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第3話 総理、保護される

 由香の家は、いつもより騒がしかった。

 総理がいるだけで騒がしいのに、今日は”別の騒ぎ”が押し寄せようとしていた……。


「孝ちゃん、味噌汁できたよ」


 智恵が巨大な鍋を抱えてリビングに現れた。

 その量は、どう見ても十人前以上ある。


「智恵さん……その量はおかしいよ……」


 遥は胃のあたりを押さえながら言った。

 昨日からずっと痛い。


「孝ちゃんは疲れてるんだから、たくさん食べないと」


「総理は一人だよ……」


「いいのいいの。食べる子は伸びるのよ」


「いや、総理の成長期は終わってるから……」


 遥のツッコミは、智恵には届かない。

 テーブルの上には、コロッケ、ほうれん草のお浸し、茄子とキャベツのぬか漬けが並んでいる。

 それらはもちろん大皿で。

 神崎は、味噌汁をすすりながらほっとした表情を浮かべた。


「……うまい……官邸よりうまい……」


「そうですか……」


 もう神崎から味の感想を聞いて驚かない。遠い目をした遥は胃を押さえたまま、由香の隣に座った。

 由香は新聞を畳みながら神崎を睨んだ。


「孝一、あんた……この後、どうすんだい?」


「……どうしょうかな……」


「はぁっ……誘拐騒ぎだよ」


「……うん」


「うんじゃないよ!」


 由香の声に、神崎は肩をすくめた。


「もうちょっと休んでから考える……」


「忘れてた。あんたは昔っからそうだったよ……」


 遥は胃を押さえたまま青ざめた。


「総理……どっかの偉い人の公式訪問があるよね……?」


「……忘れてた」


「忘れてたじゃないからっ!国際問題じゃん!」


 海斗が元気よく手を挙げた。


「総理!僕、会議の資料取りに行きます!」


「君はヤマトくんだったか?」


「海斗です!誘拐犯です!」


「お茶淹れて」


 海斗は肩を落としたが、すぐに復活した。


「海斗,なんでもやります!総理のため、お茶淹れます!」


「……君は元気だね」


 神崎は苦笑した。

 そのとき、玄関のチャイムが鳴った。


 ピンポーン。


 由香が眉をひそめる。


「こんな朝早くに誰だい……」


 遥が胃を押さえながら玄関へ向かった。

 ドアを開けると、そこには富田警部補が立っていた。

 会うのはお隣の事件以来だ。


「……おはようございます」


「富田さん……」


 遥は胃を押さえたまま、半泣きになった。


「総理が……うちにいるんです……」


「知ってます」


 富田は深いため息をついた。

 見知った応接間が映し出されたときの衝撃は言い難かった。

 由香が奥から出てきた。


「由香さん、総理を返してください」


「返すって何だい。孝一は物じゃないよ」


「いや、そういう意味じゃなくてですね……」


 富田は頭を抱えた。


「官邸が地獄絵図なんですよ……総理誘拐のメールが届いて……」


「誘拐?孝一は味噌汁飲んでるよ」


「……分かってます」


 失礼しますと言い、富田は靴を脱ぐとリビングへ向かった。

 神崎は見知らぬ闖入者に味噌汁をすすりながら言った。


「誰?」


「警視庁の富田と申します」


 富田が丁寧に挨拶した。


「総理、あなたが官邸を抜け出したせいで、全国が大騒ぎなんですよ!!」


「……そうみたいだね」


「そうみたいだねじゃありません!」


 由香が口を挟んだ。


「富田さん、孝一は疲れてるんだよ。少し休ませてやりな」


「休む場所がここなのが問題なんです!!」


 遥は胃を押さえたまま、富田の横で震えていた。


「富田さん……総理、帰ってくれないんです……」


「帰ってください総理!!」


 神崎は味噌汁を飲み終え、静かに言った。


「……やだ」


「やだじゃありません!」


 富田の叫びが家に響いた。

 智恵が大量のロールキャベツを持って現れた。


「あら、富田さんも食べる?」


「食べません!!」


「食べると落ち着くよ?」


「落ち着きません!!」


 神崎はコロッケを食べながら言った。


「智恵さんのコロッケも官邸よりうまいよ……」


「だから、官邸と比べないでよ……」


 遥は胃を押さえたまま、涙目で言った。


「総理……お願いだから……官邸に戻って……」


 総理は遥の頭を優しく撫でた。


「ごめんね、遥ちゃん。心配してくれてありがとう。でも、まだ帰らない」


「ううっ……一国の総理に謝られた……胃が、胃が……」


 由香が神崎を睨んだ。


「孝一、あんた……全然帰る気ないね?」


 神崎は小さく首を縦に振った。


「……ここが落ち着くんだよ」


「落ち着くな!!」


 富田が叫んだ。

 この騒ぎ、今どうなってるんだろう?と遥は胃を押さえながらスマートフォンを開いた。

 スマホの画面に映る画像を見て青ざめた。


『神崎総理に愛人!?』


 一夜明けると、ネットニュース各社は「総理誘拐」よりも、「総理愛人疑惑」を大きく取り上げ始めていた。


