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ACTorDIE!〜声優業界下層階級哀話〜  作者: 野乃々田のの
第九章 雛沢ももえの混沌
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9ー4「……ここに居ちゃダメだ。」

 舞台袖で浅川奈央と武田は、何やら口論をしている赤波とそのマネージャーの傍をすり抜け、まず先程まで居た副調整室(サブ)に戻る事にした。今日のイベントの責任者であるタイタニアレコードの岸野Pに、今日起きた事や雛沢ももえについて色々と問いたださなければならない。


 ところが、つい数分前までが人が岸野Pがいた副調整室(サブ)は何故か無人になっていた。岸野Pだけではない。ディレクターも、タイムキーパーさえもがいない。この非常時に、司令塔たるこの部屋が空っぽというのはどういう事だ。


 だがそれ以上に武田を愕然とさせたのが、モニターに写っていたステージ上の光景だった。

 ステージ中央で右目からおびただしい量の血を流しながら倒れている阿松幸子に、恐らくは客席にいたと思われるオタク達が群がっていたのだ。

 いや、オタクだけではない。

 中にはSTAFFやPRESSの腕輪を付けた奴……つまり、スタッフやメディア取材の人間まで混じっている。人だかりの周りには脱がされたと思われる阿松の服が乱雑に転がっており、群がっているオタク達はその殆どが全裸もしくは下半身だけが裸の状態だった。


 阿松の股間に顔を埋めようと床を這ったオタクの後頭部を、誰かが思い切り踵で踏み付けた。

 踏み付けたのは武田も顔を知っている、例の不潔ADだった。後頭部を鈍器の様なブーツで思い切り踏みつけられたオタクは、地面に這いつくばったまま小刻みに痙攣しだした。早く救急車を呼ばないと手遅れになるだろう。


 目の前で起きている事の全てが武田の理解の範疇を超えていて、現実感がない。

 だが、こんな状況のこの場においてひとつ、絶対に確かな事があった。


「……ここに居ちゃダメだ。逃げましょう。」


 言うが早いが、武田は浅川の手を引いて副調整室(サブ)を後にし、駆け足で階段を降りてホールの裏口に向かった。浅川もそれが最善策だと判断したらしく、黙って同じスピードで武田の後ろを小走りでついて行く。


 ロビーでは赤波と谷地の口論がまだ続いていた。スタッフルームではイベント前に話しかけて来た小柄で細身の雑用係が明らかに自分の物ではない女物のカバンから財布を抜き取っていた。が、勿論こちらに彼ら彼女らに構っている余裕などない。


 思えば会場入りから今の今まで警備員らしきスタッフを見かけなかったのは妙ではあった。どうせ小さなイベントだし客層も大人しいおっさんオタクばかりだからとそちらに予算を割かなかったのだろうか。

 しかしこうなってしまうとその見立てもアテにはならない。今こうしている間にも暴徒化した観客やスタッフが襲って来るかも知れない。

 大変な事になった。




「早く乗って!」


 武田は関係者用駐車場に停めてあった社用車の後部座席に浅川を乗り込ませると、自分も素早く運転席に滑り込んでドアを閉めながらキーを差し込んだ。楽屋もロッカーも用意されていない劣悪な待遇のおかげでこうも手早く避難出来るとは。もし手荷物を預けていたらと想像するとゾッとする。


 ヤケに派手な赤波真麻の事務所の社用車はまだ駐車場に止まっている。

 赤波もマネージャーもまだ会場内で喧嘩しているのだろうか。暴徒化した観客に襲われていなければいいのだが。

 一体何がどうなっているんだ。

 武田は恐怖を抑え込む様に奥歯を噛み締めながら車を発進させた。




「ちょっと走ったとこにコンビニがあるんで、そこで一旦車を止めてそこから事務所なり警察なりに連絡しましょう。誰か追いかけて来てたりはしてませんよね?」


 浅川は後ろを見て「大丈夫」と返事をした。


「事務所に連絡取る?それとも警察?」


 浅川の問いに武田は短く一考した後、「車を停めてからにしましょう」と返答した。運転しながらハンズフリーで通話する事も出来るが、体が緊張と興奮でまだ震えていて、運転の手元が狂わない様努めるのに精一杯なのだ。

