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ACTorDIE!〜声優業界下層階級哀話〜  作者: 野乃々田のの
第八章 雛沢ももえの狂宴
57/71

8-4 橙煇惆悵/フレイル

-今年はももえさんの主演作品「魔法少女キューティー☆フレイル」の放送25周年イヤーですね!

 何かイベントはやらないのでしょうか?

 開催されるなら、是非行きたいです!


 何処の馬の骨とも知れないオタクがブログに書き込んだ絵空事は、当初とし子が思い描いていた物から大きく形を変えて、より大きな規模で、より多くの観客の前で、大きなスポットライトの下で実現した。

 それはとても晴れがましい事である筈だった。僥倖である筈だった。袋小路に入り込んでいた自分の声優生命……否、人生そのものを好転させる機会にさえなり得る、最上の好機になる筈だった。


 ……………その筈、だった。




 違和感を感じたのは会場入りしてすぐの時だった。

 バックステージの環境は決して良好ではなかったが、スタッフは皆一様に温かく、雛沢ももえを一介のタレントとして扱ってくれた。まあそれはいい。今の雛沢ももえには身に余る、手厚い待遇だ。有難い事だ。


 が、次第にとし子はその優しさが「時代の流れに取り残された売れない声優をどう扱ったものか苦慮したが故の気遣い」による物である事に気づいた。

 今日ここにいる人間は皆どいつもこいつも25年という時間の経過の中で、その節目節目に訪れる大きな時代の変化に順応し、思考と知識をアップデートさせながら令和の時代を生きている。そんな中ひとり過去と妄執に囚われ、平成一桁の時代になすすべなく取り残されているアウトサイダー・雛沢ももえを、若者達は何とも薄気味の悪い「丁寧で他人行儀な対応」でやり過ごしていたのである。


 だが…そんな取ってつけた様な気遣いは、次々にとし子の眼前に突きつけられるシビアな現実により、瞬く間に意味を成さなくなった。

 飛び交う聞き覚えのない言葉。

 漏れ聞こえて来る浅川のスケジュールの充実ぶり。

 25年前、自分や達川にアゴで使われていたスタッフ共の出世。

 そして、そいつらが最早現場に出て来る立場でさえなく雛沢ももえの様な一発屋がどう足掻いても手の届かない高みにいる現実。

 これらから浮かび上がって来る「自分が時代の流れから取り残されている現実と、その疎外感」が全身を覆い尽くす感覚は、は堪らなく(おぞ)ましく恐ろしかった。


 挙句、「まあイケるっしょ」と安請け合いした進行役の仕事上必要な機械の操作が全く覚えられず、後先考えずに癇癪を起こしてしまった。若いスタッフ達もここでとし子の事を「ヤバいババア」と認識したらしく、それまでの優和な雰囲気が嘘の様な冷淡な口調でMCの交代を通告して来た。




 混乱から抜け出せぬまま臨んだ本番でとし子の前に広がった光景は、その困惑を更に深めた。

 客席に陣取る中高年オタク共もまた、とし子同様年相応に老いさばらえていた。そして老化や目に見えぬ病によってくすんだ顔に25年前と同じキラキラした瞳を出来の悪い合成写真の様に張り付かせ、こちらを観ていた。


 だが。


 コイツらが見ている人間(モノ)は…今の雛沢ももえではなかった。

 25年前の、デビュー当初の、初々しい、突如檜舞台に担ぎ出され戸惑いながら声優業に勤しむ、下手なりに一生懸命な「あの時の雛沢ももえ」だったのだ。そして、25年経って未だに業界の隅っこにしがみつこうとする見苦しいババアと化した雛沢ももえ46才は、俺達の美しい思い出にビリビリと混ざり込む目障りなノイズでしかなかったのだ。

 そんなオタク共の猥雑にして屈折した感情はいくばくかイビツに形を変えて強烈な圧力に変質し、とし子の情緒を容赦なく乱暴に押し潰した。



 そうか、お前らは今のアタシを応援しにきたんじゃないんだな。

 25年前のアタシを懐かしみ、過去の懐かしい思い出として封印しに来たんだな。

 で、また明日からはフツーのおじさん=真っ当な社会人に戻って、あくせく働くんだろ。私がかつてバカにしていた、社会の歯車としてよぉ。

 いや、ちょっと待て。

 ……………真っ当な………社会人だと?



 とし子はここで、自分がかつて辿り着けなかった・手に入れられなかった「健康で文化的な最低限度の生活」を、常日頃から見下している臭くてキモいオタク……そう、今目の前にいる連中が当たり前に達成・獲得している事に今更気付き、そこからも置いて行かれている孤独と恐怖にまたも酷く震えおののいた。そうだ、コイツらは今日この催しを終えた後、21才の雛沢ももえの幻影に囚われて動けないままの、46才の明日も未来もない安沢とし子を置き去りにして……明日を、未来を、また生きるのだ。


