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ACTorDIE!〜声優業界下層階級哀話〜  作者: 野乃々田のの
第九章 雛沢ももえの混沌
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9ー7「特異点」

『自分はいつから、なぜ、ここにいるのだったか。』

『外から光の差し込まぬコンクリート打ちっ放しの、殺風景という言葉をそのまま絵に描いたようなこの場所が寝床になって幾年幾月幾日が経ったものか。』


 【男】は「ここ」にやって来て、数え切れない程の回数浮かんだこの疑問について、案じ、悩み、悶え、そして結論に辿り着いたとて無駄だと諦める一連の思考を、また一から始めた。

 何度も何度も同じ事を思い立ち、案じ、悩み、悶え、そして諦める。そんな事をここにやって来てから今の今まで、いったい幾百幾千繰り返しただろうか。


 男が何故そんな事を繰り返しているのかというと、それを考える事を諦める度に「考えていた」「悩んでいた」という事実その物を綺麗さっぱり忘れてしまうからだ。だからこそ、ある程度日時が経つとまたこの不毛な疑問が湧いてきて……というループが続くのだ。

 男もかつてはこの暗室の外で生きていた人間だった筈だった。が、何かの拍子にここに連れて来られて、恐らくは幾十年もの時間経過と老化と断続的に続けられる薬物投与により、自分が何者かでさえも忘れてしまったのだ。


 まあ、どうという事はない。

 もはや男にとって、かつての素性など意味のない代物だ。


 先述の「自分はいつからここにいるのか問答」にしたって、別に結論が欲しい訳ではない。ただ、この石の床に横たわっているだけの日々が続いて思考力が極端に低下してしまった男にとって、これが一番ローカロリーで実行できる「人間らしい行動」なのだ。

 それ以外の時間はただ地面に横たわり、一個の有機物としてそこに存在する事しか出来ない。そんな時間がいつまで続き、いつ、どの様なカタチで終わるのか……今の男にそれを案じられるだけの思考力はないし、それこそ恐らく幾ら案じたとて意味のない事であろう。


 ギイイイイ………

 部屋の鉄扉がこじ開けられる、重たげな音が暗室中に響いた。

 【あるじ】のご来臨である。


「おい」

 あるじの第一声はそこはかとなく機嫌良さげであった。そして、男の名前らしき物を口にした。男にはまだそれがヒトの名前らしいと判別する程の知性は残っていたが、それが自分の名前だと認識する事は出来ない。そして2時間もすればその名前自体を忘れてしまう。


 まあ、どうという事はない。

 もはや男にとって、かつての名前など意味のない代物だ。


 あるじが翳したLEDライトによって、暗室内が人工的で無遠慮な眩い閃光に満たされた。

 光に照らされた男の全身は土気色でやせ細っており、その頭にはこれまた痩せ細った白髪が散発的に点々と残っていた。両手両足はドス黒く変色し、力無く垂れ下がっている。男はここに連れて来られてすぐの頃、両掌と両足と性器をハンマーで粉砕されてその機能を奪われたのだ。以来男は二本の足で歩く事はおろか、立つ事さえ出来なくなった。最も今、男はその事をも忘れてしまっているが。


「面白い奴に会ったぞ」


 あるじが口を開いた。男はその様を、口をあんぐりと開けて眺める。


「雛沢ももえだ」


 あるじは旧い友人に会ってきたらしい。


「お前が毎週の様にあそこで……CLUBハニーで16のアタシを組み敷いて泣かしてた頃、別に飼ってた女だ」


 あるじの言っている事が男には理解出来なかった。自分の飼い主はあるじで、飼われているのは自分なのに。

 あるじは怒りとも悲しみとも蔑みとも愉しみともつかぬ、これらの感情を足して4で割った様な複雑怪奇なトーンと語調で話し続けた。


「いやあ…抉られたよ、心をな。欺瞞と虚構に満ちた25年前の事を否が応でも思い出させられて。雛沢だけじゃない。てめぇの器も測れねぇで高望みに高望みを重ねた果てに未だ何者にもなれてねぇバカと、テメェの価値の見積もりを大きく間違えて自爆した上に引退して未だに勘違いし続けてる負け犬もいたな。」