 浅川から警察もしくは事務所に連絡させようかという考えも浮かんだが、やめておいた。事ここに至って浅川に負担をかけたくない。浅川も武田の声の震えから心情を察し、「分かった」と返答した。


「あと武田くん、コンビニにコレあったらさ………」

「え?ああ、はい……」


 浅川はタバコを持つジェスチャーをして、コンビニに喫煙ルームがあったら吸わせろという意思表示をしたあと、軽めの溜息をついて窓の外に目線をやった。イベント会場ではファンに見つかってしまうので吸えなかったのだ。


「ケガとかは大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。」

「取り敢えずコンビニで一旦停車して、そっから事務所か警察に連絡します。コーヒーとかお茶とか要ります?」

「あたしはタバコ吸えれば大丈夫だよ」

「……そうですか。」




 武田は3分ほど走った所で見つけたコンビニに車を駐め、1人で車から降りようとした浅川を声をかけて制した。


「まだ自分の側を離れないで下さい!」

「?」

「一緒に行動しましょう、さっきのイベントの客がこっそり追って来てる可能性がありますから。一人で行動するのは危ないですよ。」


 浅川は無言で頷きながらタバコをカバンに戻し「取り敢えずどうする?」と武田に訪ねた。

 事件発生から既に7〜8分近く経っている。あれ程の騒ぎなら、ショッピングセンターの関係者だか客だかが警察には連絡しただろうと武田は踏んだ。


「……一旦、まず事務所に連絡します。えっと……うわ。」


 武田の携帯には83件の不在着信があった。雛沢ももえの凶行から今までの間、ずっと鳴りっぱなしだったのだろう。

 内訳は事務所の業務用番号・他のマネージャー数名といった事務所関係が大半だが、中には何がしかの手段で今日の騒ぎを嗅ぎつけて只の興味本位でかけて来たと思しき業界関係者や所属声優の名前もある。


「すいません。もうちょっとタバコ、ガマンできますか。」

「うん、大丈夫。」

「多分これから事務所に報告する内容って、部外者に聞かれるとマズい内容だと思うんで。外で電話って訳には……」

「そうだね。」

「車内から事務所に電話をかけます。終わったらコンビニの店内で一服しましょう。」


 84回目の着信が入って来た。

 ……相羽永吉(あいうえいきち)。ウチのプロダクションの所属声優の中でも特に人間性に問題の多い男だ。当然無視し、事務所への折り返し連絡を優先した。


 着信履歴の「事務所電番」の文字をタップして発信し、電話がつながったのち最優先で伝えるべき事を脳内で整理する。まずは浅川の無事の報告と、情報・状況の共有だ。

 しかし今回こんな事が起こってしまったとあっては今後どうなるんだろう。事次第によってはしばらくの間、浅川にボディーガードの様な形でマネージャーや事務所のスタッフを随伴させたり、場合によっては警備会社と契約して……


-クロスナインプロモーションです。


 電話に出たのは入社3ヶ月のデスク君だった。


「ああ、お疲れ様です。武田です。」

-武田さん!?おおお、お疲れ様です!後藤田さん!武田さんから折り返しが来ました!


 デスク君は声を裏返しながら、武田の上司にあたるマネージメント統括・後藤田に連絡が来た事を報告した。この取り乱し方から見るに、やはり今日の浅川の現場で起きた事はある程度事務所でも知れ渡っていて、武田からの折り返しを待っている状況だったらしい。まぁ、だからこそこの10分の間、武田の携帯がひっきりなしに鳴っていたのだが。


「後藤田さん、今手ぇ空いてます?」

-大丈夫です、今代わります!


 デスク君は慌ただしく電話を取り次いだ。


-……後藤田です。おお、よかった。武田君、そっちは大丈夫なのか?

「はい。今日の現場から浅川を連れ出して、今少し離れたコンビニの駐車場にいます。」

-配信をこちらでもチェックしてたらとんでもない事になったな。驚いたよ。取り敢えず2人とも無事なんだな!?

「はい。大丈夫です。」

-………なら、あの後に何が起きたのかは知らないのか?

「はい。雛沢さんがおかしな事をやらかした後に、来てた客やスタッフがステージになだれ込んでってとこ迄は把握してるんですが、その後すぐ避難したのでそれっきりで………。」


 後藤田は武田の言葉を聞いた後、一度息を吐いて呼吸を整えてから話しだした。


-………そうか。いや、あのな……

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