第9話 総理、お見舞を届ける
翌朝。
首相官邸は切り出したままの自然石としなやかに伸びた青い竹の素材を生かした簡素で気品のある和風建築となっている。
『鈴木秘書官、暴漢に襲われ入院』
その一報を受け、四階にある内閣執務室は蜂の巣を突っついたような騒ぎに見舞われた。
「鈴木さんが襲われたっ?!」
「犯人は?!」
「いつ?誰に?」
「意識はあるのか?」
「一連の事件と同一犯か?!」
室内はスタッフの怒号で満ちていた。
大半のスタッフが青ざめ、仕事が手につかない状況だった。
電話が鳴りっぱなしで、情報は錯綜していた。
その中で山中はコーヒーを淹れていた。
立ち昇るコーヒーの香りを山中は楽しんだ。
「大変ですね……」
そう呟いた山中はいつもの表情でコーヒーを飲んでいた。
「山中さん、どうしましょう?」
「そうだねぇ……鈴木さんならわかるでしょうけど、私は分かりませんね……」
その声は単調で妙に軽かった。
三角形の平面形状で建てられている病院の前はマスコミ関係者で溢れかえっていた。
通院患者の邪魔となるために病院側により、規制線が張られている。
人の出入りがあるたびにカメラやレポーターがその人たちを捉えては関係ないと知るとそっぽを向く。
黒のセダンが停まり、病院からスーツを着た人物が出てきた。周囲を数人の男たちがガードし、その人物は車に乗ろうとする。一斉にフラッシュがたかれ、レポーターがその人物に押し寄せた。
「総理秘書襲撃の真相は?」
「一連の事件と関係はあるんですか?」
「総理はお見舞いにくるんでしょうか?」
少し離れた場所からそれを見ていた由香が呆れたように
「砂糖に群がる蟻だって、まだ礼儀を知ってるよ」
「本当に行くんですか?今すく、帰りませんか?」
富田は不安を隠せず青い顔で言った。
「行くよ。孝一の代わりだからね」
「はぁっ……海斗君に総理を任せて大丈夫なんでしょうね……万が一の事があったら……」
富田は涙目になっている。
「孝一には言い聞かせてあるから大丈夫だよ。海斗の面倒を見てろってね」
「いや、それ反対だからね、おばあちゃん」
「どっちでも同じことだよ。あのふたりなら」
確かにその通りだから説得力があるなと遥は思った。
富田を先頭に行かせた由香は迷いなく歩き出した。
特注の大型保冷バッグを肩にした智恵と遥も後ろに続いた。
三角形の外周に沿ったほぼ全部の病室の窓は、豊かな採光と川などの景色を確保していた。
鈴木の病室は警護の関係上、上層階にあった。
ドアの前には警官が立ち、入室者を制限している。
病室の窓からは陽が差し込んでいた。
病院のパジャマを着た鈴木はベッドに座り。担当医と警察に囲まれていた。
髪の薄い中年の刑事が鈴木に尋ねた。その刑事の側でがっしりとした若い刑事がメモを開いて記録していた。
「犯人の特徴など覚えていますか?」
「暗かったので……同じくらいの身長としか……」
「覚えていることはありますか?」
「コンビニ行って、買い物をして……すみません。それだけです」
鈴木は首を振った。
その声は震えていた。
担当医が刑事にストップをかける。
「刑事さん、今日はここまでで」
「……分かりました。鈴木さん、また明日お伺いします」
医師は刑事を連れて部屋を出ていった。
ひとりになった鈴木は全身から力を抜いてヘッドボードに身体を預けた。
そっと詰めていた息を吐く。
(疲れたな……)
コンコン。
ドアがノックされた。
「はい」
「失礼するよ」
由香たちが病室に入ると、鈴木は怪訝そうな顔をした。
(誰だ?)
「すみません。病室をお間違えじゃないですか?」
「間違っちゃいないよ。鈴木さん、いつも孝一が苦労かけるね」
「は?」
「これ、私たちと孝ちゃんからのお見舞いだよ」
智恵が大型の保冷バッグからタッパーを取り出すと床頭台に置いた。
三つ。
から揚げ。
玉子焼き
稲荷ずし
その量に鈴木が目を丸くする。
「智恵さん、多い、多いから」
「多い方が美味しんだよ。孝ちゃんなんか喜んでるじゃないか」
孝ちゃん……
はっとして鈴木はから揚げを見た。
まさか……
「もしかして……神崎がお邪魔している……」
「そうだよ。うちでワークライフバランスを取ってるよ」
「うちの神崎が、ご迷惑をおかけして、どうもすみません」
「あんたが謝ることじゃないよ。酷い目にあったね。孝一が謝ってたよ」
「元気ですか、神崎は?」
鈴木の脳裏に選挙最終日、集まった聴衆に笑顔で応える神崎の顔が浮かんだ。
「ああ、うちに来たときは、青白い顔で魂の抜けた人形のようだったけどね」
由香の言葉には少しの棘があるように鈴木は感じた。
神崎は、そんな顔色をしていたのか……?
から揚げを頬張る神崎の顔を思い出した。
「……無理をさせてたんですね……」
由香は何も言わなかった。
「食べる?元気が出るよ」
智恵がスティックを刺した唐揚げを差し出した。
「いえ……今は……」
鈴木は弱弱しく笑った。
由香は静かに窓の外へ目を向けた。
鈴木の病室を出る。
富田が警官と軽く挨拶を交わした。
角を曲がり、由香たちが病院独特の消毒液の匂いがする廊下を歩いていると、向こうから身なりのきちんとした男が歩いてきた。
すれ違いざま、由香は顔を見た。
男も一瞬だけ由香を見た。
その男の顔には、ほんのわずか――
本当に気を付けていないと分からないくらいの笑みが浮かんでいた。
由香が立ち止まる。
目で男の後ろ姿を追う。
「おばあちゃん?」
遥が声をかけた。
由香が歩き出した。
「いやな笑いだね……」
由香は小さく呟いた。
その声はいつもと違い、冷たい硬さを含んでいた。
マスコミが注視する病院の出入り口を何事もないように出た由香は、遥に
「遥、さっき、廊下ですれ違った男の顔、覚えときな」
「えっ?」
遥は振り返って、いま出てきた病院を見た。
午後の陽射しを受けたその建物は静かに建っていた。




