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第10話 総理、犯人と向き合う



 家に帰って来た由香は眉を寄せて夕食を食べていた。

 アンティーク調のディテールが施された6人がけの食卓。

 テーブルの上にはいなり寿司、金目鯛の煮付け、里芋の煮物、わかめときゅうりの酢の物、きんぴらごぼうがあった。

 

「やっぱり、引っかかる……」


「おいなりさん、失敗しちゃったかねぇ」


 智恵がしゅんとなっている。


「そんなことないよ、智恵ちゃん!官邸のおいなりさんより絶対美味しいから」


 神崎が必死でフォローする。

 海斗も智恵を元気付けた。


「智恵さん、コンビニやスーパーとは全然違います。めっちゃ、美味しいです」


 海斗君、せめて回転寿司より美味しいって言おうよと遥はツッコミを入れたい。


「ああ、うるさいね。いなり寿司は、いつもの通りに美味しいよ」


「なら、なんでそんな表情してるのよ、おばあちゃん」


「なんだか引っかかるんだよ……孝一、スマートフォン貸しな」


「えっ?なんで?」


「鈴木さんに連絡をとるに決まっているじゃないか」


「……やだ……」


 神崎が駄々をこねる子どものような表情でそっぽを向く。


「帰らない」


「そうじゃないよ、ちょっと話すだけだよ」


「由香さん、そう言って何回も騙したよね」


「……孝一……一体いつの話だい、それ」


「つい、55年前だよ」


「あんた……いいからお出し!」


「……」


「おばあちゃん!?」


 由香の手が動きそうになったので、遥が腕に飛びついた。


「腕力に任せちゃだめっ!!」


「由香さん、総理を殴るとなると、いくらなんでも現行犯逮捕に……」


 神崎と由香を代わる代わる見ながら富田が言い難そうに言う。

 海斗が確信を得たと


「やっぱり、由香さん極妻だった」


「犯罪者!海斗君、おばあちゃんは極妻じゃないから!普通の高齢者だから!」


 食卓はもはや、収集がつかない状況になっていた。


 ガンッ!!


 テーブルを叩く大きな音――

 騒がしかった部屋がしんと静まり返った。


「ご飯だよ!!静かに食べようね!」


 智恵がにっこりと笑って言った。

 ごそごそと神崎や遥たちは大人しく席に座り直す。

 由香がこほんと一つ咳払いをした。


「そ、そうだね。悪かったよ。孝一、あたしが電話するのが嫌なら、あんたが鈴木さんに確認しな」


「ええっ……」


「孝ちゃん」


 智恵が神崎の名前を呼んだ。

 神崎が素直にスマートフォンを出した。


「由香さん、はい、スマートフォン」


「なんで電源が入ってないんだい?」


「GPSで居場所が分かっちゃうから」


「あんた、そんなとこだけはちゃっかりしてるんだから……ああ、鈴木さんかい?」




 駅から急な坂道を登ってきた山中は一軒の洋館の前に立っていた。

 この辺りは高級住宅街で洋館や大邸宅が建ち並んでいる一角だった。

 見晴らしのいい丘の上になっているために、眼下には港が見える。


(鈴木はもう駄目だ。政治家になれば、こんなところにも住める……)


 うっすらと漏れる笑みを隠して、山中はチャイムを鳴らした。

 ドアが開き、40代くらいの女性が出てきた。


(見たことがあるか……?)


 山中はそんなことを思いながら、挨拶をした。


「総理をお迎えに参りました。秘書の山中と申します」


「ああ、山中さんね。お一人で?」


「はい」


「そうかい……総理は支度がまだでね。上がって待ってくださいな」


「失礼します」


 山中は居間に通された。

 年代物の応接セットはアンティーク家具と呼んでもいい。


(部屋にある安物とは違う)


