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ACTorDIE!〜声優業界下層階級哀話〜  作者: 野乃々田のの
第十章 雛沢ももえの落魄
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10-2 後は征くのみ

3日後、再び社長を交えて行われた三者面談には堀田の代わりにパンツスーツに身を包んだ柳瀬の姿があった。


 ナツコは柳瀬の置かれている窮状と仕事の緻密さと人間としての親しみやすさ、そして彼女ならこの事務所でも必ず力になってくれるであろう事を熱弁した。


「なるほど、柳瀬さんの事を余程信頼しておられるんですね。」

「この人も今の事務所でお給料を貰えてなくて。そんな中、私だけこの事務所に拾って頂くってのがどうも忍びなくて。」


 高瀬はナツコの話に「はい」「ええ」「そうなんです」と相槌を打ちながら、ボルケーノで今どういった仕事をしているかや社内の雰囲気について、慎重に言葉を選びながら説明した。


 前日、いきなり電話をかけて来たナツコが「私と一緒にハーツプロダクトに行こう。社長面談ももうセッティングしてあるんだ。私も一緒にいる。堀田くんは当日仕事で来られないけど、予め口添えしてくれてる。今のままボルケーノにいるよりも、絶対良い結果になると思うんだ。」と捲し立てて来たのには面食らった。

 が、このまま働いていても未払いの給料を取り返せる保証はないし、貯金の残高も危険水域を切っていたので取り敢えず乗っかる事にした。大学の卒業式以来久しぶりに袖を通したパンツスーツは少しキツくなっていた。


 同じ社長でも権田原とは別人の様な落ち着きと清潔感をたたえたハーツプロダクト社長は高瀬の履歴書と職務経歴書にサッと目を通した後、「ご事情については把握いたしました」と穏やかな声で言い、卓上の内線電話で「内藤さん、来てくれる?うん、昨日話してた件。」と誰かを呼び出した。

 そのきっかり三分後、応接室に小柄で小太りの中年女性が入ってきた。


「どうも初めまして。チーフマネージャーの内藤です。」


 中年女性は昭和世代の新劇出身ベテラン声優の様な落ち着いた声質で自己紹介をした。

 もしかすると昔、実際に演者として舞台や現場に立っていたのかもしれない。


「初めまして、現在、ボルケーノでデスクに就いております柳瀬愛花と申します。本日はお時間を作って頂き有難うございます。宜しくお願い致します。」

「同じくボルケーノ所属声優の清都ナツコです。本日は宜しくお願い致します。」


 2人は全く同じタイミングで起立し、各々のタイミングで慇懃に頭を下げた。今日の主役の柳瀬は、ナツコよりも心持ち長く、より深く頭を下げた。


「スタッフの人事については彼女に権限があります。後の事は内藤さんに相談してください。んじゃ、あとはお任せします。」

「はい、ありがとうございました!」


   ◇


「社長から事の経緯は聞いています。無論、我々も今ちょっと人手不足だもんですから柳瀬さんに来て頂けるなら非常にありがたいんです。ただ、清都さんが今の事務所との契約を完全に解消されてない以上、そのままウチに来てしまわれると色々と問題が起きるんですね。申し訳ないんですけど、すぐ……って訳には。」


 一言一句違わず…とまではいかなかったが、チーフマネージャー内藤は前日に社長がナツコに言った事とほぼ同じ内容の言葉を口にした。

 余りにもそっくりそのままだったので思わず笑いそうになってしまったが、裏を返せば会社としての方針が一貫していてブレや行き違いが生まれにくいという事だ。この会社の10分の1程度の規模しかないのにしょっちゅう連絡不行き届きや行き違いや朝令暮改が起きていたボルケーノとは段違いの連帯感と連携精度である。


「ただ、柳瀬さんはナツコさんとちがって、月給を受け取って働いておられる会社員です。会社と社員の間にはしっかりと『雇用関係』がある訳で、給料の未払いは法的に離職の理由として認められる筈です。今の会社の契約書についてはしっかり確認してきて頂けましたか?」

