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第2話 総理、唐揚げを食べる

 官邸では、総理が裏口から姿を消してから既に6時間が経っていた。

 深夜にもかかわらず、廊下には怒号が飛び交っている。


「総理誘拐のメールが本物か確認しろ!」


「SPは出入口という出入口の映像を解析しろ!」


「私設秘書、鈴木はどこだ!」


「総理の携帯はまだ繋がらないのか!」


  私設秘書の鈴木は六十を前にした温厚そうな男だった。しかし今は、その温厚な面影もなく、顔色は土気色に近い。眼鏡の奥の目は充血し、白髪交じりの髪は疲労で乱れていた。

 なんとか公務のスケジュールをやりくりしたが、限界がある。

 特別国会に総理が出席しないなんて前代未聞だ。

 党内の重鎮からは鈴木宛に直に問い合わせが入り、野党はこの失態を(あげつら)おうと手ぐすね引いている。

 神崎はいままで問題を起こさない模範的な人物だっただけに、鈴木はどう対応したいいのか判断できずにいた。

 部屋の空気はずっしりと重い。

 官邸は完全に地獄絵図となっていた。

 その混乱の中心で、山中はひとり静かにスマートフォンを操作していた。

 捨てアドレスを使い、総理誘拐の偽メールを送った張本人である。


(総理が官邸を抜け出した……これを最大限に使わないとな)


 山中は次の手として、複数のフェイクニュースを作成し始めた。

 神崎と一緒に撮った写真を画面に出す。

 若い女性と恋人のように寄り添う写真と打ち込む。

 少し雑なくらいが本物らしい。

 次々と指示を入力してフェイク画像を作成する。

 AIで加工した愛人との密会写真。

 架空の領収書。

 豪遊しているように見えるクラブの画像。

 どれも雑で稚拙だが、SNSでは十分に拡散、炎上する。

 先ずは


 《総理は愛人が複数人いる!》


  山中は匿名で投稿した。


 「総理の愛人!?そんな話聞いたことないぞ!」


 「SNSで拡散されてる!!」


 官邸はさらに混乱した。


 「鈴木さん、これは本当なんですか?」


 「鈴木君、愛人はまずいぞ、愛人は」


 部屋に詰めていた派閥の議員から鈴木は詰め寄られていた。

 鈴木が「ひっ」という声にならない悲鳴をあげた。

 山中は気づかれないように静かに笑った。

 こうした危機管理は本来、私設秘書・鈴木の担当だ。

 「失態続きの私設秘書」という烙印を押された人間を雇う議員はいない。

 政治生命にかかわる。

 解雇される鈴木の姿が目に浮かんだ。


(これで……鈴木は終わったな)




 翌朝、由香の家では――

 神崎総理がほうれん草のお浸しを食べていた。


「うまい……」


「孝一、あんた……本当に帰りな」


「やだ」


「やだじゃないよ!」


 遥は胃を押さえたまま、泣きそうな顔で総理を見た。


「総理……お願いですから……官邸に戻ってください……」


 神崎は遥の頭を優しく撫でた。


「遥ちゃん、心配してくれてありがとう」


「……心配なのは、私の胃……優しくされると……余計に胃が痛い……」


 海斗が元気よく手を挙げた。


「総理!僕、官邸まで送ります!」


「君は誰だい?」


「お忘れですか?元誘拐犯の海斗です!」


「知らん」


 即答だった。


 「孝一、ハウス!」


 「酷い……」


 「何が酷いだよ。あんたの仕事だろ?」


 「仕事……なんだよね……けど……」


 神崎は疲れた色の笑みを浮かべて、


 「ひとりの人間なんだ……たまに投げ出したくなるんだよ……」


 無気力な表情を浮かべて無理に笑おうとする神崎を見て、由香はため息を吐いた。


 「仕方ないねぇ。ほら、茶碗貸しな」


 「……うん」


 どこか安心したような表情で神崎は素直に茶碗を出した。

 智恵がから揚げを取り、


 「孝ちゃん、もう一個食べる?」

  

 「食べる」


 その様子を見て、海斗がぼそりと呟いた。


 「普通のひとなんだ、総理って」


 「当り前だよ。化け物とでも思っていたのかい?」


 海斗の呟きに由香が呆れたように言った。

 海斗はスマートフォンを構えて、総理に向けた。


 「総理、一枚撮ってもいいですか?」


 「唐揚げ?構わないよ」


 パシャリ


 幸せそうな表情でから揚げを食べる神崎の姿が撮れていた。


 「載せるんじゃないよ、海斗」


 由香に釘を刺されたが、海斗は幸せそうな総理を見て欲しかった。


 (限定ならいいよね)