 おお、ご友人様が3名もいらしたのか。


「二匹とも今後2度と浮上できずに無様に野垂れ死ぬ輩の面構えをしてやがった。バカはシャブ食って来やがってずっとキマりっぱなしだったし、負け犬は負け犬でしょうもねえ色気出しやがって妙なキャラ演芸を始めてよお。二人してどうしようもなかったぜ、なあ。」


 男はあるじにつられて笑みを浮かべた。

 あるじはともかく、男がこの様に僅かにでも微笑みを返す様な事は珍しかった。感情などいう物も、あるじによるあらゆる虐待により完膚なきまでに破壊されてしまったからだ。

 今浮かんだ微笑みとて、嬉しみや共感による物ではない。あるじへの隷属意識が心身のの芯の芯まで染み付いているが故の条件反射に過ぎない。


「でもよぉ」


 あるじの顔がここで嗜虐の色に歪んだ。

 男の全身があるじの微笑みと連動する様にゾクッと震えた。とうの昔に潰され今は影も形もなくなった筈のポコチンに血液が集まるかの様な錯覚に懐かしみを覚える。


「でも、一番鬱屈してたのはアイツだったんだなあ。アイツ……!」


 あるじの声は冷たく固いコンクリートの箱の中で、この場には不似合いな艶やかさで響いた。人間らしい感受性という物を遠い過去に置いてきた男の心にさえ強引に押し入って何かを訴えかける様なエモーショナリスムがあった。


「アイツよぉ………しょーもねえババア主婦になってた負け犬の目を叩き潰しやがった!」


 あるじはその後、5分ほどにわたって奇声に近いけたたましい笑い声をあげた。男はその様を、ただ地に這いずり回りながら眺めた。




 きっかり5分後、突如ゼンマイが切れたかの様にニュートラルなテンションに戻ったあるじは、全く感情の伺えない顔で男に話しかけはじめた。


「目から血ィ吹いて倒れてるババアが口パクパクさせながらうわ言言ってたからよ、ちょっと興味があって近くまで行って、耳そばだてて何ほざいてんだか聞いてみたんだよ。」


 そこであるじは口の端を上げ、鼻からフッ、と息を立てて少し笑った。


「何つってたと思う?」


 そんな事を訊かれても男は答えられない。慢性的な栄養失調により脳は正常に働かないし、幾十年も人間とまともに会話をしていないからだ。大体、男の舌は随分昔にあるじによって麻酔もなく乱暴に引き抜かれてしまい、発話もままならないのだ。


「『何で……どうして………』だってよぉ!」


 突如あるじはは男の側頭部を手加減なしに蹴り飛ばした。男は朽ちた藁人形の様に力無く倒れた。元々不幸だったのにさらに不幸になったババアと生物として非力で下賤な男を、あるじは力いっぱい嘲笑した。


「そんなもん、『お前が生まれて来た事自体が間違いだったから』以外の理由が必要か!?ええ!」


 あるじの痛罵は男の耳にガリガリと心根を削られる様な雑音を伴いながら届いた。男の聴覚がいつ、どうやって、何故破壊されたのかという記憶ももはや遠い忘却の彼方である。


「私ぃ、ももえさんにぃ、一生ついて行きますぅ!」


 あるじは突拍子もなく舌っ足らずで甘ったるい声でそういうと、さらにそこからまた5分間、轟音の様な濁声(だみごえ)を上げながら笑い転げた。




「お前らのやってる事なんざ何の価値もねえよ」


 更にきっかり5分後、あるじはコンクリートの床にしゃがみ込み、膝を抱えて座り込みながら泣きそうな声色で独りごちた。

 あるじの情緒のぶっ壊れ方は、さながら不条理な一人芝居の様であった。観客はあるじ以上にアタマのぶっ壊れた男がひとり。男はあるじのハイカロリーなパフォーマンスが栄養過多だったのか、身を横たえて白目を剥きながら涎を垂らし、喉の奥から妙な息を漏らしている。