 このイベントを終えた後、自分にファンはつくか?つかない。

 自分の値打ちは上がるか?上がらない。


 ここにいる奴らが私を担いで興じている祭りは復活の祝祭ではない。

 葬送だったのだ。

 なぁんだ………じゃあもう、ダメなんじゃん。

 先程まで心の中に巣食い、とし子を急かし、駆り立て、不安を煽っていた寂寞(せきばく)は、瞬く間に自分を取り巻く全てのモノへの敵愾心に変容した。


 初めから、終わっていたのだ。

 アタシ自身も、この作品も。

 なら、お前も……お前らも、まとめてここで終わってしまえ。




「さて、楽しい時間もあっという間。お別れの時間が近付いて参りました。」

「あっという間でしたねぇ。」

「……しは……う…………わた……………じょゆ……」

「リマスターBD(ブルーレイ)ボックスの発売の発表もありましたし、今度は発売記念イベントとか、どうですかね?タイタニアさーん?」

「わあ!素敵!担当の方、いらっしゃいますよね?岸野さん?岸野さーん!」

「ざけ……こんな………ソが………」

「ちょっと、プロデューサーの名前!」

「てへ、ごめんなさぁい!」

「…………………………………ぐぇぼ」


 赤波は限界が近いのか、登壇後通算三度目のミニゲロを吐いた。オタクから見えない位置の床には黄色い色の吐瀉物がこぼれ、辺りに異臭を撒き散らしている。


「じゃあ最後!やっぱり今日は、魔法少女のセンター!フレイル役の雛沢ももえさんに締めて頂きましょう!今日一日皆さんとこうやって会えて、改めて如何でしたか?」


 浅川は台本通り、締めのコメントをとし子に振って来た。が、その目はあくまで様子のおかしな3人に対する警戒を解いていない。


「………アタシの25年、何だったんだよ」


 とし子の第一声に対する他の三人の反応は三者三様だった。警戒レベルを一段階引き上げつつイヤモニからの指示待ちをする浅川、露骨に顔を引き攣らせる阿松、朦朧とした顔で口の両端に小さく泡を吹いている赤波。場内には依然、演者にとっては至極妙な緊張感が張り詰めている。


「ボロクズみたいな劇団から達川の手でボロクズみたいなアニメの世界に引っ張り込まれて、訳分かんねえままオタク共の慰み者に仕立て上げられて」


 浅川は引き続きイヤモニに耳を凝らし、ディレクターからの指示を待った。が、未だに反応はない。


「そっからコレの放送があってアイツがパクられる迄、大体一年ちょっとだ。その間アイツとこなしたファックは217回、アナルファックは26回。アイツは毎回キッチリ射精しやがったが、アタシは一回もイッた事なんぞねぇ。ただの一回もだ。ゴムを付けた事なんぞも只の一度もねえ。まぁ、十代の頃にさんざヤリまくって腹が焼き切れたのか、デキゃしなかったがよ。」


 阿松の顔の強張りがさらに強まる。


「場所はホテルが98回、達川の事務所が61回、車の中だの外だのが66回だ。後の18回は達川が何処ぞから連れて来た声優志望のガキとの3Pだ4Pだとかで、場所だのなんだの迄覚えてねえ。」


 客席のオタク共は静まり返って話を聞いている。真偽を探っている者と衝撃の余り呆然としている者と良からぬ妄想に耽っている者、いずれも均等に三分の一づつといったところか。妄想組と思しきオタク数人がポケットに入れた手を股間でモゾモゾ動かし始めた。


「雛沢さん?」


 浅川がたまりかねて一声かけた。が、とし子は構わず言葉を続けた。


「お前らが鼻の下を伸ばして、ポコチンを(いき)り立たせて観てたあのアニメは、その果てに産まれたチンカスみてえなもんだ。女を呼ぶ為に立ち上げて、女を抱く為に設定作って、女を釣る為にキャラ増やして、座組みを子分と眷属と愛人で固めてよ。」


 突如、とし子から阿松を挟んで二つ左隣に座っている赤波が「えきゃきゃきゃきゃ」と奇妙な笑い声を上げ始めた。開演当初当初はすぐそばにいるキャストだけがその気配を感じ取っていた赤波の異常を、ついに観客達までもが察知し始めた。


「業界中、そんな奴らばっかりだ。」


 赤波が小声で「そうだよ」と呟いた後、突然猛烈に下品なゲップをした。そしてまた「えぎゃきゃきゃ」と笑う。



 お前らが25年前のメモリーに拘泥し今のアタシを認めないのなら、そのメモリーを徹底的に汚し……否定するだけだ。

 幼稚で理不尽なやり方だという事は重々承知している。

 が、こうでもしないと、こういう方法でもないと……自分の様な、安沢とし子の様な真の弱者の魂は報われも救われもしないのだ。


 その時。

 とし子は右隣から、何者かに掴み掛かられた。


「やめろぉぉぉぉ!」


 阿松幸子だった。

 何とも意外、このタイミングでとし子に噛み付いたのは、不幸虚弱女・阿松幸子であった。


(何だコイツ、マジでこんな下らないアニメにそんなに入れ込んでたのか!?

 ………………いや、違う!)


 阿松の総身から放出されていたのは、自分が拠り所としていた美しい思い出を汚される繊細な悲しみではなく、歪んだ欲望を予期せぬアクシデントによって阻まれる事への憤怒の炎と無遠慮な殺気であった。阿松は口をパクパクさせながらとし子に何かを訴えようとするものの、頭に血が上りすぎて思考と身体運動がうまく連動していないらしい。が、その敵意は痛いほど伝わって来た。


 醜悪な弱者=阿松の予期せぬ叛逆は、とし子の心の奥底で燻っていた冷酷で苛烈な暴力性をいともあっさり解き放った。

 25年前に心の奥底に封印した筈の憎悪・焦燥・悲嘆・嫉妬・暴力衝動・劣等感が凄まじいスピードで、悪寒を伴って全身を駆け抜ける。


 とし子は掴み掛かってきた阿松を振り払うと、そのまま縦拳の様な軌道でマイクを持った右手を阿松の顔面に振り下ろした。


 すると、ハンドマイクの尾部のアンテナ部……サイズ感にしておよそ中太マジック程の細さの部位が、阿松幸子の右目に吸い込まれるように突き刺さった。

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