「おばあちゃん……これ……」


「どうしたんだい」


 遥は震える声で言った。


「総理の……愛人が……発覚したって……」


「は?愛人?孝一に?」


 智恵は巨大なタッパーを抱えたまま固まった。


「孝ちゃんに?」


 総理はほうれん草のお浸しを食べながら、ぽつりと言った。


「……僕、そんなの知らないよ」


「知らないじゃないですよ!!」


 遥の胃がキリキリと痛んだ。

 海斗がお茶を持って台所から飛び込んできた。


「総理!ネットで愛人がトレンド入りしてます!」




 その頃、官邸では怒号が飛び交っていた。


「総理の愛人写真が拡散されてるぞ!」


「この女性は誰だ!?」


「AI加工の可能性は!?」


「マスコミが押し寄せてる!!」


 私設秘書の鈴木は、顔面蒼白で叫んだ。


「総理に愛人なんていません!!」


「じゃあこの写真は何だ!」


「知りません。加工だと思います」


「証拠は!?」


「解析したら分かります」


 官邸スタッフは全員泣きそうだった。

 山中はその混乱を見ながら、静かに笑った。


(これで……鈴木の信用は地に落ちる)





 由香はキャベツのぬか漬けを食べている総理を睨んだ。


「孝一、あんた……本当に愛人なんていないんだろうね」


 神崎は手を左右に振って、


「いないよ」


「本当に?」


「本当に」


 智恵がロールキャベツが入った器を抱えたまま言った。


「孝ちゃん、昔からモテてたからねぇ……愛人がいても驚かないよねぇ」


「智恵ちゃん、それ学生時代のことだから!それに愛人はいないから!!」


「怪しいね」


「怪しくないからっ!」


 真剣な顔で由香に無実を訴える神崎をみて、遥は


 ”なんで総理は、おばあちゃんにはこんな顔をするんだろう……”


 と思った。

 海斗がスマホを見ながら叫んだ。


「総理!愛人が“複数人いる”って書かれてます!」


「君、そういう情報をいま出してどうするんだい。空気を読んでくれないかな?」


「複数人、孝一、あんたやるね……」


 由香がニヤリと笑って神崎にいう。

 あっ、この顔。由香は絶対に分かってて揶揄ってると遥は思った。

 神崎は由香の態度を伺いながら真っ青になって言った。


「僕、そんなに器用じゃないからっ!」


「けど、年を重ねると男は変わるからねぇ……」


「智恵ちゃんは黙ってて!」


 神崎が智恵に強く抗議をする。


「僕には愛人はいない!愛人つくる暇があったら寝るよっ!」


「……確かに、あんたはそんなに器用じゃないね」


「わかってくれる?由香さん」


 由香に必死で無実を訴える神崎。

 遥は胃を押さえたまま、ソファに倒れてその様子を見ていた。

 お互いに気安い関係なのは分かったが、遥には幼なじみというだけじゃない何かがあるように感じた。


 ”なんでだろう……”


「総理!官邸の前、マスコミでいっぱいです!」


「そういう情報いらない」


 ばっさり切る神崎に


「いらないじゃないですぅ……」


 遥は胃を押さえたまま呟いた。

 大きな声が胃に響くのだ。


「総理がここにいるってバレたら……うちがニュースになる……」


 気の弱い孫の姿に由香はため息をついた。


「遥、あんたは胃薬飲みな……はぁっ、面倒なことになってきた」


 神崎はロールキャベツを咀嚼しながら言った。


「……うん。ごめんね、由香さん」


 富田は頭を抱えた。


「由香さん……総理を返してください……」


「返すって言い方やめな。孝一は物じゃないって言っただろう!」


「じゃあ……総理を官邸に戻してください……」


 富田の言葉に神崎の微かに緊張した背中を見た由香は、小さくため息を吐いて


「もうちょっとしたらね」


 神崎が由香を見た。


「……由香さん」


「おばあちゃん!!」


 遥の胃が限界を迎えた。

 そのとき、由香が立ち上がった。


「よし、孝一。あんた、うちで保護するよ」


「保護!?」


 富田が叫んだ。


「保護って何ですか!!」


「孝一は疲れてるんだよ。うちで休ませる」


「休ませる場所が、”ここ”なのが問題なんですよ!!」


 由香は静かに言った。


「孝一はうちで守る。それでいいね、孝一」


 にこっと笑顔を浮かべた神崎は小さく頷いた。


「……うん」


 富田は絶望した。


「由香さん……お願いですから……総理を……」


「孝一はうちで保護する。本人の了解もあるんだ。決まりだよ」


「やめてください!!」


 富田が叫ぶ。

 遥は胃を押さえたまま、涙目で言った。


「おばあちゃん……総理を保護するって……どういうこと……?」


 由香は静かに言った。


「孝一は……うちの客だよ」


 神崎は照れくさそうに笑った。


「……ありがとう、由香さん」


 遥の胃は爆発しそうだった。


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