 

 SNSにアップする。

 一分もしないうちにスマホが狂ったように震え始めた。

 最初は短いバイブの連続だったそれが、やがて途切れのない一本の振動へと変わる。

 海斗は恐る恐る画面を覗き込む。

 ロック画面の上から、見知らぬ誰かからの通知バナーが、滝のように、終わりなく流れ落ちていた。

 アプリを開くと、右下の通知アイコンには『99+』の赤い数字。

 さっきアップした『総理と唐揚げ』の写真。

 その下にあるリポストのカウンタが、見たこともない速度で回っていた。


 「えっ?なんで……ああーっ!?」


 海斗の背中に冷たい汗が伝う。


 「どうしたの?」


 遥が聞いてきた。


 「全体公開になってた……どうしよう……」


 「はぁっ?!」


 「総理って怖い人だと思ってたけど、普通にご飯食べてる姿を見たら、友達も安心するかなって思って……」

 

 「海斗君、また設定確認しなかったの?」


 叱られて耳を後ろにそらした柴犬のように海斗はこくんと頷いた。

 

「何やってるんだい」


 由香が呆れた声を上げた。





 官邸では、ついにマスコミが押し寄せていた。


「総理誘拐は本当ですか!」


「身代金10億円はどういうことですか!」


「総理の愛人が複数人いるとのことですが!」


「総理は官邸を放棄したのですか!」


 官邸スタッフは全員泣きそうだった。

 特に鈴木はいまにも倒れそうな顔色をしていた。


「総理……どこにいるんだ……」


 山中は静かに笑った。


(総理は……もう終わりだ)


 しかし――

 

その瞬間、官邸のモニターに映ったのは、由香の家の応接間で唐揚げを食べている総理の姿だった。


「……え?」


「総理……唐揚げ食べてる……?」


「誘拐されてないじゃないか!!」


「何処だ、何処で食べているんだ!探せっ!」


 一般家庭で唐揚げを食べている神崎……意味がわからない。

 官邸は別の意味で地獄絵図になった。

 鈴木は呆けたように唐揚げを食べている神崎を観ていたが、はっと自分を取り戻した。

 腰が抜けそうなほど安堵する自分がいる、と同時に、怒りが沸いてきた。


 (……先生、せめて、せめて、LINEの一本でも入れてくださいよ……)


 山中も茫然と画面を見ていた。


 (な……なんで……一般家庭に……!?)


SNSにも投稿されているようで、すぐにスレッドがたった。


 《孝一様が唐揚げを頬張るお顔、尊い》


 《孝一様と唐揚げについて》


 好感度が上がっていき、山中のフェイクニュースが廃れていく。

 Xでは、


 『総理、可愛い』


 『可愛すぎてワロタ』


 『唐揚げ食べさせるために誘拐したん?犯人最高ww』


 『僕も誘拐してくれ~』


 『犯人は飯テロリスト(草)』


 『外交は唐揚げで』


 『誘拐先で飯テロ』


 好意的な意見がどんどん流れている。

 それを見た山中の顔からは血の気が引いていた。

 官房長官が乱暴にドアを開けて入って来た。後ろには幹事長と政調会長の姿もあった。

 

 「総理は無事なのか。総理の安全を優先しろ!」


 官房長官に続いて幹事長が


 「党への影響はどうだ?」


 「支持率は?」

 

 政調会長が官僚に向かって言う。

 

 「正式な数字ではありませんが、この映像は国民に好意的に受け止められているようです」

 

 党の幹部と官房長官が安堵のする姿があった。

 緊張しきった部屋の空気が溶けていくのを感じた。

 山中はスマートフォンを見た。

 唐揚げの写真。


 『総理が可愛い件』


 『お昼は唐揚』


 『総理に癒され」


 好意的な反応。

 唐揚げの写真がSNSを埋め尽くし、フェイクニュースは一気に勢いを失った。

 山中は唇を噛んだ。

 

 (……違う……この場は、叱責と悲壮感が漂っているはずだ……なぜ……)


 知らないうちに山中はスマートフォンを握る手に力を込めていた。

 

 (計画が狂うのか……まさかな……)

 

 だが、山中の計画は、静かに、しかし確実に崩れ始めていた。

明日からの投稿は17時50分と変更させていただきます。

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