「はい、確認しました。一応コピーも持って来たんですけど……」

「ああ、ありがとうございます。今日のところは結構です。」

「あ、そうなんですか?」

「ええ。これはこの先、話が拗れた時に改めてご用意頂く事になるかと思いますが………今はまだしまっておいて下さい。」


 内藤は事前に、ボルケーノの雇用契約書の中の退社後の再就職に関する条項を確認しておく様、ナツコを通じて柳瀬に伝えていた。事務所によっては「退社後の同業他社への入社」を一定期間禁じている事があるからだ。無論、会社のノウハウや門外不出の機密情報の漏洩、スタッフの引き抜きを防ぐ為の措置である。

 が、至極いい加減に作られたボルケーノの契約書にそんな気の利いた条項があるはずもなく、ボルケーノが余程無茶な因縁でも付けてこない限り、柳瀬はそのままハーツプロダクトで働く事が出来そうだ…というのが内藤の見立てであった。


「ただ……何が起こるか分かりませんので。柳瀬さんにも弁護士さんを紹介しておきます。はい、これ。名刺。」

「あ、ありがとうございます!」


 ナツコは柳瀬は受け取った名刺を一瞥し、ある事に気付いた。


「昨日……」

「ああ、昨日ナツコさんにも弁護士さんの名刺をお渡ししましたものね。」

「柳瀬に紹介して下さる方って、私に紹介して下さった方とはまた別の方なんですね。事務所は同じみたいだけど。」

「そうね。そもそもタレント契約と一般的な会社員の社員雇用契約というのは全く成り立ちが異なる物なので、弁護士事務所さんでも担当を分けておられるんです。昨日ナツコさんに名刺をお渡しした中林さんは、自営業の方の契約トラブルの対応を多くやられてる方で。例えば共同ビジネスの収益や権利・責任の振り分けでモメた時とかですね。タレントの契約問題も彼の専門分野です。」

「で、今私が頂いた、この夏目さんって方は……」

「ああ、夏目さんは………」


 チーフマネージャーは眉毛をハの字にして小さく一笑し、言葉を続けた。


「ブラック企業から人を逃がすプロフェッショナルです。」


 柳瀬とナツコは全く同じタイミングで吹き出した。そして、小さく笑った。

 面談開始からこの部屋を取り巻いていた冷たく硬い緊張感が、少し和らいだ。



 次に内藤は、マネージャーとデスクが通常業務を行なっているフロアに2人を案内した。

 今のところはまだ二人とも部外者である為、低いパーテーション越しに仕事をしている社員たちの様子を遠まきに眺める事しか出来なかったが、やや無機質ながら明るく清潔感のあるハーツプロダクトのオフィスは至極好印象だった。

 ずっと前から電球の中に紛れ込み取り除かれていない虫の死骸の陰影がそのまま部屋の明かりに映り込む中、タバコの残り香と腐りかけた観葉植物の生臭さとカーペットに染み付いた中年男の足の脂の匂いに鼻をやられながら働かされるボルケーノとは大違いであった。


 途中、事務所にやって来た若手女性声優がナツコの姿を見つけてパッと笑顔になり、「えっ何?ナッちゃん、ウチの事務所に来んの?マジ?やった!」と声を上げた。

 ナツコははにかんだ様な笑顔で立てた人差し指を唇に当て、「シーッ!」と応じた。



 20分ほどの見学から応接室に戻った3人の中で、初めに口を開いたのは内藤だった。


「………どうでしょう?ウチの会社は?」

「うーん……何というか……」

「………」


 ナツコと内藤は黙って柳瀬をの様子を伺う。


「何というか……オフィスの空気も洗練されているし、自分が今いる場所とは何から何まで違っていて。凄くキレイだなって。」

「ありがとうございます。」

「………だからこそ、正直少し戸惑ってもいます。」


 そう。

 ボルケーノで散々目にした仕事も出来ねえのに常時偉そうで不機嫌なババアも、使えねえマネージャーも、経営者としても役者としても人間としても終わっているウンコ社長も、この会社には恐らくいない。

 この会社に、「ナメてかかってもいい奴」は恐らくいない。


 この会社に入社できる、というのは間違いなくステップアップだ。

 だからこそ、正直不安も大きい。

 何ならさっきからずっと「気を引き締めて掛からなければ」「自分は本当にここでやっていけるんだろうか」という緊張に、少し気持ちが落ち込んでいる。自分みたいな普段ちゃらんぽらんな人間は、社会人生活一社目の就職先があのボルケーノといういい加減な会社だったからこそどうにかやっていけてたんじゃないかと思ってしまう。


