第11話 総理、帰る
一連の犯行が山中の仕業と判明し、山中は逮捕拘留された。
マスコミの喰いつきは早く、ワイドショーやニュースを賑わせていた。
その夜の食卓はいつにも増して大量の料理が並んでいた。
置くところがなくなったので簡易テーブルまで出ている。
から揚げ、玉子とジャガイモのマカロニサラダ、野菜のフリット、こんにゃくとごぼうの煮物、ほうれん草の白和え、鯵の南蛮漬け、茶巾寿司。すべて大皿に盛られていた。
「また大量……智恵さん、考えようよ……」
遥は胃薬の残量を確認した。
智恵はエプロンを外しながら、にこにこと
「若い子がなにを言ってるの。たくさん食べなきゃ、大きくならないよ」
「もう、成長期は終わってるからね、私も海斗君も」
「僕、まだまだ成長します!」
「いや、海斗君、現実を見よ?」
由香はその様子をビールを飲みながら見ていた。
由香の向かいには神崎が座り、神崎の横には富田が座っている。
神崎の前には一口分のビールが入ったグラス。グラスの内には炭酸の細かな泡と消えそうな白い泡。水滴がグラスを伝って下に流れた。
「富田さん、あんたも飲みなよ」
と由香はビール缶をし出した。
「い、いえ、勤務中ですので‥‥‥」
そう言いながら、富田は羨ましそうな顔をしていた。
富田の顔には”飲みたい”と書いてある。
由香と神崎はくすりと笑った。
「富田さんだっけ?ここにいるのは、ただの神崎 孝一だから。飲んでいいよ」
「そうだよ。ここには、ただの幼馴染みがいるだけさ」
由香の言葉に神崎が笑む。
「さあ、コップ出しな」
「そ、そうですか?」
富田がおずおずとグラスを持ち上げた。
トクトクと琥珀色の液体がグラスに満ちていく。傾けたガラスの斜面をなめらかに滑り落ちるビールは、またたく間に豊かな白い泡を押し上げていった。
「うわ、綺麗……」
神崎から感嘆の息が漏れる。
黄金色と純白が「七対三」の完璧な黄金比率を描いたところで、由香が
「はい、お疲れさん」
と缶を引き上げた。
我慢の限界と言わんばかりに、富田はグラスを口元へ運んだ。
喉を鳴らして一気に流し込む。
キンと冷えた炭酸が弾け、ホップの爽やかな苦味が、日中の勤務で凝り固まった身体にじんわりと染み渡っていった。
「……ぷはっ! 生き返ります……!」
グラスを机に置いた富田の顔は、先ほどまでのガチガチの緊張が嘘のように弛緩していた。
それを見た由香と神崎は、顔を見合わせて満足そうに声を上げて笑った。
窓から見える庭は青白い月明かりに照らされ、昼間とはまるで別世界の様相を見せていた。
開け窓からは夜気を含んだ風が流れ込み、カーテンの裾を揺らす。
腕を組んで窓辺に立つ由香とひと一人分離れたところに座っている孝一は同じ方向を見ている。
「綺麗だね……」
目を細めて神崎が独り言のように呟いた。
その声は、遠い記憶を探るような響きがあった。
由香は何も返さない。
月に照らされている庭をただ見ていた。
その沈黙は気まずさではなく、むしろ昔からそうだったような自然な雰囲気だった。
神崎が庭に目を向けたまま
「……あの時も、こんな月が出ていた……」
由香の肩が僅かに揺れる。
「覚えてないよ」
そっけない言葉は微かな震えがあった。
神崎が小さく笑う。
少しの痛みとほろ苦い懐かしさが混じった笑みだった。
「いつもそうだ。由香さんは、都合が悪くなったらそう言うんだよ。知ってた?」
「知らないよ」
少し強い口調。
けれど、それは拒絶ではなく、”思い出したくない優しさ”に近かった。
神崎の声に出さない笑み。
夜の風が流れ込み、二人の間を通り抜けた。
神崎は少しだけ息を吸い、言葉を選ぶように続けた。
「ここにいると……思い出すんだ。いろんなことを……良いことも……そうじゃないことも」
由香は目を細めた。
月明かりがその横顔を淡く照らす。
「昔の話だよ」
短い言葉。
だが、それは忘れたふりをしている人の声だった。
遥はキッチンに続く場所から由香と神崎を覗いていた。
間に入れない雰囲気。
(……幼馴染み……なんだよね……?)
遥はキッチンの流しにいる智恵の側に近寄った。
智恵は洗い物を終えた手を流し台のフックに掛けられているタオルで拭いていた。
「ねぇ、智恵さん」
「何?」
「おばあちゃんと神崎さん、ただの幼馴染みなんだよね?」
「あら、どうして?」
「う~ん、何かちょっと違うような気がするんだ……」
「ふふふ……遥ちゃん、みかん入りの牛乳寒天食べる?」
智恵が冷蔵庫を開け、巨大タッパーを取り出した。
蓋を開けて、遥に見せる。
「えっ、お腹いっぱいだよ」
「デザートは別腹というよ。ほら食べよう?」
「いらないからっ!」
月明かりに照らされた庭の木を見つめながら、神崎が言った。
「終わったね……」
「……ああ、終わったね……」
「由香さん」
神崎の呼びかけに、由香がようやく神崎の方を振り返った。
「ありがとう。明日、帰るよ」
「そうかい」
由香の声は淡々としていたが、僅かな寂しさが滲んでいた。
神崎はその寂しさに気づいたのか、気づかないふりをしたのか、どちらとも取れた。
「……また、どうにもならなくなったら、帰っておいで」
由香のその一言は、別れを拒まない強さと、受け入れる優しさの両方を含んでいた。
神崎は何か言おうとしたが、言葉にならなかった。
代わりに、ほんのわずかに微笑んで「うん」とだけ言った。
由香は何も言わず、口元に笑みを浮かべ、その微笑みを受け止めた。
そこには二人の間に残った”昔の気配”だけがあった。
墨染の空には白い月が浮かんでいる。
庭の木が夜風に揺れた。
その音だけが夜に溶けていった。
本日は19時のエピローグを投稿して、第2章が完了となります。最後までお付き合いいただけますように。




