エピローグ 官邸も港を見下ろす住宅街も平和です
重厚な木目の扉が開き、総理が記者会見室へと姿を現した。
天井一面に埋め込まれた白い光が、影のない極めて明るい空間を作り出している。桐の意匠が施された演台の後ろに垂れ下がる濃いブルーのカーテンが、その独特な明るさの中で深みのある色彩を放っていた。
「それでは、ただいまより内閣総理大臣記者会見を始めます」
司会進行の乾いた声が響くと同時に、無数のカメラのシャッター音が火花を散らすように鳴り響いた。
一斉に焚かれるフラッシュの白い光の束を正面から浴びながら、神崎は演台へと歩を進める。
その表情には、ここ数カ月、青白い顔色で張り詰めていた緊張感はなかった。口元には自然な、笑みが浮かんでいる。
演台の前に立ち、ずらりと並んだ記者たちをまっすぐに見渡した神崎は、マイクに向けて小さく頷いた。
そのにこやかな表情が、テレビカメラのレンズを通して全国のお茶の間へと生中継されていく。
「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。また、休暇を頂き、ありがとうございました」
「神崎総理、休暇中の事件について、どう思われますか?」
「私がいない間に色々あって、マスコミの皆さんは大変だったんじゃないかい?」
どっと笑いが起こった。
「冗談はさておき、先ずは、皆さんに謝らないといけないね。私の秘書が起こした事件について、申し訳ありませんでした。ここに謝罪いたします。これから事件の解明と裁判があるので詳細は控えさせていただきますが、判決が出たのち改めて説明をさせていただきます」
「責任を取るということは?」
「その可能性はあります。ひとを見なかったこと、誤った考えに気が付かなかったことは私の責任ですから」
「総理……」
「ところで、皆さんは、ちゃんとお休みを取ってますか?簡単には休めないとおっしゃる方がいらっしゃるかもしれませんが、今回、私は休むことの大切さを実感しました。あのまま総理という仕事を続けていたら、私は駄目になっていたと思います。休めるときには休んでください。私は、休みを取りやすい環境を政策に据えたいと考えています。無論、ずる休みは駄目ですからね。怒られます。私の秘書は怖いですから」
総理の温かみのある声が、高性能マイクを通じてスピーカーから部屋全体へと響き渡る。
記者席の空気が、かすかに和らいだ。
一皮剥けて強くなった総理に最前列の記者たちが、一斉に手元のノートPCのキーボードを叩き始める。そのせわしない打鍵音さえも、今日の総理の余裕に満ちた笑みを崩すことはできなかった。
智恵の家の十八畳はあろうかという広い居間で由香たちはテレビを見ていた。
座卓の上には大学芋と芋ようかんが大皿に盛られいた。
海斗と遥が大学芋を食べている横で、由香と智恵は画面の神崎を観ていた。
「いくら、総理だって、休む時は休暇届けを出して休まないと、迷惑かかるよね」
「……うん、そうだね」
遥が微妙な顔で海斗を見た。
智恵が玄米茶の入った湯呑を手にしたまま、
「孝ちゃん、テレビで観ると立派だねぇ」
「あれで仕事はちゃんとするんだよ、孝一は」
「由香の家にいる時とは、別人だよねぇ」
「……そうだね」
「ふふふ……」
「何だい?嫌な笑い方だね」
由香が顔を顰めた。
「あのままだったらどうなっていたかねぇ、由香」
「さあね。知らないよ」
「都合が悪くなると、いつもそうだね」
「……お前たちは何を騒いでいるんだい?」
逃げるように由香が遥たちに声をかけた。
「あっ、おばあちゃん。海斗君が抜け駆けしたのよ!」
「海斗が抜け駆け?海斗にできるわけないじゃないか」
「酷い、由香さん……僕だってやるときはやります」
海斗は胸を張って由香に言った。
「どうせ、ろくなことじゃないんだろう?」
「違うよ、海斗君、総理に履歴書渡したんだって!私だって渡したかったのに」
「海斗、お前……」
「あら、その履歴書ってこれ?」
智恵が履歴書在中と記載された白い封筒を見せた。
「それ、なんで、智恵さんが持ってるの?」
「孝ちゃんがね、『まずは勉強してからだよ』って言ってたよ」
「酷い、総理。お茶くみしたのに……」
海斗がどよんと肩を落とした。
「抜け駆けするからだよ」
遥が勝ち誇ったようにふふんと笑う。
(仲がいいんだか、悪いんだか……)
由香が呆れたよう遥と海斗をみた。
官邸も港を見下ろすこの住宅街は今日も平和だった。
――たぶん。
このエピローグをもちまして、第2章の完結となります。お読みいただき、ありがとうございました。少しでも笑って、楽しくなっていただいていればと思います。
また、拙いものですが、評価などいただけると幸いです。
ありがとうございました。