 その後、柳瀬は3分ほどにわたりバカ正直に不安を吐露した。

 自分は会社員の仕事を、ひいては「社会」を…ナメていたかもしれない、と。

 スタッフフロアの見学の辺りから柳瀬の元気が目に見えて無くなっていっていた事に気づいていた内藤は無言で頷いたのち、


「でも、ナツコさんもウチの堀田も、貴女の事が大好きみたいですよ。」


 と言った。


「将来、必ず業界の中心人物になっているであろう声優2人が絶大な信頼を置いている。それが、私が貴方を見込んでいる理由です。」


 ナツコも微笑みを浮かべて柳瀬を見つめている。

 そうだ。もしここでイモを引いたり変な言い訳を並べて不義理をしようものなら、自分を熱烈に推してくれたナツコと堀田くんの顔に泥を塗ってしまう事になる。

 やるんだ。やるしかない。

 目線を上げた柳瀬は、鼻から息を吸い、下っ腹に力を込め、カッと開いた目で内藤の双眸をしっかり見据えた。


「………がもばらせていただきます!」

「大事なトコで噛まないでよ!もう!」


 そういいながらナツコは破顔一笑し、かけがえのない仲間と新たな門出を迎えられる喜びを爆発させた。


   ◆


 あれからきっかり3ヶ月経った今日、柳瀬は封筒に入った退社届を2年間使い込んだデスクにそっと置いた。

 中には退社届に加えてもう一通、未払いの給与については法的手段を準備中であり、その為の内容証明を近日中に送る旨を記した通告書が入っている。


 書き方については弁護士ではなく、ハーツプロダクトのチーフマネの内藤がチャチャっと教えてくれた。

 何故こんな事を知っているのかと聞いたら「お二方の様なゴタゴタを乗り越えて他社から移籍して来たスタッフや声優さんが、ウチには他にもいらっしゃいますので」という答えが返ってきた。

 確かにそれはそうだ。自分よりも業界歴の長い先輩に随分無粋で不躾な質問をしてしまったものだと少し恥ずかしくなった。


「あ、やっべえ。」


 ナツコが突如目を見開き、口を覆いながら天を仰いだ。


「どした?」

「スーツ、どうしよう……」

「スーツ?」

「いやね、こないだの面接で着てたスーツあるじゃん。アレ、大学の卒業式で着てたヤツなのね。こないだ着てったらピチピチでさ。家帰ってからイスに座ったらお尻んとこがビリってイっちゃって……。」

「あぶな!面接中に破れなくてよかったね。」

「買い直さなきゃなあ。」


 2ヶ月貯金を切り崩しながらの無給生活を潜り抜けてからの、更なる出費は流石に懐が痛い。


「そんくらいなら私が出すよ。」

「ええ!?」


 自分の憂鬱を見透かした様なナツコの提案に、柳瀬が驚く。

 これまでもナツコの随伴として現場に赴いた際、移動中や休憩中の食事代やカフェ代やらをナツコが出してくれた事はあったが、ちょっとコレは気が引ける。何せマネージャー業務の最中に発生した支出ではないのだ。


「いや流石にそれは悪いよ!ホントに!」

「いいよ、お祝いお祝い。ね?」

「いやー、これはなー、ちょっと違う気がするなー、どうかなー。」


 どうにか謹んで辞退申し上げたい柳瀬だが、適切な断り文句と理由が見つからない。うんうん唸って言葉を探すがやはり見つからない。


「いや、出させてよ。元はといえば私の移籍にアイカを巻き込んだのが事の発端じゃん。それに………」

「………それに?」

「私はアイカより稼いでるからね。」

 ナツコは片目だけを細め、シニカルに微笑んだ。


「………言ってくれるね。」

 柳瀬は唇の片側だけを吊り上げて、ニヒルに微笑んだ。


「……そういう事なら、今回はごっちゃんさせて貰っちゃおうかな!」

「そうだよ!!奢られとけ!」

「どうせあっちに行けばあっという間に稼ぎ頭になっちゃうんでしょ?」

「そうなれる様に頑張らないとね!期待してて!」


 新たなる旅立ちへの最後の憂いも無事解決した。

 後は征くのみ、である。





「ところで………何かさっきからずっと電話鳴ってるけど、何?」

「知らないよ。もうあたし、ここの人間じゃないもん。」

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