10ー3 走馬灯
権田原達郎の脳内で再生されている人生のダイジェストは今、およそ30年前に都内のどこぞで催された「異業種交流会」なる催しで起きた出来事のシーンに差し掛かっていた。
命の危険に晒されたり激烈なストレスに見舞われたりした時に脳内を駆け巡ると言われている走馬灯とやらは、いざ体感してみると意外にゆっくりと進んだ。
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芸能界・声優業界に身を置いていると、芸能・声優業界以外の様々な業種の人間同士で集まっての「異業種交流会」なる催しにお声がかかる事がある。
やって来るのは芸能・声優業界の関係者、音響・映像制作の関係者、出版・流通の関係者……大雑把に括ると「いわゆる色んなギョーカイの、ギョーカイ人の皆さん」である。で、皆、互いに親睦を深め、やがては仕事に繋げていこうと画策する。当然中には男女の出会いを期待して出て来る奴もいる。
ただし、こういう場に一流の人間が顔を出す事は殆どない。
何故なら一流の人間はこんな狭苦しい密閉空間で何処の馬の骨かも知らぬ初対面の輩と飲みたくもない安酒を呑み、話したくない身の上話などをし、その何処ぞの馬の骨に自分のあずかり知らぬ所で「オレっちアイツと友達なんだぜヘッヘーイ」と触れ回られるリスクを負わずともちゃんと仕事を貰えるし、仕事の現場やよりクローズドな一流同士の交流会で有用な情報や経験値を手に入れられるからだ。
故に、参加者の大多数は
『芸能・声優関係:何処の養成所でも専門学校でも箸にも棒にもかからなかった声優のなり損ない、顔面レベルが一般人としてさえ中の下のアイドル志望者、みすぼらしい服装とか細い体格と強い口臭に貧しさが表れている劇団員』
『音響・映像制作:テレビの深夜番組の制作会社の孫請けのパシリ歴5年という最早何という役職で呼んだらいいのか分からない様な三下、元々バンドを組んでいたが全く売れずツテで入社した音響制作会社で『ココは俺の居場所じゃない!』などと思いながら卓をイジっているミキサー、自主制作CDのレコーディングをしている乳のでかい女に指示を出しながら歌に集中している彼女の胸元をガン見しデスクで隠れているのをいい事にこっそりシコるディレクター』
『出版・流通:交流会で持ち出し禁止の筈の会社の業務資料を堂々とかっ開いて「次クールの○○がー」などと大声で触れ回りこれまた門外不出の筈のグッズを配りまくって悦に入る関係者風吹かせるの大好きマン、「勧誘や集金はご遠慮下さい」という事前注意をガン無視し投資や現在進めているビジネスプランへの参入を提案・懇願して回る捕まってないだけの詐欺師マン、飲み会が好きな訳でもそこでのお喋りが好きな訳でもなく無職のまま友達に誘われたからと何となく来てしまい当たり前に孤立して部屋の隅でボンヤリとつまらなさそうに立ち尽くしているお前マジ何しに来たんだマン』
………といった、そもそも業界の人間と呼ぶに値しないしょーもない面々が大半を占める。で、みんなでギョーカイの噂話だの誰ぞの悪口だのちっぽけな自慢話だの真偽不明のゴシップだのを交換し合い、不毛で楽しいギョーカイ人ごっこを堪能して満足げに返っていく。
こういった催しの幹事は大概、素性も実績も杳として知れない交流会ゴロ……今で言うところの自称コンサルや自称アテンダー、自称コーディネーター、自称アドバイザーなどといった連中だ。彼らは本業の傍ら、結構なハイペースでこういった催しを開いて会費を高めに設定し、私服を肥やしつつ業界のフィクサーの様な顔をして芸能界入りを夢見る若い女をつまみ食いしていた。
業種を問わずこういう輩はあちこちに居るが、ことオタクビジネス界隈は老若男女を問わずイタくてチョロい人間が多いのでカモにされ易かったのである。
では何故この日の権田原がこんな所にいたのかというと、前回のこの催しで借金まみれで風俗嬢になったという自称若手声優の女を捕まえてセックスに持ち込めたからであった。
腹と手首に無数に走るためらい傷と丸くてデカくて鼻の穴が横に広いカバ顔は難物だったが、本業(勿論風俗の方)仕込みのテクは当時すでに五十路半ばの権田原に珠玉の快楽をもたらした。
権田原はコトが終わった後のベッドで、年老いた自分の何処にこれ程の活力が残っていたのだという驚きと充実感を噛み締めた。この女がベテラン声優・権田原達郎の名前をちゃんと知っていて、自ら進んで抱かれに来た事も彼のプライドを潤した。
ちなみに女は一週間後、とても若い女の住処とは思えない粗末な作りの安アパートで日課のリストカットの力加減を誤り、出血多量でアッサリ死んだ。
亡骸を発見した大家からは「あんだけウチではヤるな、死ぬなら外で死ねっつっといただろうが!このメンヘラボケ女が!」と吐き捨てられ、通報を受けて駆けつけた警察官は「こんなにヌケねぇ若い女の死体はひさしぶりだなあ」とニヤニヤしながら言った。
(今の自分なら、また若い女を食える。)
男・権田原達郎、齢五十を過ぎてなお盛んなり…である。
………あとは相手をどうにか調達出来れば…なのである。
(それほど若くなくても…35才くらいまでなら目をつぶれる。)
権田原は断腸の思いで対象年齢を引き上げた。
それでも自分より15歳以上は若くないとダメだ。それ以上は譲れない。
(さあ来い女ども、俺が天下のベテラン声優様だ!抱いてやるぞ!)
