9-6「芸歴を重ねて人格が変わってしまう人」
武田は社用車のハンドルを握りながら、カップベンダーに突っ込んである飲み掛けの缶コーヒーに手を伸ばし、一口啜った。缶コーヒーは先程のコンビニで浅川がタバコのついでに買ってくれた物だ。
事件の発生から小一時間ほどが経ち、武田の心にもほんの少しだけ余裕が生まれてきた。
だからこそ、ここで生まれて来た疑問を口に出してみる気になった。
「にしても……」
「ん?」
「何であんな風になっちゃったんだろうな、あの人。」
「あの人って?」
「雛沢ももえ……さんですよ。」
「ああ。」
「いや、雛沢さんだけじゃない。今日集まったメンバー、みんな…何かこう、なんというか…。」
武田は事前に考えをまとめずに話し始めてしまった事を少し後悔した。浅川は黙って武田の拙い喋りに耳を傾けている。どうにか武田が言わんとしている事を汲もうとしてくれている様だ。
「僕もこの会社でマネージャーを始めて1年ちょい位経って、芸歴を重ねて人格が変わってしまう人も何人か見てきたつもりだったんです。」
「うん」
「でも、これ程の強烈な経験は流石に初めてで……」
「うんうん」
浅川は落ち着いて話を聞いてくれている。情けない。本来は目の前であんな事件を目撃してしまったタレントを自分がフォローしなければならないのに。
「何というか……その……改めて、声優さんって……激烈なストレスとかモヤモヤを整理しながら仕事やファンと向き合ってるんだなあって。」
「そりゃまあ、ねえ。ノンストレスでいられる現場なんてそうそうないし、ファンに対してもちゃんと向き合える人と向き合おうとしない人とがいるし。」
「……はい。」
「でも、これくらいは社会人ならみんなやってる事でしょう?仕事仲間の中に馬があわない人が居たり、苦手なお客さんが居たりなんて事もよくある事でさ。で、基本的には信頼関係で繋がっている関係が何かのきっかけで行き違っちゃったり軋轢が起きたりってのも、これまたよくある事じゃない?ましてや芸事の世界なんて、気難しい人も多いしね。」
浅川は武田の方に顔だけ向き直り、事も無げに言った。
「そうなんですけど……声優さんを含めたタレントさんって、自分らみたいなサラリーマンとはかかるストレスの質量が全然違うと思うんです。対処の仕方もちょっと特殊で、只でさえプレッシャーがハンパない上に使わされる神経が僕らとまた違うというか。」
「まあ、それはあるかもね。」
「で、雛沢さんは…そのう…何がきっかけかは分からないけど、そのモヤモヤの中の…何か良くない物だけが、ムクムク増幅してああなっちゃったんじゃないかって。」
「……」
「雛沢さんだけじゃないですよ。他のおふたり……赤波さんも阿松さんも、ぶっちゃけなんか変だったじゃないですか。久し振りに会ったのに挨拶も会話もなく、みんなスーンって素っ気なくて。で、本番が始まったら阿松さんは時代遅れのアイドルみたいなキャラをやり出して、赤波さんもずっと小刻みに震えてたり会話が支離滅裂だったりして。」
「うん。」
「時間の経過で立場が変わった事で皆さんの人間性やお互いの関係性とか距離感が変化して、久しぶりに会ってはみたけど何だか噛み合わなくてギスギスする……ってのは分かるんです。それは理解出来ます。」
「そういう事もあるね。」
「でも……あんなに人が変わってしまう事って………」
「25年も経ってるんだから、それは色々あるわよ…みんな。」
「だとしても、こんな事って…哀しすぎません?」
武田自身、自分の胸に去来している虚しさや寂しさの正体はよく分からなかった。
これがキューティ☆フレイルという作品をこれまで愛してくれたファン達への申し訳なさなのか、この25年の間に雛沢・阿松・赤波を襲った「人間性を根本的に変えてしまう程のナニカ」への畏怖や哀れみなのか。
実は、武田の中ではぼんやり結論が出ている。
答えは「本人にしかわからない」だ。
だから、それを理解しようとする事自体が不適切で傲慢なのかもしれない。
「じゃあ……一つだけ仮説。」
「何でしょう?」
「めっちゃ単純だけど、いい?」
「聞きたいです」
「………元々そういう人だったんでしょう、多分。」
納得はしがたい。
ただ、的確な反論や適切な返答も思いつかない。
「大体、何があったのか……なんて知ったってどうしようもないんだから。なら、そう解釈して納得するしかなくない?」
武田はボンヤリと「そうですねぇ」と返す事しか出来なかった。
「どう?冷たいヤツだな、って思った?」
「いえ、仰る通りだと思います。」
「うん。まあこの25年間、みんなが……特に浅川さんと阿松さんがどんな風に過ごしていたのか分かんない以上、そうとしか言いようがないしね。」
「確かに。」
「阿松さんがどんなキッカケを経てなんでああなっちゃったのかを調べて解き明かすのは、取り敢えずは警察の仕事でしょう。」
この後、事務所に浅川を送り届けられさえすれば武田の仕事はひと段落だ。
俺は立派に担当タレントを守り切れた。
ちゃんと仕事が出来たんだ。
それでいいじゃないか。
武田は自分にそう言い聞かせ、思考中枢に纏う雑念を必死に振り解いた。