 山中はうっとりとソファーに指を這わせた。革の柔らかさを確かめるように、何度も撫でる。

 脳裏にソファーに座り、秘書から当日のスケジュールを聞く自分の姿が浮かんでいた。


「どうぞ」


 由香がコーヒーを勧めた。


「ありがとうございます」


「そういえば、鈴木さんは大変だったね」

「ええ。お気の毒に」


 山中は目を伏せた。


「犯人、早く捕まるといいね」


「そうですね」


「でもさ……」


 由香はコーヒーカップを持ち上げ、


「卑怯な犯人だよ」


 山中の指がぴくりと動く。


「そういえば、愉快犯も可哀想にね」


「えっ?」


「いやね、愛人の架空請求も豪遊のことごとく反論されてからさ」


「……」


「仕掛けるならちゃんと調べなきゃあね。詰めが甘いと思わないかい、山中さん」


「そうですか?」


「そうだよ」


(なにが『そうだよ』だ。何も分かってない女が……)


 山中は無意識に足を小刻みに動かしていた。

 由香はコーヒーを一口飲む。


「そういえば、鈴木さん、殴られたんだってね」


「ええバットで殴られたんですよ」


 山中の台詞に由香が目を眇めた。


「そうかい。バットね……そうなのかい?富田さん」


「何を……」


 仕切りが開き、厳しい表情をした富田が入ってきた。

 富田は山中の傍までくると、警察手帳を提示する。


「山中さんでしたか?少しお話をお聞きしたいですな」


「お話をすることはありませんが」


 山中は両手を握り締めてた。


「山中さんにはなくても、警察(こちら)にはあるんですよ。凶器がバットだ言うことは、犯人と被害者である鈴木さん、それにここにいる人たちしか知らないんですよ」


 富田が山中の方に手を置いた。

 山中憎しみのこもった形相で富田の手を払いのける。

 由香を睨みつけた。


「嵌めたのか!?」


「なんのことだい?身から出た錆だろう?」


「うるさい!お前らに何が分かる!」


「うるさいのは、君だよ。山中君」


 制するような声音で神崎が山中に言った。


「総理……」


「君は私の公設秘書だよ、その君がなぜ愚かなことをしたんだい?」


「……なぜ……鈴木ばかり……私は国家試験にも受かった政策担当秘書だ。特別職の国家公務員なんですよ。なのに……鈴木ばかりが優遇され、地方や公式行事に同行する!私の方が優秀だ!」


 山中は不満を吐き出すように拳をテーブルに叩きつけた。


「……後を継いで、政治家になるのは私だ!!」


「それが理由かい?」


「それ以外に何がある!料亭で飲み、作成された原稿を読み、自分の裁量で活動を決めて……楽な仕事じゃないか、政治家なんて!!」


「君の目にはそう映っていたんだね……政治家ってね、君が思っているような楽な仕事じゃないんだよ。休みなんてない。会期中・閉会中を問わず、早朝から深夜まで分刻みのスケジュール。外交もして、地元回り。大きな催しにはできるだけ参加しなきゃならない。選挙に落ちれば、公的な身分を失ってただの無職だ。収入もない。借金をして困窮を凌ぐ議員もいる。そんな不安定で不確かな職業なんだよ」


 神崎は遠くを見るような目をしていた。


「……鈴木だってね、そんな私に付き合うんだ。いや、鈴木の方が酷いかもしれない。分刻みのスケジュールを組み、地元や派閥、他の議員との根回しをして……そして、何事かがあったら一番に仕えている主人を守るんだよ……山中君、君は何を見てきたんだい?」


 神崎は哀切を浮かべた表情で山中に問う。


「……私は……見ていた……」


「あんたはさ、上辺だけしか見てなかったんだよ。その下の過酷な部分を見ようともしなかったのさ」


「ははは……」


 虚ろな瞳をした山中の口から力ない笑いが洩れた。


「山中 喜一さん」


 富田が山中に静かに近いた。


「殺人未遂及び偽計業務妨害等の容疑で逮捕します」


「私は悪くない……悪くない」


 山中の笑いは止まらない。


「私の方が優秀なんだ……悪いのは鈴木だ……私は悪くないんだ」


「山中君……」


 神崎は悲し気に


「君は最初から、政治家じゃなくて『政治家になった自分』しか見ていなかったんだよ」


 富田の手に手錠が握られ、山中の手を取る。


 カチャリ。


 金属音が部屋に響く。

 焦点の合ってない目をした山中は抵抗をしなかった。

 そんな山中の姿に神崎は目を閉じ、小さく息を吐いた。




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