ところがこの日、権田原にまとわりついていたのはこざっぱりとした身なりのヤサ男だった。
権田原がこれまであちこちで延べ100万回程語って来たホラ混じりの自慢話や自分語りに若い女が眉を顰めて1人2人と散っていく中、どういう訳か彼だけはキラキラした目をして権田原の側を離れなかった。
「権田原さん!あなたの半生を書籍化しませんかッ!」
得意(自称)の鉄板(自称)トークが若い女に全く刺さらず不機嫌そうに安いワインをちびちび飲んでいた権田原に、ヤサ男が名刺を差し出しながら話しかけてきた。
名刺には「吉創社 筧健志」と書いてあった。
「聞いた事のない名前だな。何の会社だ?」
「貴方の人生は常人のそれにはない刺激と輝きに満ち満ちていますッ!」
筧は権田原の問いに答える事なく、停止ボタンと音量のツマミがイカれた1980年代のカセットデッキの様に一方的に喋り出した。
「これを!貴方1人のメモリアルとして埋もれてさせてしまうのは芸能界の!日本文化史の!否ッ!人類の文明進化論上、重大な損失ですッッ!」
褒められてはいる様だが全く嬉しくない。理由は2つある。
1つめは相手がこの筧とかいうヤサ男だからだ。
2つめは全ッ然女が寄って来やがらねえからだ。
「それを文章として認め!綴り!後世に残すというのはァァ最早!時代の先駆者としての責務ッッ!時代に選ばれし者の義務であり!宿命なのですッ!」
筧はギラついた目で、権田原にその人生で得た含蓄の尊さを説いた。
権田原は子供の頃街のあちこちにいた前後不覚のポン中を思い出し、何とも嫌な気持ちになった。
「是非多くの人とこのスペクタクルを共有すべきですッ!読者は皆!貴方の人生から多くの感動と勇気を享受する事になるでしょうッ!帝の人間宣言から幾十年、わたくしは日本から現神人は居なくなった物と思っておりました!」
権田原自身、もし自分が神様になったら……という妄想をした事が無かった訳ではない。それも子供の頃ではなく結構イイ年になってからだ。荒唐無稽な妄想という奴は後先考えず何にでもがむしゃらに取り組める若い頃ではなく、中年の階段を登りきって自分の器で出来る事・出来ない事があらかた把握出来てからの方が捗る物なのだ。
ちなみに権田原が中年になってから巡らせた「神様妄想」は『これまで自分を蔑んで来た業界人共を後ろ手で縛って跪かせて片っ端からツバを吐きかける』だの、『旬の若手女優(25才未満限定)共を一堂に集めて後ろ手で縛って跪かせて片っ端からセックス奴隷に調教』だのといったロクでもない物ばかりであった。
神様というモノを根本的に勘違いしている権田原であった。
「否!否あッッ!現神人は存在しておりましたッ!貴方様ですッッ!」
2人から人がどんどん遠ざかり、その周り半径5メートルには誰も近付かなくなった。
「嗚呼、私は悔いている!今日のこの日まで貴方様の様な傑物を見付けられずにいた事を!そして、歓喜している!今日のこの日、貴方様に謁見出来た事を!」
榊は権田原の足元にかしずき、潤んだ目で権田原を見上げながら感極まった。これが何処ぞのベッドルームで相手が若い女だったならどれだけ良いだろう。
「次なる伝説・神話・英雄譚として伝承されるべきはッ!貴方の生き様と歩みそのものですッッ!是非!わたくしにその伝道者としてお手伝いをさせて頂く栄誉を賜りたいのですッッッ!どうか!どうかあああああああ!」
「分かった分かった!聞いてやる聞いてやる!」