「お前よお。昔、いい気になって『俺の周りにゃ変な奴が集まるんだ』ってフカシた事あったよな。」


 男はあるじが自分に話しかけている事に気付いているのかいないのか、体をピクリと震わせた。


「世の中で決められたルールの中からはみ出た『特異点』だからってよ」


 特異点。

 今の男の頭脳には到底理解できない、小難しい単語をあるじは口にした。


「違ったな。あの雛沢って女こそが、本当の『特異点』だったんだ。触れた奴関わった奴のみんなを漏れなく、不幸のドン底に叩き込む…そういう存在だったんだよ。」


 あるじは男の知らぬ女の話を、恐ろしげに、しかしどこか楽しげに語った。


「アイツに近寄った奴はもれなく、アイツが放つ毒色の気にアテられて、破滅への道を歩むんだ。そしてその気は、アイツが追い詰められれば追い詰められる程強くなる。それがまるで死病の様に伝染していくんだ。」


 そこに存在するだけで、周りの生物みんなを不幸にできる存在。

 もし男に正常な思考回路がまだ残っていたなら……あるじもソイツの毒気に触れたのか……とか、ならばあるじと自分には、今後どの様な運命が待ち受けているのだろう……とか、少なくとも自分の未来はロクなものになるまい……といった事を考えただろう。雛沢ももえという名前に、密かな懐かしみを感じながら。


「これからもアイツは触れる者皆に恨み言を言って回って因縁を付けて回って、身の回りの人間に不幸の連鎖を蔓延させながら、それでいてテメェがその中心にいる事には気付かずに居るんだろうよ。いずれ何処かで野垂れ死ぬまでな。」


 あるじは何かを噛み締めるかの様な、或いは誰かに語りかける様な、或いはいつかを振り返るかの様に呟いた。


「………迷惑なヤツだよ」


 男はふと、あるじと自分がいつ・何をキッカケに今の様な「主人(アルジ)奴婢(ヌヒ)」の関係になったのか今なら思い出せそうな気がした。

 貴重な体力を消費して考えを巡らせる。

 そうだ、自分はかつて何者だったのか。

 どこで、何をしていたのか。

 そして、何を間違え、何を犯し、何を喪ったのか………!


 が、その思考は次の瞬間、あるじがスカートを捲り上げてショーツをズリ下げた事で中断された。


(………お恵みの聖水だぁぁぁぁあ!)


 男は目をカッと見開き、肘と膝の四つん這いで主人の前に這いつくばり、潰れた両掌(りょうてのひら)をどうにか支えにして、その足の付け根に顔を寄せた。

 数日ぶりの、結露で出来た水や自分の尿以外による水分補給である。不純物や毒素の多いこれらの水ではなく、あるじの体内で生成された神々しい水だ。


 あるじの聖水は近年加齢の為か、そのかぐわしさを増していた。それはもはや人間が持つ文化的な喜怒哀楽をこの暗黒の中で徹底的に蹂躙・破壊された男にとって、本能レベルで理解・感応できる唯一の享楽であった。


 が、この数日寝たきりのままろくに動いてさえいなかった男は首を十分に上げる事も出来なければ、口を大きく開ける事もままならなかった。上半身を支える両肘にも力が入らず、支えがヨロヨロと崩れる。


 そして……放出された天からの恵みの雨が、男の口を外れて地面へびたびたと漏れた。


 あるじはすぐさま男の鼻っ柱を膝で蹴り上げた。

 男の身に遠からぬ内に訪れるであろう「死」という真の暗黒がグッと近づいた。

 

「こぼしてんじゃねえよ!達川ァァ!」

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