所”を、なんであんたが知ってたんだい?」


浩史の顔から血の気が引いた。


「そ、それは……えっと……」


「言ってごらんよ」


智恵がタッパーを持ちながらニコニコしている。


「僕よりしどろもどろですね……」


海斗がぽつりと言った。


「さっきからいちいち何だ。お前は誰だ!!」


「僕、ネットであなたとやり取りした者です…」


「なっ!?馬鹿な。なんでいるんだ!?麻由子をここに監禁したら居なくなる筈だろう!?」


浩史は叫んだ。

その叫びは、もはや余裕の欠片もなかった。


「俺は……悪くない!悪いのは……えっと……犯……いや……その……!」


自分で“犯人”と言いかけて、慌てて口を押さえる。

由香が冷たく言った。


「自分で言っちゃったねぇ」


その瞬間――

倉庫の奥から足音が響いた。


コツ、コツ、コツ……


「……興味深いですな。続けてください」


富田警部補が姿を現した。


「あなたの“計画”の話をね」


浩史の膝がガクガクと震えた。


「な、なんで……ここに……」


由香が顎で遥を指した。


「遥がね、あんたの家に行った時、警察に話したんだよ」


遥は小さく頷いた。


浩史は崩れ落ちた。


「ま、待ってくれ……俺は……俺は……麻由子を……愛して……」


「私はもう愛してない…」


麻由子の静かな否定。

倉庫が静まり返る。

浩司のポケットからスマホの着信音が聞こえた。

由香が言った。


「愛人からの通知なんじゃないかい?」


「ち、ちが…ま、麻由子、待ってくれ!ちょっとした誤解だ…な、話し合おう、二人でゆっくりと」


麻由子が首を横に振った。


「麻由子っ!!」


浩史の叫びが、虚しく倉庫に響いた。

富田警部補が手錠を取り出す。


「城戸浩史さん。あなたを殺人未遂および誘拐教唆の疑いで――」


「いやだぁぁぁ!!」


浩史は泣き叫びながら連行されていった。

その背中を、麻由子は静かに見つめていた。


「……さようなら、浩史さん」


その声は、どこまでも静かで、どこまでも強かった。

由香が大きく伸びをした。


「さて、帰って朝ご飯にしようかね」


智恵がタッパーの入った特注の巨大保冷バッグを持ち上げる。


「唐揚げ、まだ残ってるよ」


「朝から唐揚げは…胸やけするから嫌だよ」


由香が顔を顰めた。

それを聞いた智恵は、由香を窘める。


「何言ってるのよ。まだ、六十代じゃないの。年金も貰ってないのよ。唐揚げの一つや二つ食べなくてどうするの」


「朝はあっさりといきたいんだよ、あたしは」


「そんな、年寄りみたいに……」


「もう、十分に年寄りだよ」


二人言い争いを止めることもできずに海斗がおろおろとしている。

海斗が意を決したように手を挙げた。


「僕……食べていいですか……?」


「お食べ、お食べ。そうだ、玉子焼きも作ろうかね」


ころっと智恵の上機嫌になる。


「はい」


嬉しそうに返事をする海斗に遥はため息をついた。


「誘拐犯が一番元気だよ……」


「お待ち、智恵!」


由香の鋭い声がした。


「智恵、玉子焼きに使う卵は六個だからね。いつものように六十個使うんじゃないよ」


ご機嫌な智恵に由香が釘を刺す。


「料理は大量に作ってこそ料理。そんなぽっちじゃ料理じゃないじゃないか」


「あんたは一般家庭の人間なんだ。業者じゃないんだ」


また由香と智恵は言い争いだした。

遥の横にたっている麻由子がふっと笑った。

力の抜けた柔らかい笑みだった。


「私も一緒に、朝ごはん食べていいですか?」


倉庫の外には、朝日が昇り始めていた。

明日のエピローグにて、完結となります。


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